「がん」という冒険(32)

金曜祈り会であった。

『もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです』
(マタイの福音書18:19-20)

「わたし」とはイエス・キリスト。聖書では「私」ではなく「わたし」と表記される。イエス様は神の子であるから、「わたしの父」とは神。イエス様をこの世に遣わされた方である。ふたりでも三人でも、イエス様を信頼して集まるところには、そこにイエス様もいてくださるという。

このみ言葉を信じて、私たちは集まる。出席も取らないし、休んだところで「どうして休んだの?」と聞かれるわけでもないが、集まる。そう多勢ではないが、集まる。私たちの祈りを、主が聴いてくださっていると信じて祈る。

私は、前回、4年前に大腸がんの手術をした◎姉妹の腰痛が気になっていた。術後に再発などのために3ヵ月ごとに受ける検査を、「体調がいいから」とここのところさぼっていたらしい。

この◎姉妹については、『「がん」という冒険(16)』に触れているので、以下に抜粋する。

 

そうして、この日、祈り会が終わり昼食が終わり、掃除に入った時、私はある姉妹と二人になった。70歳代で4年前にがんの手術をされた◎姉妹で、温厚で人を疑うことも知らないような人である。あたりに誰もいないのを確かめて、私は聞いた。

「姉妹は、抗がん剤治療されたんですか?」

いきなりである。普通なら、意外な顔をするだろうし、「どうしたの?」と聞き返すだろう。しかし、◎姉妹は平然と、

「したわよ」

「副作用は?」

「あった。最初の1日や2日、具合悪くてね、ずっと寝てた」

なるほど、そうか~と思う。

抗がん剤治療は手術の前?後?」

「後」

◎姉妹は嫌な顔ひとつせず、私の質問に答えてくれた。それをまとめると、

・病院に勤める娘のアドバイスを聞いてがん検診を受けたところ、大腸がんにひっかかった。

・ステージ2ですぐに手術することとなり、手術して開いてみるとステージ3だった。

・術後に3ヵ月の抗がん剤治療を1週間おきに受けた。

これだけ聞けば、私に「どうして?」と聞き返すだろう。それがいっさいなく、◎姉妹はするすると答えてくれたのである。子どものような人だと思う。

「術後の痛みは?」

「手術は全身麻酔だから全然平気だし、術後も平気」

「平気…?」

「(うなずく)食事も美味しくてね」

「だって、切ったんでしょ?」

「おへその下を5㎝。でも、大したことない。かゆいくらい」

「………………………………………………………………」

「退院してからの抗がん剤治療の副作用の方がつらかった」

 

このような◎姉妹に私は癒され、励まされたのである。人を疑ったり余計なことを考えない。いつもほがらかでストレート…。もちろん、子どものまま年齢を重ねたのではなく、様々な苦労、経験を乗り越えて、今は主の御手のなかで安らいでおられるのだろう。「天国行き」を確信できているなら、恐れることはない。主に守られている人だと思う。

当然のことながら、自分ががんになって、「がん」というものに過敏になった。だから、◎姉妹の腰痛も気になって、さぼっていた検査は受けられたのだろうか、と思っていた。すると、

「形成外科で受けたブロック注射が効いて、痛みがなくなったの」

ケロッとしている。再発の不安はよぎらなかったのだろうか?もっとも、もはやこの世に未練はなく、天国へ行けるなら早いとこ行きたい、というのならわかる。

 

私のがんなど思ってもいない姉妹方に、いつカミングアウトするか?カミングアウトするのか…?自分ではわからず、祈るしかなかった。

◎姉妹ががんに対して呆れるくらい無頓着なのと同じくらい、私もがんに対して無頓着かもしれない。「がん」を重く受け取っていない。だから、ウィッグをつけて笑顔で祈り会に出ていた。いつがんをカミングアウトしようかと、想像するのが楽しみだった。

それは本当に主の恵みであり感謝である。しかし、「実は乳がんでこれ(頭髪)はカツラで、抗がん剤治療が終わってもうすぐ手術なんです」などと言われた方にとっては…笑って受け流せることではあるまい。

そもそも、なぜ、ハゲを隠し、がんを内緒にしていたかといえば、姉妹方に「心配をかけたくない」というのではなく、

「がん」の人という目で見られたくない。

皆にそんな目で見られたら、(そういうことは、人から人へ光の速さで伝わる)本当にがんになる気がした。…と本当にがんなのだが、自分ではがんの自覚がないのである。だから、「がん」だという多勢の目にさらされることで、がんの自覚をもちたくなかった、というのが正直な答えかもしれない。

カミングアウトするなら、そのへんのところを、慎重に誠意をもって説明するべきだと思う。

がんを通して、私はイエス様とストレートにつながるのを実感できたから、「祈ってください」と姉妹方にお願いする必要も感じなかった。

そうして、前回は

手術前にカミングアウトするなど、到底ムリ。

だと感じたが、今日は、

カミングアウトするなら、手術前だろう。

手術が終わって事後報告では遅すぎる。

気がした。一体、どんな顔をして報告するのか?何のための報告なのか?

 

こんなことを考えていたからか、自分でもテンションが落ちていた。それを見透かしたように、姉妹の一人から

「どうしたの?元気ないね」

こんふうに言われたのはがんになってから初めてだった。

思えば手術まで後一か月。どうすればいいか、導きを祈る。