入試(2)
今日も娘αの合格発表だった。気が重い。ことのほか重い。なぜかといえば、
私が一番、合格してほしい▼大学の発表だったから。
ちなみに、α本人は、信じられないことに、
行きたい大学がない。
と言う。従って、(私が言って)資料請求して取り寄せた大学案内は開いた形跡もない。受験校の下見も、
(家庭教師がイチオシした)大学一校だけ。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
行きたい大学がないのに大学に行くというのは、夫も私も大学を出ているし、妹のβも大学に入ったから、自分だけ高卒や専門学校は嫌なのだそうだ。受験勉強に身が入らないわけである。受験校は、αが家庭教師と相談した上で、夫と私の意見を取り入れた。
私が合格してほしい▼大学というのは、単に、
世間通りのいい(誰でも知ってる)大学。
というだけのこと。とくにこだわりはない。全国には実に700以上の大学があるらしい。αに行きたい大学はないと言われ、学力も大したことなく、どうやってαに最善の大学を探せばいいのか?
αにとって最善の道を主が整え、拓(ひら)いてくださいますように…
現役時代からずっと、「××大学に合格できますように」と祈ったことはない。
私の合格してほしい▼大学=主の選ばれた★大学
になれば問題はない。しかし、
私の合格してほしい▼大学<主の選ばれた★大学
の場合、私は感謝できるだろうか?
自分の思い<主の御心
というのが、信仰の原点であり、「自分の思いを捨て去る」訓練は、今までに何回もしてきたけれど、今回もそうなるのか?
幸い、滑り止め大学の合格をもらい、安くはない入学金(入学しなくても戻ってこない)を支払った。
「合格してほしい▼大学」に思い入れがあるわけでもないし、不合格でも大したことはない、とも考える。滑り止め大学が御心なら、それが最善なのだ。それでいいではないか?……心が振り子のように揺れる。
この日は▼大学の合格発表であると同時に、αの別大学の入試日でもあった。同時に、私はMRIでがんの進行の具合をみることになっていた。前回の抗がん剤治療(「がん」という冒険(19))は、最悪の状態で迎えたとブログに書いたが、今回のMRIは、それ以上にひどかった。具体的にひとつあげると、私は一昨日、夫から、
ハゲババア
と面と向かって言われたのである。口喧嘩とか言い合いとかではない。αの滑り止め大学に入学金を収めるのに、書類に記入していた夫が、
「(緊急連絡先?)クソババアのところでいいか?」
と独り言のように言ったので、
「『クソババア』って私のこと?」
一応確認した私に、
「違う。ばあさん(夫の母)のこと。あんたは『ハゲババア』」
「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」
言葉を失った。この人にとっては、おそらく悪気ではないのだ。私は何も言わず、
こういう人なのだ。
と思った。αの受験にまつわるストレスと受験料や入学金も多額に及び、その反動もあるだろう。ただし、私のがんにまつわることでは夫に負担も迷惑もかけていない。病院に付き添ってもらったこともない。むしろ、夫が仕事に集中できるよう、配慮してきたつもりだ。
今更、夫の言葉に傷ついたわけではないが、さすがに、「ハゲババア」は刺さった。面と向かって「ハゲババア」と言われたからには、これからの向き合い方を考えてしまう。どうしていいのか祈った。
この者を癒してください、慰めてください。
と祈った。そして、
夫が私に「ハゲババア」と言ったことを、主は聞いておられる。ご存じなのだ。
と思った。主の導きにお任せする。
そして朝、夫からαの試験場付き添いの件でメッセージが届く。「ハゲババア」のことなど、全くなかったかのような調子である。私が今日はMRIで病院に行く、と返信すると、
「いってらっしゃい。好転してるとよいな。ハゲ散らかした甲斐があるってもんだ」
と返ってきた。
(ハゲになるほど)抗がん剤治療を頑張ったのだから、その成果がMRIに出るといいな、という意味だろう。絶句するしかなかった。
この日、初めて私はαの受験用の弁当を作らなかった。
治療衣に着替えた私はMRIの中にいた。前回のMRIは、がんの宣告を受け、その広がりをみるものだったから、とても緊張した。
主にあって、しっかりと立てるよう、守り支えてください。
と祈った。主にしがみついた。今回は、抗がん剤治療半ばで、その経過をみるものだから、それほど不安ではなかった。正しい結果が出ることを祈る。
また、MRIの中というのは、祈りに適している。トンネル状の中でうつむきに寝そべり、ヘッドホーンをして30分余り。他の人のことも祈る。また、試験中のαのこと、合否のこと、夫のこと…。
今の自分はあまりにみじめで、ぼろぼろだった。ここへまた、「▼大学不合格」が来るのか?
それではもう、立ち直れないような気もした。