「がん」という冒険(84)
さて、95歳、自宅火災で亡くなった★姉妹の納骨式である。
場所は鎌倉にある共同墓地。
参列する兄弟姉妹は鎌倉駅で待ち合わせた。日曜の礼拝は対面でもzoomでも行われ、私はzoomばかりだったので、実際にお会いするのは何年かぶりになる懐かしい顔もあった。
改めて記すが、10月の真夜中12時頃、漏電による2階の出火で★姉妹の自宅は焼けた。ところが、浴室でシャワーを浴びていた★姉妹は炎から守られ、一酸化炭素中毒で綺麗な顔のまま救急車で搬送された。ベッドは黒焦げだったらしいから、★姉妹がベッドで寝ていたら悲惨なことになっていた。
また、周囲への延焼もなく、被害は最小限に食い止められた。
これらのことが一つでも欠けていたら、このような清々しい納骨式は開かれなかっただろう。
イエス・キリストを救い主として受け入れる信者を、男性は兄弟、女性を姉妹と呼ぶ。「神の子」として、年齢に関係なく横つながりの「きょうだい」なのである。
「主にあるきょうだい」は、「肉のきょうだい」よりも、深いところでつながっていると感じる。
「実は去年に乳がんの宣告を受けて、この6月に手術を終えて放射線治療も終わりました」
私は駅から墓地までの道すがら、zoomでは毎週のようにお顔を見ている▲兄弟にがんのことを話した。「抗がん剤」とか「ウィッグ」とか「ハゲ」とか…道々歩きながらする話でもないなぁ、と思いながら、私は陽気に話し続けた。
去年の今頃は、抗がん剤治療受けながらウィッグをして祈り会に出た。誰も私のがんに気づかず、「イメチェン」で通した。ウィッグと気づいた姉妹はいたようだが、総じてショートにしたイメチェンは好評で、私はそれがおかしくて楽しくて、得意になって祈り会に通った。
手術の入院前にようやくがんをカミングアウトした。自分のがんが噂で広まるのは嫌だったので、他言無用をお願いした。それは守られて、私ががんになったことを知る兄弟姉妹は限られている。
これから一人一人、がんを通して主がどのように働いてくださったか、その喜びと感謝を自分の言葉で語っていこうか、と思う。
「我は復活(よみがえり)なり、生命(いのち)なり。我を信ずる者は死ぬるとも生きん。キリスト」
墓石に刻まれた聖書のみ言葉である。姉妹の方々がそれぞれ花束を用意され墓石に飾る。喪主である息子さんの挨拶があり、兄弟のメッセージがあり、賛美歌を歌う。
聖書のなかで神は「光」に例えられる。澄み渡った賛美歌は光と誠にマッチする。こうしていると、墓石は光に包まれて、確かに★姉妹は天の御国におられるのだと感じる。
一点の曇りもなく、輝かしい光のなかで納骨式は終わった。