「がん」という鍵(5)
さて、がんの診察(検査)を受けてから一か月、がんの宣告を受けてから二週間が経つのだが、全くといっていいほど、私の生活に変化はない。
痛みがないためだけでなく、精神的なダメージを受けていない。いつも通り、「ハーベストタイム」のメッセージを聞き、カーブスに通い、買い物に出かけ、料理する。zoom礼拝や祈り会、図書館やエステに出かける。ウェブで記事を書く仕事はコロナでお休みとなったため、締め切りもない。
自分はがんなのだ、と思う。
え…?まさか…?
受け入れられないのとは違う。どうにも、自分にそぐわない。しっくりこない。最初、医師から「がんです」と宣告された時に感じた、とってつけたような違和感が、今もなお、続いていた。それは、神経を包み込むオブラートのようなものかもしれない。たとえるなら、お尻にしっぽが生えたような感覚である。信じられないけれど、お尻を触れば確かにある、みたいな。
だからといって、がんを忘れているわけではない。がんになったことを、話すべき人には話さなければならず、それを、いつ、どのように切り出すのか…、いつも考えていた。そして、CT(がんの転移)とMRI(がんの広がり)の検査を終え、担当医とも相談し、私は娘達にがんを報告することになった。
事前に夫に、CTとMRIの検査を終えたこと。幸いにもがんの転移はなく、がんは初期のもので命に別状はないことを話した。娘達、とくに、浪人中で来年、大学入試を控えている娘αには、いつ、どのようにがんを告げるか、夫と相談することになっていた。しかし夫に相談する前に、担当の女医先生に相談して決まってしまった。
つまり、私のがんは初期のもので、きちんと治療すれば完治するから大丈夫、と早いうちに言っておいた方が、あいまいにごまかして後(入試前)でばれるより、いいだろう、というものだった。
この件について夫に異議はなく、さっそく、娘達に話すことになった。
実はこれより前、私はがん宣告を受けてから、双子の娘の妹、大学1年のβには、
「ちょっと検査でひっかかって、病気になったみたい」
と前振りをしておいた。いきなり「がん」というより、前置きしておいた方がいいような気がした。およそ神経質ではない、「我が道を行く」β(夏休みを「寝たきり」で過ごした)の反応を見てみたいとも思った。ちょうどタイミングよく、2人で台所に立つ機会があった。
「何の検査よ?」
「(思い迷う)血液の…」
「どんな病気よ?……がん?」
「………………………( ;∀;)………………………………」
何の根拠もなく、あてずっぽうに言ったに過ぎない。
「具体的なことは、これからの検査でわかる。ややこしいことになったら、αは受験生なんだから、あんたが柱になって家のこととかやってよ」
具合の悪い母の姿など見たこともない娘は、さすがに思うところがあったらしい。
「何か……これから運命が変わるみたいな、奇妙な雰囲気を感じるな」
なるほど、そんなものかと思う。確かに、娘達の「人生の転機」になるのかもしれない。
「(姉の)αは受験勉強だし、変な心配はさせたくないから、βだけに言った」
「でも、なんとなく話してみる」
まぁ、いいか…と思う。間もなく、βはαに「母が血液の検査でひっかかって~」と話したようだが、αは意にも返さなかったようである。
そして、この日、私は「大事な話がある」と娘達をリビングに呼び出した。
話す前からβは、何やらニヤニヤしている。照れ隠しなのかもしれない。私は言った。
「病気がわかりました。がんになりました」
βのニヤニヤは変わらず、αもとくに表情を変えなかった。
「でも、がんは初期でちゃんと治療したら治るので心配はいりません。これから抗がん剤治療で髪の毛が抜けてカツラになるかもしれないけど、笑わないように」
がん……。母親ががん!!!
という愁嘆場を期待したわけではないが、少しは、衝撃が走るのではないかと思っていた。もちろん、私はいつも通りだったし、笑っていた。それでも、βよりは普通で、感受性もあるαは、泣き出すかもしれないと思った。しかし、それもなかった。
後は夫が、私ががんに動じていない様子に驚き、助かった、という胸の内を明かした。それ以降のことは覚えていない。
「母親のがん宣告」—―どうなることかと案じたが、守られた。
娘達は部屋に戻り、私はカーブスへ出かけた。
「いたわってよ」
と部屋に声をかけた。
「(がんが)悪化したら、あんた達のせいだからね!」
私が今まで通りでいることが、娘達への安心感につながるのだと思う。
明日から、抗がん剤治療が始まる。