「がん」という冒険(38)

来週の今日は、よしみドクターと手術前の最後の相談が行われる。

30日に術前最後のMRIを撮り、その結果をもとに具体的なことを色々話し合うのだろう。

最後の抗がん剤治療の日、

「今までご家族が誰もお見えになっていませんが」

と前置きされて、ドクターは、

「私と★(私の本名)さんの間で話し合いができているので強制ではないのですが、ご家族と情報の共有がしたい」

なるほどと思う。ひょっとすると、患者が半年も通院しながら、家族が一度も顔を出さない(付き添わない)というのは珍しいのかもしれない。

確かに、手術を前に家族との「情報の共有」は必要だろう。

その旨、夫に伝えたところ、夫は6月1日の午前11時、診察室に「参上する」、娘達2人にも話したが、平日で大学があり、どうも

母親<大学 (学業熱心というのでは到底ない)

のニュアンス。「母親と永遠の別れになるかもしれんのよ」という気はないが、

もうええよ。どっちでも。

(-_-)/~~~ピシー!ピシー(-_-)/~~~ピシー!ピシー!!(-_-)/~~~ピシー!ピシー(-_-)/

そうして、入院・手術…。

 

全身麻酔である。手術といえば、私は双子の娘達を出産した時の帝王切開以来であり、全身麻酔は初めてである。

ドクターに確認したところ、手術時には頭には使い捨ての帽子に浴衣のようなものを着せられるらしい。(下着のパンツは履くらしい)

浴衣というのは、脱がせやすく、また手術が終われば着せやすい…からなのだろう。パンツを脱がされる必要はないが、それ以外は全裸。

命もろとも、すべて差し出す。

そんなイメージである。(j地震が起きたらどうなるのだろう)

その光景を想像しながら、抗がん剤の副作用で黒ずんだ手足の爪に、クリームを刷り込んでいる、こうすることで爪の色が自然に戻る。ケモ室の看護師さんから教わったことだが、本当に色が戻った。

 

手術だから…痛いのだろう。

大腸がんでお腹の下を5㎝も切った◇姉妹は、

「かゆいくらい」

で全然、平気だと言った。肺がんの初期で片肺の3分の1を切った▼姉妹は、

「あんな痛い思いは生まれて初めて」

と言った。

その辺のところをよしみドクターに聞いたところ、

「個人差で、人の話は参考になりません」

「…良くも悪くも…?」

「そうです」

「……………………」

「でも★(私の本名)さんなら大丈夫そう」

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