「がん」という冒険(64)

土曜の午前中、寝ているところを電話で起こされた。

なんと、私がこのところお見舞いに伺うようになった一人暮らしの95歳、★姉妹である。

いつぞやは、私が訪問した際に台所で転倒しておられた。そのことはブログ(62)に更新した。転倒しながら★姉妹は全く沈着冷静に私がどうすればいいのか指示を出され、私は面食らった。そうしてこの朝、

「報告があります」

いつものアナウンスのような抑揚のない、明確な声で★姉妹が何を言い出されるのか、施設にでも入ることになったのか、と思いきや、違った。

「先日、◇姉妹(私のこと)がお帰りになってから私は気を失って、翌日の8時、息子が来るまで床に転倒したままでした」

なんと、いつもの「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」どころではない。

「12時間、寝てはいけないともがいていました。今までで最悪の事態でした」

何でも木曜日、私が夕方に帰って間もなく、★姉妹が目を洗おうと台所に立ってから気を失い、気づいたら床に倒れていたという。

手の届くところに受話器はなく手を伸ばしてペットボトルの水を飲もうとしたが、ペットボトルのキャップが開かない。いつも転倒すると賛美歌を歌うのだが、この時ばかりは唇が動かず、気力もない。そんな状態が息子が来る午前8時まで続いた。「12時間徹夜でした」を繰り返された。

「熱帯夜でなかったから」

熱帯夜なら水分補給ができず熱中症になっていた。また、いつもそうなのだが打ちどころが悪ければ、どうなっていたかわからない。そうして、

「こんなことで主は私に肉体の死をお与えにならない」

と感じた。

ではなぜ?なんのために?★姉妹は12時間もの生死をさ迷う生き地獄を味わわねばならなかったのか?

 

95歳の高齢者が部屋で転倒して12時間もの間、放置された。訪れた息子がベッドに横たえ、★姉妹はそのまま眠り続けたらしい。そうして、私に電話をしている。あまりのことに私は返す言葉もなく、貴重な証言にただメモを取りながら聞き入るばかりだった。

打ちどころがよかったにせよ、熱帯夜でなかったにしろ、そのような経験をして、他人事のように淡々と「最悪の12時間」を語ることができるものだろうか?リセットできるものだろうか?

ただ、最悪でありながら、「気持ちは平安」だったという。もはや★姉妹は死に対する恐れなどないし、いつ果てようともかまわないのだ。今も平安で、私に語られているのだ。

「静かに神様のところへ行きたい」

穏やかに言われた。それがすべてなのだろう。

早く神様に迎えに来ていただきたい。(早く天国へ行きたい)

ではない。

★姉妹を訪問するようになった私は、神を知っていること、つながっていること。聖書のみ言葉が聴けること。耳が聞こえ話せること。水が飲めること、食べられること。

必要な助け手のあること…それらに感謝し喜ぶ★姉妹の生き様を見せられた。高齢になって失ったもの、奪われたものを数え上げればいくらもあるが、与えられたもの、残されたものは数限りない。

 

私が訪問すると、★姉妹が転倒していた。

私が訪問した後、★姉妹が転倒して12時間、徹夜でもがき続けた。

こんなことが続けざまに起きた。★姉妹は私よりも遥かに生命力にあふれている。「生きたい」ではなく「生きよう」としている。

我々は、主から与えられた命を精一杯、感謝して生きるしかない。

このことを、私は★姉妹の生き様から語られている気がする。

 

★姉妹の電話は実に1時間以上続いた。このことは他の姉妹方にも話していいと確認を取り、「皆で祈ってお支えします」という。