「がん」という冒険(72)

10月23日日曜、午前9時から★姉妹の葬儀が行われた。誰もが95歳の「老衰」を疑っていなかったのが、火災による事故死である。

この夏、私が★姉妹を最初に訪問したのが7月22日。それから週に一度くらいの割で訪問し、9月12日のネズミ出現でピリオドとなった。訪問は計6回である。

振り返れば何もかもが印象深く、心に染み入った。ひとつひとつのことが現在進行形で「思い出」になるという不思議な経験をした。

例えば、私がもって行った種なし巨峰を姉妹がしみじみ「美味しい」と連発されて、「天国には、こんな食べ物ばっかりよ」と言いながら6粒ほどをぺろりと召し上がった。大きさといい味や柔らかさ…すべてにおいて満足された。以来、店先で巨峰を見るたび★姉妹を思い、巨峰を食べながら★姉妹を思った。

 

「聖書は神そのもので、混じりけがないでしょう?」

何よりも聖書の朗読を喜ばれた★姉妹は、このように言われた。

「混じりけがない」というのがお好きであった。ご主人は数学の専門家で「数学には混じりけがない」とよく言われ、「主人の数学は美しい」というのは私のなかに印象深く残っている。

葬儀の前日、

「混じりけのない葬儀となりますように」

と祈った。

そして、その通りになった。

 

朝から晴れ渡り、暑いくらいの陽気。

★姉妹が亡くなった17日、日曜。礼拝後に★姉妹宅を訪れ、息子さん夫婦とお話をした3人の姉妹。最初、火葬葬儀に立ち合うのは、親族以外この3人だけと息子さんは言われたらしいのが、葬儀社のコーディネーターが入ったことで流れが変わり、参列できる人数が増えた。また、献花の代わりに祈りと賛美の時間幅を広げてもらえたらしい。

集まった兄弟姉妹は20~30名くらいだろうか。コロナでzoom礼拝だったから、懐かしい顔ばかりだった。

お棺のなかの★姉妹は、化粧した顔に用意されていた(死に装束の)衣装を着ていた。2階からの漏電による夜中の火災だったが、★姉妹はシャワー室にいたため火から守られた。窓から救出されて一酸化炭素中毒死だったという。死に顔も美しいし、楽に死ねたのだと安堵した。イエス様に感謝…。棺にはご主人の残された数学の著書が一緒に納められていた。

裁縫の上手な姉妹が着物地で縫われた死に装束は、息子さんのお宅に保管されていたため無事であった。これも偶然とは思えない。

お棺にふたをされ、火葬に移る。私たちは賛美して★姉妹を送り出す。エスキリストの花嫁として、これから天国へ旅立たれるのである。

※ちなみに、亡くなったのが男性でも、キリストの「花嫁」といわれるらしい。

日本(仏教式)の葬儀といえば、静かである。暗くはなくとも決して明るくはない。しかし、主にある葬儀は、明るく美しい。そして澄んでいる。

お骨拾いの際に葬儀社の人が、

「頭蓋骨がしっかりしておられる」

葬儀社の人は、★姉妹がアドレス帳などもたず、親しい人達の携帯番号を暗唱するような95歳だとは知るはずもない。(携帯番号はゴロ合わせで覚えるのではないらしい)

やはり、何か特別な脳の構造をお持ちなのだと感心した。

また、喪主の挨拶で息子さんが、最後まで★姉妹を献身的にお世話した姉妹2人の名前をあげて感謝され、「今頃は天国で父と喜んでいるでしょう」と言われたのには、イエス様を受けれている人のようだと驚いた。

そして、待ち時間から肩を揺らして泣き続ける女性がいて、誰だろう…と思っていたら、何十年も会っていない娘さんだった。