「がん」という冒険(39)
5月が終わろうとしている。
来週には入院、手術…である。
こんな言い方は適切でないかもしれないが、
不気味である。
なぜに不気味かといえば、
平和すぎる。
問題がなさすぎる。
今まで壁のように立ちはだかっていた事柄が、次々になくなる。
たとえば、
・私が寝坊して昼近く目覚めてみると、大学生になったαは起きて大学に行っている。
・寮に入った大学2年の娘βは、実家に寄りつこうともせず、快適な寮生活を送っている。
・夫がαの入学金やβの入寮の費用など、私が立て替えた分を全額返済してくれた。
一般的には取り立てるほどのことでもないだろうが、私にとっては、どれも「夢のよう」なのである。
たとえば、双子の次女βは、高校から帰宅すると(部活をやってるわけでもないのに)そのまま寝る。夕食も入浴もせずに寝続けることも珍しくなく、そのまま翌朝まで寝て登校するも遅刻。高校の卒業式でさえ寝坊し、朝食を食べる時間がなく「卒業祝いの紅白饅頭を担任にことわって食べた」という逸話を残した。あれでよく大学に合格したものだと思う。
双子の長女αは、高3の秋、担任から受験どころか(数学の成績が悪すぎて)卒業できないかもしれないと言われた。理系のくせに2学期の数学が中間5点、期末が何と…0点。
学校側の温情(高校側としても、留年生というのはお荷物だろう)で卒業できることとなり、大学も奇跡的に合格したのが…入学金の納入期日をスルーしてしまい、「合格」はなかったことに。浪人となった。
何だかもう、対処のしようがないような、途方にくれるしかない娘達であった。
4月の私の誕生日には、いつものように午後になっても寝転がったままで、あまり腹が立って「今日、誕生日なんですけど」と自己申告したが、αは「何をしていいかわからない」、βは寝たまま…。隣のコンビニに行って酒と「台湾カステラ」を買って帰ったことはこのブログにも書いた。
それが、今年の5月4日、αが花束をくれた。
「カーネーションは『母の日』で、菖蒲(しょうぶ)は『病気が治る』ように…」
花束には「日比谷花壇」のシールが貼られていた。大昔、コンビニの売れ残りのカーネーションをくれたのも、確か小学生のαだったと思う。βよりは、人間味がある。
カーネーションは『母の日』で、菖蒲は『病気が治る』ように…。
母の誕生日に「何をしていいかわからない」――なんという違い。なんという成長。(^O^)/(^.^)/~~~(^0_0^(^O^)/(^.^)/~~~(^0_0^)(^O^)/(^.^)/~~~(^0_0^)
世の中には、親に心配や苦労をかけない「できた子ども」は少なくないだろう。しかし、「できた子ども」はいつ、親に心配や苦労をかけるかもしれないし、親が期待するほど「期待はずれ」もあるだろう。「できない子ども」はできないなりに、親を喜ばせることができるのだ。
αは入学した女子大のボランティアグループに所属して、庭の草花の手入れをしているらしい。今は、我が家で一緒にベランダ栽培をしている。
去年の今頃、
「今日から、おまえもうちの子だよ」
とαが言って、園芸店で一緒に買ったセール品のガーベラは花もついていなかった。何色の花なのかわからないまま一年が過ぎたが、連休中に腐葉土に植え替えたからか、赤い花が咲いて感動する。
半年に及ぶ抗がん剤治療は、抗がん剤治療自体には毛髪が抜ける以外の副作用もなく、担当医や病院にも恵まれて、快適に過ごすことができた。
一方、浪人生活のα(何も考えない)や大学生のβ(家では転がってるだけ)、誰に迷惑をかけることもなく抗がん剤治療を続ける妻を「ハゲババア」と言い放った夫(自分のことだけ)…には、消耗させられた。
家族4人の中で、私以外は誰も自主的に動かない。必然的に私が働くしかなく、私が動かないと何も事態が変わらないと思った。働きアリの法則で、私が働くから他の誰も働かないのか、私が働かなければ…どうなるのかはわからなかった。
今まで怒涛のような大波だったのが、潮が引くように静まって…。
嵐の前の静けさ???
それも…スリルがある。