「がん」という冒険(23)

3月が終わる。

いきなり◎大の3月入試から始まった3月は、4日に発表があり、入学金の手続きなど、やたらあわただしかった。

娘αが行く気になっていた追加合格の◇大学だが、いまだに「合格」の電話はない。

◎大の「合格者見学ツアー」ですっかり◎大が気に入ったαは、

◇大に合格しても◎大に行く。

と心が決まったことで、すべて解決した。今さら、◇大の合否はどうでもいいが、αの心が、

◇大>◎大

のままで、◇大からの電話を待ち続けていたかもしれないことを思うと、怖ろしい。

お金も◇大に合格をもらって入学することになれば、◎大に払った入学金25万は返ってこないから、それもよかった。

「なるべく、無駄なお金を払わずにすみますように…」

と祈り会の姉妹方も祈ってくださり、祈りはすべて聞かれたわけである。

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αの受験が無事に終わったものの、私は消耗していた。がんとは別のことで消耗していた。

6回目の抗がん剤治療、がんの腫瘍がかなり小さくなっているという検査結果で、ケーキを買って帰ってもいいかな、とも思った私だが、

娘達が起きている保証はない。

朝、8時過ぎに出かけた時には2人とも寝ていた。帰宅したのが16時、

果たして、2人とも寝ていた。

(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

朝、洗濯物を干す時間がなかったので、洗いあがった洗濯物を洗濯かごに入れ、廊下に出しておいたが…そのままである。

というわけで、私が病院から帰った第一声が、

「洗濯物干せ~」

だった。

 

今日が抗がん剤治療であり、今後の手術の予定なども、娘達には話したが、

一向に意に介する(気にする)気配もない。

今年20歳になる娘達である。

「お帰りなさ~い」と出迎えて、「何か飲む?」くらい言ってくれてもよさそうなものではないか?

病院のドクターや医療スタッフは、ことのほか優しくて親切な気がする。

他人はこんなにねぎらってくれるのに……。

夫など、私のがんについて一切、何も聞かない。

11月のがんの検査結果(がんかどうか)を聞く日、診察室に入った私は、

「お1人ですか?」

とドクターに聞かれた。それで、なるほど、こういうものは夫婦で聞くものなのかと思ったものである。以来、夫は主治医の顔も知らないままだし、私の手術がいつ頃なのかも聞かれたことがない。ちょっと怖い。

 

ともかく、娘αは大学が決まり、新しい門出である。「行きたい大学がない」と言っていたのが、何やら楽しそうである。

一方、何とか大学2年になれるらしい娘βは、

一日中、転がっている、動かない。(スマホ見ている)

何かさせねば、と用事を言っても動かず、しびれを切らせて怒ると、

「後で…」

私はもはや限界に近かった。一緒に生活することがストレスなのだ。

「私ががんで死ねばいいんだよね?」

とまで言った。

今のところ、あと2回の抗がん剤治療を終えて5月に入院・手術の予定だが、

やっと一人になれる。(解放感?)

気分なのである。

それが…

いきなりβの入寮が決まった。

私が口うるさいからか、「一人暮らしがしたい」と言い出したβと夫の間で決まったようで、私は相談も受けなかったが、逆にありがたかった。

「最後の一部屋をおさえた」

と夫からメッセージをもらった時、

主がこのことをしてくださった、ことを覚え、感謝した。

一日2食で個室らしい。

朝ごはんに起きられるのか?

に始まって、家の風呂には2時間以上入っている(寮の風呂は共用)し、「?」だらけだが、心配はない。

主が、βをどのように変えてくださるのか…(≧▽≦)

 

娘達の旅立ちの春である。