「がん」という冒険(50)

前回、「終わった」と書いた。

「終わった」と書いたもので、このブログも終わるのかと思われた人もおいでのようである。

手術は終わったが、ブログは続きます。

手術は確かに終わったのだが、もうひとつ、「終わった」と思ったことがあった。

私はもう、がん患者ではない。

がん患者からがん経験者になったのだ。

と思っていた。

それが、

私はまだ、がん患者であり、当分、がん患者だということがわかった。

術後、最初の診察で、よしみドクターから、このように言われた。

「手術は治療の山場ですが、終わりではありません」

「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」

確かに、これから再発を防ぐ抗がん剤治療や放射線治療が始まる。

手術でがんのない身体になっても、まだ再発のリスクは高く健常な身体ではないということらしい。そこががんの厄介なところなのだろう。

術後の治療計画については、「来週に病理の結果が出てから」ということであった。

 

そうして、翌週、病理の結果が出たのである。

切除したがんについての詳しい診断のようである。前回「まだ、がん患者である」というアテが外れた私は、「病理の結果」について楽観はしていなかった。

と、

「がんが全部、消えていました」

私は、とっさに意味がわからなかった。ドクターの顔が輝いている。「がんが消えている」というのは悪いはずがないし、ドクターが喜んでいるのだから、とにかく、

「ありがとうございます」

と言う。

抗がん剤治療、頑張りましたね」

つらい副作用と闘った記憶はないが、治療の全行程を休まず、処方された多量の薬も言われた通りに服用した。健康的な生活も心がけた。

それから、術後の脇の部分が腫れているので処置をしてもらうが、処置してもらいながら、私はぐるぐると考えた。

手術で切除した部位を病理にかけたところ、

がんはなかった。抗がん剤で消えていた。

わけである。これは確かに、

抗がん剤の勝利。

ではある。それで、手術は不要になった、というならわかるが、手術は予定通り行われた。

術後の、壮絶な痛みに耐えた。

わけではないが、

入院し、費用もかかり、手術の傷も残っている。

 

たとえ術前に、MRIでがんが消えていても、確実なことは開いてみないことにはわからないため、手術は行う、と事前に言われてはいた。

抗がん剤の調子はとてもいい、と聞いていたが、入院直前のMRIでドクターから「がんは消えている」という報告はなかったので、「消えていない」のだと思っていた。

処置が終わり、ドクターと向き合った私は、聞いた。

「手術してみないことには正確なことはわからない上で、手術で切除したものに『がんが消えていた』ということは、手術しなくてもよかった、ということですか?」

身もふたもない質問だが、素朴な疑問である。言いようによっては因縁をつけているようにも聞こえる。もちろん、因縁ではない。事実を明らかにしたいだけだ。

ドクターは、

「そうですね」

と言われてから、

「手術しないで、がんが消えていることを確認できることが、今後の医学の課題です」

なかなか、うまくいかないらしい。

ちなみに、私の最終のMRIには、「がんは少し残っていた」らしい。

 

私の場合、4月に

乳房の部分切除か全摘(乳房切除)か?

の希望をドクターから問われ、面食らった。

抗がん剤でがんは小さくなっているが、石灰化した細かいがんの広がりがあり、切除する部分は結構広い。

と診断された。

どれくらい切除するかは、開いてみないことには正確なことはわからない。切除する範囲が広ければ、「乳房変形」の可能性もある。

それならば、全摘で胸を真平にしてから、再建で理想的な乳房にする方が見栄え的にはいい。

結局、「部分切除の選択肢があるなら、部分切除で」ということにしたが、もし、「全摘」を選んだとしたら…。がんの消えた乳房を切り落としたことになる。再建したとしても、平常ではいられないだろう。

私の場合には、がんの広がりは想定内であり、部分切除で変形もなく守られたけれど、上記のような例はあるだろうし、もっと悲惨なこともあるだろう。

そんなことで悶々としたものの、帰りには、「がんが消えていた」記念に7色のレインボーケーキを食べた。

レインボーケーキ