「がん」という鍵(4)
毎日、起きたら必ず体重を計っている。CTとMRIの検査の日、体重は50・2キロだった。ここ数日で2キロほど減ったことになる。がん宣告を受けたものの落ち込むこともなく、いつも通りに過ごしてはいたが、さすがに食欲は落ちた。とくに、
がんの転移を考えると怖い。
左胸のしこりに気づいたのが今年の2月、「早期発見・早期治療」といわれる乳がんでは、進行が進んでいたとしてもおかしくない。その上、触ったところでは、しこりは結構大きいような気がした。
何が怖いのだろう?
やはり「転移」だった。もう若くはないし、結婚して子供も産んでいるから、手術跡や
全摘手術になって乳房を失うことになったとしても、あきらめはつく。ただ、他の臓器に転移していたら…怖くなって考えるのをやめた。
胸のしこりに気づきながら、検査を伸ばし伸ばしにしていたのには、「検査しない」「治療(手術)しない」という近藤誠の「がん放置療法=何もしない」が念頭にあった。がんを治療(手術)することでがんを逆に刺激してしまい、がんを繁殖させるというのは理屈に合っているように思えたし、がんの顔をして実はがんではない「がんもどき」(これが多い)というのも説得力があった。しかも、近藤氏はあの慶応病院で長く医師として臨床に携わり、「医者はがんの手術がしたい!(金になる)」などと声を大にして言えるのは、相当なものである。著書を読めば、がんで亡くなった有名人を具体的な例として挙げ、自説を主張する。こんな、医学界を敵に回すようなことがよくできるものだと驚くが、それで菊地寛賞を受賞し、「近藤誠のせいで、がんを治療しないまま、死んでしまった」という訴訟を聞いた覚えもない。もちろん、亡くなった本人は訴えようもないから、遺族が訴えを起こすのである。
そんなわけで、胸のしこりを自分では検査するかしないか、答えを出せず、「導いてください」と主に祈り続け、検査することとなった。そして、乳がんの宣告を受けた。
がん宣告を受けても「治療しない」という選択はあったが、主治医として出会った女医先生が素敵な人で、「一緒に治療しましょう」と言われ、これを拒むすべはなかった。(一応、先生に「近藤誠」のことは言った【「がん」という鍵(1)】)
そうして、医療衣に着替え、薬剤を打たれてMRIの中に入った。よく耳にはするMRIだが、経験するのは初めてである。今まで、
すべて主の御手から受け取ることができますように。
と祈ってきた。そして今まで、その祈りには応えられた。だが、もし、がんが身体のあちこちに転移していたら…。受け入れられる自信はない。そうして、
主の前にしっかりと立てますように。この者を守り、支えてください。
と祈った。
朝の9時半に病院に入り、MRIとCTの検査を終えて、乳腺外科の待合室にいたのは昼前だった。担当の女医先生に名前を呼ばれる。
「あれ、お1人ですか?」
誰も付き添いのいないことが珍しいのだろうか?検査に付き添いは必要ないし、検査当日に結果が出るとは思っていなかった。今日は、今後のスケジュールの確認などを行うものだと思っていた。女医先生は多少、戸惑われた様子で、今後の「抗がん剤治療」について説明された。どのような薬剤を用いるか…など。そして、がんの転移がわかるCTについて、画像を見せながら、
「他の転移はありません」
「…………………………………………(^^)…………………………………………………………」
それから、抗がん剤治療は12月1日からスタート、3週間ごとに行い、通院する。
「(抗がん剤治療は)つらいんですか?」
相当前の記憶だが、『煮え湯を浴びせられるような』痛み…などと読んだ覚えがあり、これも怖くて調べる気力がなかった。
「個人差もありますが、吐き気やだるさ、毛髪が抜けたり、爪が生えにくくなったり」
「私、体質的に副作用などには強いみたいで。双子妊娠で、双子の場合、つわりも大変らしいのが、いっさいなくて…。夫から『青銅の魔人』と呼ばれました」
女医先生はしばし、絶句した。そして、
「それ(『青銅の魔人』)は多分、誉め言葉だと思います」
女医先生の戸惑いを見ながら、変なことを言ってしまった、のかと思う。そして、
「つわりが軽かった方は、抗がん剤治療の吐き気も軽いという統計はあります。ただ、毛髪は抜けます」
抜けても、抜けっぱなしではなく、やがて生えるのだから、それはもう、かつらでカバーするしかない。そして、女医先生は言われた。
「前回より明るいですね」
前回といえば、「がん」の告知であった。覚悟はしていたものの、やはり「がん」と言われて明るいわけはない。動じず冷静にいるだけでやっとだった。
「(明るいのは)転移がないとわかったので」
気がかりだったCT(転移)の結果は明らかになったが、MRI(がんの広がり)の結果については知らされていない。それについては、まだのようだった。
ここで私は、ずっと悩んできたことを女医先生に相談した。
「今回のがんについて、娘達にはまだ話していなくて、来年受験を控えている娘の方には、入試まで「がん」ということは伏せておきたいのですが、どのように説明すればいいのでしょうか?」
来週から抗がん剤治療が始まり、来月の半ば頃には毛髪が抜け、かつらや帽子のお世話になるらしい。生活を共にする娘達に隠しおおせるものではないだろう。
女医先生は試案しながら、
「今、大学に通っている娘さんには「がん」を通知して、2人で何とか(浪人生に気づかれないよう)お芝居する、というのは?」
「(大学に通っている方は)それほど大人ではないので」
しばらくの間。そうして、
「『きちんと治療すれば治るから、大丈夫』とはっきり言われた方が、間際になってわかるより、いいのではないでしょうか?」
確かに、これだけ情報が氾濫していては、いつどのようにして「がん」が発覚してもおかしくはない。
「今なら、まだ心の準備をする時間がある、ということですね?」
先生はうなずかれた。確かにそうだと思う。たとえ、「母親が『がん』」でも、「きちんと治療すれば大丈夫」と元気そうに普通にふるまっていれば、そのうち不安もなくなるだろう。
「私のがんは、初期ということですか?」
「はい」
MRIの結果(がんの広がり)を聞いていないことに対する不安はあったが、他に転移がないということは、がんの広がりに対しても、それほど大したことはないのか、と自分で決着をつけた。
最初、この先生と対面した時には、おそらく30代、綺麗な先生だな、という印象だったのが、この日には、包容力がある、頼もしい、たとえるなら「ソフトボール部の主将」のような体育会系の逞しさを感じた。40代だろうとも思った。
そこへ付け入ったわけでもないが、私は言ってしまった。
「『抗がん剤治療』を調べたら、『抗がん剤』=『増がん剤』『向がん剤』という指摘があって…近藤誠の流れだと思うんですけど」
先生は黙った。困った顔をされた。「がん」にダメージを与える治療が、身体にダメージを与えないわけはない。要は、患者の側の選択である。私は言った。
「もうそれ(『抗がん剤』=『増がん剤』『向がん剤』)は置いといて、先生を信頼しますので、よろしくお願いします」
「信頼」という言葉は、イエス様を知ってから、イエス様以外には使えなかった。自分は無論、人を信頼などできない。人は裏切る、裏切られる…。それは、自分を見ていれば明らかだ。ただ、この時、この女医先生を通して、イエス様が働いてくださると感じた。この女医先生には逆らえないと思った。
「信頼してください」
女医先生は言われた。重い言葉だ。信頼されれば、裏切ることはできなくなる。
「先生が手術してくださるんですか?」
「その予定です」
外科手術を行う…それは、体力的にも精神的にも大変なことだ。
「大変なお仕事ですね」
「他の仕事と同じです」
感動した。この先生を信じる。