「がん」という冒険(29)
「達者か?」
「達者だ」
4月9日、スーツケースに熊のぬいぐるみ、その他(ごちゃごちゃしたもの)…をもって家を出た双子の妹βが、もどってきた時の最初のやり取りである。
私からはいっさい、連絡を取らず、家を出て初めて電話で聞いた声が、
「もしもし、おかん?」(ちなみに、双子の姉のαは私を「母さん」と呼ぶ)
だった。βの声は穏やかで連絡を取っている夫やαからは、元気らしいと聞いていたから驚きはしなかったが、安心した。
寮は平日、一日2食で朝ごはんは6~8時、これを食べて毎日大学に通っているという。とくに問題はなく快適に暮らしているらしい。ホームシックどころか、カレーを食べて用事をすますと、さっさと帰って行った。誠に結構なことである。
一方、大学生になったαだが、入学当初は(私は朝、αを起こさないと心に決めた)目が覚めると12時で、叫び声を上げたりしていたが、徐々に慣れてきた。何よりも、
楽しそう。
である。俗に「お嬢様学校」といわれる少人数制のミッション系女子大だが、αには合ってるらしく、毎日、おしゃれして出ていく。高校までは、
朝、顔も洗わなかった。(βは今は洗っているのだろうか?)
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
そんなわけで、娘αβは、それぞれの道を歩き出した。やれやれ…である。
(私が)家を出たいと思わなくなった。
(-_-)/~~~ピシー!ピシー(-_-)/~~~ピシー!ピシー!!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
3月はきつかった。
2月で終わると思っていたαの受験が、3月1日の◇大の3月入試、合格発表、手続き……面倒なあれやこれや……があり、面倒なあれやこれや……をαもβも夫も……誰もやってくれないので、
全部私がやる。
ことになる。目の下に隈(くま)作りながら……。
もちろん、私が抗がん剤治療受けてることは家族みんな知っているが、抗がん剤治療から帰宅すると、
αもβも寝ている。(午後遅く)
夫は、ウクライナ戦争で資産運用が大暴落で、「何とかならんか?」とβの入寮の請求書だけ回してきた。
がんの担当医も医療スタッフも、皆、暖かく癒される。毛髪が抜ける以外の抗がん剤治療の副作用もなく、がんのストレスは感じない。それなのに…
α、β、夫……が、三人三様に私を消耗させる。
(-_-)/~~~ピシー!ピシー(-_-)/~~~ピシー!ピシー!!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
手術で入院することが、私の避難所。
そんな気もした。付き添いもお見舞いもいらない。
家族って、何だろう。
4月3日は私の誕生日で、例年通り、何も期待していなかったが、
午後4時になっても寝てる娘達。
憂さ晴らしのように、
「今日、私の誕生日なんですけど」
と言ってみた。
αは、「おめでとう」と言った。
βは転がったまま。
しばし待つも動きなし。
自分たちの誕生日はカウントダウンしているし、お祝いしてきた。「今日、私の誕生日なんですけど」と私が申告したのは初めてだった。とうとう、
「何もしてくれないの?」
と言った。花一本、ケーキひとつ、贈る気もないのか……?
αは、「何をしていいのかわからない」
βは転がったまま。
私は一人、隣のローソンへ行き、お酒と231円の台湾カステラを買った。今日の夕食は作らないことにした。
私の誕生日に自分でローソンで231円の台湾カステラ買ったことは、生涯忘れないからな。
ホテルで休みたい…と思った。
主に叫んだ。
そんな私の声を、主が聞き届けてくださったのか、と思う。
αが楽しく大学に通い
βが快適に寮生活を送り
夫が立て替えたお金を返してくれた
後は、穏やかな気持ちで手術の時を迎えたい。