「がん」という冒険(56)

モノであふれかえる部屋の真ん中の医療用ベッドに横たわる★姉妹(主にある信仰の女性)は、やせ細った体に見合わぬしっかりした声で、言われた。

「聖書のみ言葉が聴きたい。何よりも、聖書のみ言葉を聴くと自分が内側から変えられるんです」

95歳になられた★姉妹は貴重な時間を惜しむように、◎姉妹が到着するのを待ち構えていたらしい。聖書のみ言葉に飢えているのだ。すごいことだと思う。

毎週火曜、◎姉妹はゴミの整理に電車を乗り継いでここへ来られる。私はこの日、◎姉妹についてここへ来た。

★姉妹が私のことを覚えておられるのか、自信はなかった。最後にお会いした時から3年くらい経っている。★姉妹が大腿骨骨折を克服し、92歳の誕生日を報告された記憶がある。そのうえ私はウィッグになっている。

ところが、★姉妹は私の名前ばかりか、大昔に礼拝に通っていた娘達の名前まで覚えておられた。有名女子大の物理化学科卒の才媛で、今も認知とは無縁である。

◎姉妹が聖書を読み上げる。「使徒の働き」24章。読み終わると、

「本当に、聖書のみ言葉は、乾いた心に染みわたります。自分が変えられる…」

感極まったように★姉妹は言われる。「自分が変えられる」を繰り返された。それが、私の心に染みわたる。

好きな時に聖書が読め、み言葉を聴ける私とは違う。★姉妹は自分の目で聖書を読むことはもはやかなわず、パソコンやスマホももたない。(あっても操作できない)

夜、寂しくなって聖書のみ言葉を聴きたくなる★姉妹、旧いみ言葉のカセットテープがあるが、それを聴けるカセットデッキがない。そのカセットデッキがどうにかならないかというのが、祈り会の課題にあがっていた。

また、プロの聖書朗読よりも、素人がたどたどしくゆっくり読む聖書朗読が好もしいらしい。

そんな★姉妹にあって、◎姉妹の聖書朗読は乾いた地に降り注ぐ恵みの雨だろう。

聖書にある「主は弱さのうちに完全に働かれる」「私は、弱いときにこそ強い」という教えは、こういうことかと思う。

 

◎姉妹は台所作業をされ、私は★姉妹の話相手になる。エアコンは使わず、扇風機がゆるやかに回っている。このゆるやかさが心地よいと言われる。男物の下着の上下を着てベッドの上でペットボトルの水を慎重に飲まれる。ゴク、ゴク…と喉が鳴る。飲み干して、

「ありがたい」

ありがたい……まさに、有り難いのだ。

枕元にはコンビニで買えるようなスナック菓子の袋が山と積まれている。聞けば、小腹がすいたとき、喉をつまらせることなく炭水化物がとれ、素手で気軽に食べることができる。こぼしてベッドを汚すこともない。

ヘルパーさんが一日おきに来られ、急な用があるときには、近くに住む姉妹が電話で呼ばれる。礼拝や祈り会には電話を通して参加し、理学療法士や看護師、医師…の訪問も受ける。◎姉妹のように毎週訪問する姉妹や電話をかける姉妹もいる。また、姉妹の電話番号の書かれたメモ書きが壁に貼られていたりする。

必要は満たされている…否、ここには主の愛が満ちている。

 

★姉妹には天国へ旅立つ際の衣装が用意されている。裁縫の上手な姉妹に頼んだ着物地(絹)で縫われた優雅なロングドレスである。写メで見たのだが、

私が着てみたいと思った。

そのように、美意識が高くリュウマチの痛みもある★姉妹だが、

早く天国へ行きたい。

などとは言われない。

聖書のみ言葉を味わい、扇風機の風が心地よく、ペットボトルの水が「ありがたい」…。

目は不自由になったが耳が聞こえ、しゃべることができ、物を食べられるのは恵みである。必要な姉妹もそなえられ、ひとつひとつの恵みを喜び感謝し、祈りながら神のお迎えを待つ。

ご主人を亡くされてからは一人暮らしである。ご子息は施設入所を希望するも、★姉妹が、かたくなに

ここに居たい。

と主張される。

設備の行き届いた豪華な施設で老後を過ごす高齢者に、★姉妹のように満たされている人がどれくらいいるだろう?

ここで★姉妹は、ほとんどベッドを出ることなく、不自由や危険はあるけれど、満たされているのだ。

主にある平安と喜びの毛布に、すっぽりと包まれている。

主にある物差しとこの世の物差しは違うのだ。