「がん」という冒険(35)
「治療期間が長かったので、気持ちの整理ができました」
最後(8回目)の抗がん剤治療の日、診察室でよしみドクターと向かい合った私は言った。抗がん剤治療が始まったのが去年の12月1日、半年を振り返って本当にそう思ったのだ。
私の周りのがん経験者はみな、がんだとわかった途端、すぐ手術で「悩む時間もなかった」らしい。それを思うと、私には、やはり時間があってよかった、と思う。すべてが未経験であり予測のつかない冒険の連続だったが、ひとつひとつ未知のハードルが開かれ、逆風どころか暖かい追い風のようなものを感じた。
しかし、よしみドクターはその時、私の言葉に驚いた顔をされ、探るような目で私を見られ、おや、と思う。いつも穏やかで、ドクターのこのような表情を見たのは初めてだった。
このドクターの反応に対して、その後、がん経験者に聞いてみたところ、
治療が長引くほど、がん患者は不安になり鬱になる。それは、「蛇の生殺し」状態。
言われて、なるほどと思う。一般には「がん」は死のイメージのつきまとうものであるから、がん宣告を受けたままの状態は死と向き合うことなのだ。
思えば私もそうだった。待合室で、これからがんの宣告を受けるかもしれないのだ、と覚悟した時、私の思いはただ、
私は天国行きの切符をもっている。
それだけだった。それで十分だった。もちろん今も。
ところで、抗がん剤治療終了後の今後の予定は、
30日に手術前の最終検査、6月1日にドクターとの(手術について)最終相談、5日に入院、翌日手術ということになった。
前回の診断で、私の手術が温存(部分切除)か全摘(乳房切除)か、どちらを希望するか、いきなりドクターから問われて戸惑った。
抗がん剤治療の効果でがんがとても小さくなっていると聞いていた私は、温存でいけると思っていたのが、いきなり、
「がんの量は減っているが、石灰化した細かいがんの広がりがある」
というわけで、切除する量が多くなるかもしれず、「術後の(乳房)変形の度合いの予測は難しい」と言われたのである。
がんが大きいなど全摘するしか仕方ないならやむを得ないが、術後の変形の度合いなど、想像しようもない。全摘するなら再建手術をするが、そこまでする必要があるのか?
温存か全摘か、希望を聞かれて戸惑い、ドクターならどうされるか尋ねたら、「温存です」と迷わず答えられた。それを主の導きのように受け取り、どちらにするかは答えを急ぐものではないので、祈った。
悩んだわけでもなく、「温存の選択肢があるなら温存で」という気持ちになり、ドクターにそう話した。
と、この日撮った超音波検査では、
「温存で行けそうですけどね」
どっちやねん。
30日の最終検査のMRIの結果を待つことになるらしい。ちなみに、この日の超音波検査で撮影されたがんが、「消えた後の傷跡」でMRIを撮ると「がんがなくなっている」ということもあるらしい。(それでも開いてみないことにはわからないので手術は行われる)超音波よりもMRIの方が現実に近いという。
ようわからん。
…すべては主の御手のなか。イエス様にお任せである。
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手術の翌日からリハビリで、そうそう寝かせてもらえないらしい。5日ほどの入院で退院翌日から日常生活を送った方がよく、カーブスもOK!(痛くなければ)
しかし、
年単位で通院することになり、
がんとの長~いお付き合いは続く。
それでもストレスは感じない。
「この病院てアットホームですよね」
と言うと、ドクターは「よくぞ言ってくれた(^.^)」という顔になり、
「そう言ってもらえてると嬉しいんですけど」
「スタッフの方が皆さん、気さくで、いつも癒されてリラックスして帰宅できました」
これは本当に、感謝であった。(いつも帰宅してからストレスだった"(-""-)")
「『玄米餅がおいしい』と言う看護師さんがいらっしゃって…玄米餅見つけたので買いました」
すると、受けた。
「抗がん剤治療が予定通り進行する人は珍しくありませんが、★(私の本名)さんほど元気な人は珍しいです」
と言われる。
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