「がん」という冒険(34)
5月11日は、8回にわたる最後の抗がん剤治療だった。
スタートは昨年、12月1日。前日の11月30日は義母(義母については前回の『がんという冒険(33)』参照)の誕生祝いに、花束をもって浪人生の娘αと義母宅を訪ねた。αの双子の妹βは大学があってNG。ケーキは夫が調達した。
花を選びながら、抗がん剤治療が始まるというのに、この余裕は何だろう?と自問していた。抗がん剤がどのようなものか、全くわからないし、何やら怖ろしい響きと雰囲気である。義母の誕生祝いは、毎年恒例でもなく誰に強制されたものでもないし、義母が切望しているわけでもない。私が言い出しっぺで段取りを組み、開催した。
「抗がん剤治療」といえば、私だけでなく、誰しもが少なからず恐れるものだろう。私だって、不安でないわけではない。考えると不安になる。
だから、考えない。考えても仕方ない。疲れるだけ。
結局、私はまぎれもなく、がん宣告を受けたがん患者なのだが、全く自覚がない。頭痛・生理痛・腰痛・肩こり…知らず、風邪さえ(5年に一回くらいしか)ひかず、双子妊娠なのにつわりもなかった(検索したところ双子の場合、つわりも二倍とあった)私を、夫は、
青銅の魔人
と言った。なかなかに適切な表現かもしれないが、半ば私をバカにしている。
それで一番、楽してんのはおまえやろう!
と言いたい。(「バカは風邪ひかない」とまで言われた)
そんな私が、よりにもよってがんである。ちなみに私の係累には、父方にも母方にも、見事なまでにがんを患った人がいない。
この時の私の心境をたとえるなら、
お尻にシッポが生えている。
なに言ってんの?そんなの、あるわけないじゃ~ん(^.^)
でも、鏡でお尻を見ると、生えてる。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
前振りが長くなった。半年前、乳がんの宣告を受けた私は、全く自分事とは思えなかったのだが、要するに、半年経った今も、がんの自覚がない。
「がん」色に染まっていない。
(^.^)/~~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(≧▽≦)(^.^)/~~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(≧▽≦)
自分でも信じられない。私は決して活動的な人間ではなく、面倒くさがり屋の無気力人間だった。
抗がん剤治療が終わり、
あの、苦しい治療を耐え抜いた。
というのは全然なくて、
すべてが恵みであり、感謝に尽きる。私は何もしていない。
そんな抗がん剤治療の幕引きであった。
書きたいことがありすぎて、具体的なことは近々次へ…。