「がん」という冒険(53)
術後の抗がん剤治療終了から2か月が過ぎ、私のスキンヘッドはごま塩の坊主頭になった。数ミリだが産毛(うぶげ)のような毛が生えていて、お坊さんのような学生のような…なかなかにすがすがしい。酷暑のなか、暑苦しくない。さすがに、このまま外に出る勇気はないが、家の中では帽子もかぶらないことが多くなった。
と、夜、リビングでテレビを見ていると、風呂上がりの娘αがやって来て、つかつかと近づき、いきなり私の坊主頭を撫でた。そうして、
「この感触、結構好き」
とのたまう。
「…………………(*^-^*)…………………」
言葉もなく、しみじみとなった。平和だ。
抗がん剤治療の副作用は個人差で、だるさやめまい、吐き気、口内炎や発熱など…
それぞれの副作用に処方された薬がたんまりあったが、私はどれも飲まずにすんだ。
ただ、毛髪が抜ける副作用は100%例外なしで、がんの宣告を受け、抗がん剤治療の予告と同時にドクターから通達を受けた。いわば、
ハゲにならない方が異常なのである。
その通り、昨年12月から抗がん剤治療がスタートし新年を迎える頃には、道行く頭髪の寂しい男性に親近感を覚えるようになった。
ハゲ方にも個性がある。
ことを知った。私の身内には婚家もそうだが、不思議と誰もハゲてる人がおらず、
私がハゲ第一号
となってしまった。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
人生には「まさかの坂」があるのである。
ハゲについて真剣に考えたこともなかったのだが、
ハゲの道は深く険しい。
冗談や笑いで流せるものではないのだ。
がんを通して、ハゲについて学んだ。
(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
浪人生活を終えて、春から大学に通うαである。双子の妹βは今年大学2年になり、4月から寮生活を始めた。夫は仕事場にしている実家におり、私の入院中、αは一人だった。
一人の留守番は初めてである。夫には、敢えて手出ししないように言った。
入院の日、日曜でいつもなら午後遅くまで寝ているが、昼前に起きて病院まで送ってくれた。
コロナ禍で入院中は面会禁止である。手術が終わって電話した時、「寂しい」と言った。寂しくても、夫や私にSOSは出さず忍耐したらしい。
3泊4日で(予告なしで)退院し帰宅すると、αは不在で洗濯物も洗い物もゴミも……たまったまま。期待はしなかったものの、溜息つきながらそれらを片付けた。
私の入院中の留守番で、生まれて初めて「寂しい」というのを経験したらしい。
一緒に家にいても、会話らしい会話もしないが、「いる」と「いない」とは違うらしい。
入院前日に、
「私ががんになった時、どう思った?」
と聞いた。落ち込むようなこともない代わり、母を心配する気配もなかったのである。
「現実感がなかった」
なるほど、と思う。私自身「がんになった現実感が今もない」のだから、当然かもしれない。
ただ、母の髪が抜けて悲惨な姿になっていくのは、どのように感じていたのだろう???
αが今日も、嬉しそうに私の頭をぐりぐりと両手で撫でまわす。
「癒されるの?」
と聞くと、
「落ち着く」
「さわり賃もらおうかな?」
「お金ない」
「3分10円」
「それなら払えるけど。いらないでしょ?」
「いるいる」
何だか、貴重な10円のような気がする。
というような、なかなかない母娘の団らんである。
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