「がん」という冒険(19)
2月1日は、4回目の抗がん剤治療の前日だった。
病院は徒歩15分の近場だし、各種検査・診察・抗がん剤治療…と段階を踏むが、待ち時間がない。(待たされた、と思わない)予約はもちろん、しているが、これほど(大きな病院で)待たされないことは今までなかった気がする。(付き添いも含めて)
ドクターもとても素敵な女医で、患者に寄り添ってくれる。痛いことは何もない。したがって、抗がん剤治療といっても、ストレスはない。それでも、
抗がん剤治療の日が近づくと緊張する。(緊張することは悪いことではない)
そして、この2月1日は、抗がん剤治療前日としては、最悪ともいえた。
まず、浪人の娘αの入試日で、早起きして弁当を作らねばならなかった。作らなければならないわけではないし、試験場に向かう途中でαに買わせればいいことであるが、自分のなかに「子どもの弁当は作るもの」というのが刷り込まれている。
αが出かけ、大学の休みに入ったαの双子の妹βは寝ている。寝続ける。大学1年の夏休みを見事な「寝たきり」で過ごしたβを、この休み、どうしたらいいかと悩んでいる。午前10時半、洗濯物を干すように命じて、干したはいいが、また寝続け、夕方5時になった。今度は洗濯物を取り込むように命じた。「ええ加減に起きろ」と怒鳴る。「寝る以外にやることないのか?どうして、毎日毎日、私を怒らせるの!」感情的にはなりたくないが、感情を我慢しないで吐き出すことも必要だと思うようになった。我慢することでがん細胞が増幅しそうだ( ;∀;)
私ががんだということをβはもちろん、知っているし、明日が抗がん剤治療の日だということも言ってある。私は毛髪が抜ける以外の副作用はとくになく(室内では帽子をかぶり)、以前と変わらず日常を送っている。だからと言って19歳、もはや子どもではない。
こうも、のうのうと怠惰にしていられるものか?
この日は、
「私の言うこと聞けないなら出て行け」
とまで言った。αが受験で不在のため、遠慮なくやり合う。
そして、次には夫である。夜の9時半、明日のことで仕事場の夫にメッセージを送ったら、「寝ようとしているところを、どうして起こすのか?」と怒りの返信。なんでも寝込みを起こされたのは、昨日一回、今日はこれで二回目だと。そんなもの、こっちは知るはずもない。非常識な時間でもあるまい。しかし、自分は今、どれほど擦り切れて、消耗しているかを、メッセージで延々語る。
擦り切れて消耗してるのは、あんただけ???
言いたいところだが、言い始めると身もふたもなくなるので、こっちは忍耐するしかない。明日は、夫がαを試験場まで付き添うことになっているのだ。仕方なく、
「(寝込みを起こしてしまい)すみません」
と謝った。夫が、明日の抗がん剤治療について気遣う気配もなかった。
そうして、試験を終えて帰宅したαは、
うち沈んでいた。
早起きして作った弁当は残さず食べていたが、弁当箱は私が洗う。
その上、私は明日、αの弁当を作ってから病院に行くため、早めに寝ようとしたのに、そのため寝不足にしておいたのに、眠くならない。「眠らせてください」と何度も祈ったが、寝ついてもすぐに目を覚ます。そうして、夜中の1時半、トイレに立った私はβと口論になり、「一人になりたい」と言ったβに、「じゃ、外を歩いてくれば?」と私。今日も一歩も外へ出ていないβである。そうして、
「じゃ、そうする」
やけに素直に支度して、寒空のなか出かけて行った。
なんという一日だと思う。真冬の夜中のコロナ禍である。子どもではないし、変質者がいたとしても狙われるような外見ではない。(身体検査で「肥満傾向」)
それでも、帰って来なかったら…?
外でも歩いてくれば?—―などと言ったことを後悔することになるのだろうか?
もはや、抗がん剤治療どころではない。
予想外にβの帰りは遅かった。βの無事を祈る。私が傷つけたβの心を主が慰めてください、と祈る。夜中の2時半を過ぎて、私はβのスマホに電話した。と、即座に応答があった。
「今どこ?」
「あなたの部屋の前」(マンションの外ドアの前)
とりあえず安堵し、そのまま寝た。眠れないが、主に感謝して寝た。
結局寝たのは朝方の数時間で、とんかつを揚げてαの弁当を作った。αは私が起こし、慌ただしく病院へ向かった。
夫にαとβ、三人三様に私を消耗させる。なんともはや、よくも抗がん剤治療前日にこうも不幸が重なったものだと思う。この不幸が病院にまで尾を引かないようにと祈るばかりだった。血液検査を終えて、(他の検査はなし)女性外来のよしみドクターの診察を受ける。
「おはようございます」
がいつもの挨拶。
「お元気ですか?何か不調は?」
「大丈夫です。何もありません」
「それはよかった」
副作用というものを、およそ経験したことのない私は、抗がん剤治療を受けて、いつも通りいられることを不思議とも思わないが、そうでもないらしい。こうして、笑顔で医師と向き合えることは、きわめて幸運なことかもしれない。
前回、白血球の数値が低いために1本32870円(国民健康保険適用)の注射を打たれたが、今回はセーフで、ホッとする。その注射も副作用が色々あるそうだが、
「大丈夫でした」
何もなかった。ドクターに、
「『青銅の魔人』なんだな…と思って」
と言うと、ドクターはくすくすと笑われた。
「青銅の魔人」とは、双子妊娠しても「つわり」もなかった(双子妊娠の場合、つわりも倍加してつらいらしい)私に夫が言い放った言葉である。これをドクターに言った時、ドクターは返答に困り、絶句した後、
「それは多分、ほめ言葉だと思います」
と言われた。
そうして、8回にわたる抗がん剤治療の4回目を過ぎると、次から別の点滴薬を使う。その前にMRIでがんの状態をみる(評価を出す)と言われる。
「MRIで具合が悪くなったことは?」
「青銅の魔人なので」
ドクターは笑いながら
「ありがとうございます」
と礼を言われた。色々気を遣う職業なのだと改めて思う。そして、
「確か、娘さんが受験でしたよね?」
と聞かれる。がんの宣告を受けてから、浪人生の娘にがんのことをどのようにすれば(言う?隠す?)いいのか相談したのだった。「きちんと治療すれば完治するから、とはっきり言った方がいい」というのがドクターの意見で、そのようにした。果たして大正解だった。
「母親ががんということで落ち込むこともなく、無事に受験を迎えられたことに感謝しています。私の副作用が軽かったこともあると思いますが」
何より、多忙なドクターが、私の娘の受験を覚えてくださっていたことが驚きであり感動だった。ドクターは結婚して子どもおられる。(サイトで知った)お子さんの事情と関係あるのかどうかはわからないが、今年の共通テストの傾向などを語られた。
「カンニングもありましたね。仮面浪人の女性とか」
私が言うと、
「ああ、ありましたね。……かわいそう」
ドクターの夫もドクターで、そんな、おそらく挫折を知らないようなエリートが、カンニングを「かわいそう」なんて思うんだ…驚いた。本当に優しい人だと思うし、医師と母親の両立など想像もつかないが、いいお母さんなのだろう。
この日、点滴前の注射(少し痛い)を(血管にうまく刺さらず)3度刺されたことを除けば、とてもいいドクターとのコミュニケーションだった。
その後の抗がん剤治療も不具合なく、昼過ぎには病院を出た。薬局→ランチ→図書館→買い物して帰宅すると、βはまだ寝ている。βに干すように案じた洗濯物は洗濯かごの中、もう午後だが、βを起こして干すように命じた。βは起きて干すだけは干した。そうして、買い物をして今夜の夕食を一品、作るように命じた。
さて、夕食。
帰宅したαは、昨日とは打って変わっておおらかだった。試験について、
「わりとできた」
らしい。そうして、βは買ってきた大根と梅干で漬物のようなものを作った。夫の怒りも後を引くことなく、平和な夕食だった。
どうなることかと思ったが…よかった。