「がん」という冒険(58)
<前回のあらすじ>
着物の着付けを習い出した私は、着付け教室の◆先生のお宅で行われる花火を見る会に双子の娘α、βと出かける。そこでβを見た先生の顔色が変わる。
浴衣持参で先生に着せてもらったところ、αと私は問題なかったものの、βは体格が「規格外」。普通サイズの浴衣を無理くり着せてもらう。
今年20歳を迎えるαとβは、来月に成人式の前撮り(成人式前に振袖姿の写真だけ撮っておく)を控えていた。それを承知の先生はβに言われた。
「前撮りまでに10キロ痩せなさい」
解散後、βは無言で寮に帰っていった。
その後、先生は繰り返し言われた。
「▽(私の本名)さんを見てたから、似たようなサイズだと思ってた」
βの体格は衝撃だったとみえる。
私もそうだが、着物や帯といった和装にはサイズというものがないように思っている人が多いが、そんなことはない。とくに、βのような「規格外」では特注品が必要らしい。
βは夫の管理下のもと、ダイエットに励むことになった。(私は感知しない)
どうしていきなり、私が着付け教室…なのかといえば、これは、何年かごしにわたる問題だったのである。実の母も義理の母も、着物をたくさん持っているが、もう着ない。一言でいえば、
私しか着る人間のない(実母に娘は私だけ。義母には息子だけ)着物が、ごそっ、とある。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
それも、実母も義母も着物が好きなわけではない。実母は、父が着物を好んだから。義母は着ることに興味はないが染めるのが好きで、染め物を習い続けた。αとβの振り袖も(頼みもしないのに)染めてくださった。祖母に染めてもらった振袖など、
有り難い。
だろう。しかし、私は聞きたい。
成人式終わったら、どうするんですか?
(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
義母の怨念、否、執念…否、思い入れ……のこもった振袖など、簡単に処分もできない。
重い。
もうひとつ、振袖に合わせる帯を選ぶのに義母と和ダンスを整理していると、しつけ糸のかかったままの藍染着物が出てきた。
「染めるのは好きだけど、着るのはもう面倒だし、どうでもいいの。この(しつけのかかった)まま棺桶に入れてもらおうと思ってたけど、令子さん、着てよ」
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
これは、強烈であった。遺言のようにも聞こえる。義母にはがんのことは話していないし、ウィッグにも気づかれていない(おそらく)。手術が終わって、術後の治療に通っているなどと知れば……どんなことになるか。想像するだに怖ろしい。
そんなわけで…引くに引けなくなった。
(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシ
そうして、無事に退院してがんも消えて、娘αもβも一人で稼働して手がかからなくなった。「嵐の後の静けさ」のなかで、着付け教室を検索した。ずっと祈ってきたことだった。
今の時代にも入学式や卒業式には和服で参列する母親はいる。いざという時、ささっ、と着付け出来て着こなせたら、何とも格好いい。しかし、
私には無理。向いてない。
横着で洋服もすぐ汚すし、歩き方も悪く、よくつまずく。転んで膝に穴をあけたズボンが何本あるか?
着物で転ぶなど、冗談ではすまない。
\(゜ロ\)ココハドコ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシ
ああ、怖ろしい。
しかし、考えても仕方ない。祈ってきたことだから、もう、主にお任せする。教養のひとつとして着付けを習ってみようか、と重い腰を上げたのである。
そうして◆先生の着付け教室に出会った。それは、誠に不思議な出会いであった。
ちなみに、お盆も寮で過ごすβであるが、寮の調理場がお盆休みに入り、食事が出ない。そこで、
断食モードに入り、梅干をなめている。
ということである。