「がん」という冒険(51)
手術で入院する前、
もう、ここへ帰って来れないかもしれない。
と真剣に思ったわけではない。思ったわけではないが、
頭をよぎる。
その時のために娘達に手紙を残そうか。
と考えた。
「万が一、私が帰って来ない時に開いて」
と言って、留守番するαに手渡すのである。
遺言。
言い残すことはひとつだった。
どうしようか、と当日まで迷った。
結局、大げさな気がしてやめたのだが…。
何を書こうとしたかというと、
ハゲのまま、棺桶に入れないでね。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
抗がん剤治療による脱毛…。それは治療末期になると、眉毛やまつ毛まで抜けて手足までつるつるになった。手足のつるつるはエステに行ったようだが、
スキンヘッドに眉毛なし。
は鏡を見る度、自分でも怖かった。
それが、8回目の抗がん剤治療が終わり(5月11日)、入院・手術を経てひと月も経つと、
つるつる頭がごま塩に。
スキンヘッドが坊主頭に。
なっているではないか(*^▽^*)
眉毛とまつ毛も生え出している。
生命力ってすごい。
ちょっとした感動であった。
この日、術後診断で病理の結果が出て、
抗がん剤治療で「がんが全部消えていた」というのが、喜ばしいことなのか複雑微妙ではあった。「がんが消えているかどうか」は、たとえMRIで消えていたとしても、手術で開いてみないことには正確なことはわからない、と前もってドクターから聞いていたから、「がんが消えているのに手術された」ことに対する文句はない。
また、抗がん剤でがんが残っていたならば、「手術したかいがあった」というのでもなかろう。
確かに、8回に及ぶ抗がん剤治療で「がんが全部消えていた」ことは、喜ばしい。しかし、手術が行われた上で、「がんが全部消えていた」ことがわかったことは、患者にとってそれほど喜ばしいことだろうか?
私の左の乳房と脇の下には、それぞれ5cmほどの傷跡が残っている。まさか、
傷者になった。
という気はないが、これが、若かったり、未婚女性だったら…やはり痛ましいだろう。
自分の娘を想像したら…、「痛ましい」どころではない。
などと、多少、感傷にふけりつつ、レインボーケーキを食べてから、私は初めてのウィッグを購入したサロンに向かった。
6か月後のメンテサービスである。
初めてのウィッグを購入した時には、1回目の抗がん剤が終わった直後でまだ髪はあった。余裕をもって前倒しで用意しようと思ったのである。
ウィッグ処女の私は初心(うぶ)であった。試着でかぶったウィッグの価格に目を回し、
「予備でふたつはもちたいので、10万以下で」
と言ったら、100000円のをもって来られた。多少、腹も立ち、カタログを見せてもらい、
最後から2番目に安い。
のを選び装着した。なかなかいい。最後から2番目に安い、と言っても、十分ええ値段である。(と、ウィッグ処女の私は思った)
あれから半年、ウィッグ非処女の私は知っている。
メンテサービスというが、メンテに出すには、メンテに出してる間にかぶるウィッグが必要で、それを当て込んでいるのである。(おしゃれの場合には必要でもないが、私の場合にはなくてはならない)
もっとも、私は2つ目の(1つ目よりはるかに高額の)ウィッグを(このサロンではないところで)購入し、それをかぶっていた。
だから、ここで3つ目のウィッグを買うことはないし、勧められても断ればよい。
しかし…。
私には、ある決断があった。
このチャンスを逃したら、次はない。
思い付きではない。もうずっと前から、それは、ウィッグデビューする前から密かに思っていたことだった。
私は店員に言った。
「金髪のが欲しいんですけど」
「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」