「がん」という冒険(4)

たとえるなら、

自分は男なのに、女装して女のようにふるまっている。周囲は誰も疑わずに自分を女だと思っている。それが面白くて仕方ない。

そして、

ここで自分が、実は男なのだとカミングアウトすればどうなるか?

実際にカミングアウトすれば、周囲の誰もがあっけにとられ、座は静まり、面白くもなんともない。だから、カミングアウトせずに、カミングアウトを想像して楽しむのである。

適切なたとえではないが、私がウィッグ(かつら)をつけて祈り会に参加する心境は、かようなものであった。がんなどとはおくびにも出さず、いつも通り明るくあいさつし、席についた。

ウィッグの私を見た姉妹(=女性信者)達は印象の変わったことに驚くも、「美容院でイメチェンしたの」といえばふうん、とうなずき、「心境の変化?」「思い切ったね」「若くなった」とか言う。クセの強い黒い髪をストレートの茶色にしたから、「別人」らしい。

先週、この祈り会の帰りにサロンでウィッグを買い、今日、つけて行った。髪はまだ抜けていないが、来週にはおそらく、かつらを必要とする頭になっている可能性が高い。いざ、抜けてからでは意気消沈して祈り会など行く気を失っているかもしれないし、また参加しても姉妹達の反応を楽しむ余裕などないだろうと思い、前倒しで装着してきたのである。誰も、これが「かつら」と思わないようだ。

かつらを地毛とごまかしているうえに、これは抗がん剤治療の副作用のためのかつらなのだ。そんな大胆な隠し事をしていることが痛快で、私はいつもよりテンションが高かった。

今日の祈り会の出席者は6人。祈り会というのは、イエス・キリストを万物の創造主であり、救い主とあおぐ信者同士がつどい、ともに祈りを捧げる集まりである。毎週金曜に行うこの祈り会は、10年以上続いている。

何を祈るかといえば、自分の幸福や夢の実現…などは、あまり祈らない。家族や身内、友人、知人の救い(イエス・キリストを信頼して受け入れること)や悩み苦しんでいる人達の癒しや平安を祈るのである。したがって、会ったことのない人のことも祈る。私の場合、どれほど親身に祈れるかは疑問なところもあるが、とにかく祈るのである。

姉妹のなかには、出てくる人の名前をいちいち書きとめ、リストにしている人も少なくない。

そんな祈り会では、病気はよく登場する。なかでもがんは多い。名前しか知らない人のがんのステージ、転移、末期……はいつもある。無論、亡くなることも。

名前を知っている兄弟姉妹(男性・女性信者)ががんになった、というのもよくある。3人に1人ががんになり、2人に1人ががんで死ぬ、などといわれているのだから当然だろう。

そのようななかで、抗がん剤治療者が祈り会のメンバーにまじっていたら、

やりにくよなぁ。

と思う。だから黙っているわけではないが…。

なぜ、自分ががんになったことを黙っているかといえば、

心配も同情もされたくない。

今まで通りの自分でいたいから。

自分も今まで、悩んでいること、心配なことには「お祈りください」と言ってきた。しかし、今回、がんになったことで悩んだり心配したりということもなく、不思議なほど充足している。

祈りは間に合っている。(自分の祈りが聞かれ満ち足りている)

したがって、この祈り会の平安を乱す必要はないだろう。そうして、今月から半年続く抗がん剤治療。これからどのような副作用が出て、いつ祈り会に行けなくなるかもしれない。そう思えば、祈り会をさぼる気もなくなり、参加できることが感謝である。

抗がん剤治療を終えて、入院・手術になれば、さすがに祈り会には出られまい。どうするか?別の口実で休む手もあるし、洗いざらい打ち明ける手もある。何が最善なのか、祈っていくしかない。

ともかくも、いつまでこうして、姉妹達をだましつつ、祈り会に通えるのか…想像するのも楽しい。