「がん」という冒険(15)
3回目の抗がん剤治療について、書かなかったことを付記したい。
実はこの日、新たな展開があったのである。
ひとつは、「ステージ」である。がんの進行具合でよく耳にするが、具体的なことを私はドクターから聞いていなかった。MRIを撮った時点(11・24)でわかっているはずなのだが、ドクターの口からは聞いていない。ただ、「転移もなく初期」とは言われたので、それ以上は聞かないままだった。
ステージが低ければ、ドクターの方から言うだろう。
と思っていたから、聞けなかった。「転移もなく初期」ならば、それでいいだろう。余計なことを聞いて、変な詮索をするのも嫌だった。とはいえ、
気にはなっていた。
そうしてこの日、医師の口から抗がん剤治療が効いて、しこりが1割ほど小さくなった、と聞き、私はステージを聞いてみた。
「ステージは、2bです」
分類上は1~4(それぞれaとb)で、
「それだけ聞くとちょっと気になるかもしれませんが…」
「ステージはあまり気にしなくていいとか…?」
アテにならないと何かで読んだ覚えがあった。
「そうです」
しこりの大きさは、およそ3cm。そら豆くらいの大きさか?
次に、しこりが1割ほど小さくなっていると聞いて、
「自分でしこりに気づいたのが去年の2月で、検査を受けたのが11月、その間にがんが大きくなったということは…?」
がんとわかってから、ずっと気になっていたことだった。
「ありえますね」
「もし、しこりに気づいてすぐに検査を受けていたら、もっと初期の状態で見つかったんでしょうか?」
後悔ではないが、確かめておきたかった。
「そうかもしれません」
「…………………………………………」
「でも、その期間に大きくなった分くらいなら、抗がん剤でクリアーできるでしょう」
心強い答えだった。
抗がん剤治療を手術の後にする場合もあり、その違いについても聞いてみた。それは私の乳がんのタイプによるもので、抗がん剤治療の効き目が未知数だったが、今のところとてもよく効いている。
最初、風呂場で胸のしこりに気づいた時、大きいな、と思った。大きい、から逆に、がんではないような気がした。また2月ということで、娘達の受験で大騒ぎだった。
ひとまず落ち着いてから。
受験が落ち着いても、病院へ行く決心はつかなかった。前にも書いたが、私はがんの検査から治療・手術など何もしない、近藤誠のささやかな信奉者であり、早期発見・早期治療でがんを克服したとしても、がんの転移や再発におびえる人生に抵抗があった。
ただ、祈った。どうしていいのかわからずにどうしていいのか教えてください、導いてください、と祈った。
そのなかで、私が「がん」かどうかの問題は、私だけの問題ではないと気づいた。そうして、
「がん」なのか「がん」でないのか、はっきりさせたい。
という思いになり、検査の予約を取ったのである。
従って、胸のしこりに気づきながら放置した9か月間は、主にゆだねて、祈っていたのである。
だから、
放置した9か月間に大きくなったがん細胞が、抗がん剤治療によって帳消しにされる、というのは、誠に、祈りの応えであり、イエス様が祈りに応えてくださったのである。
それだけではない。私は気づいた。
もし、祈らずに9ヵ月も待たずに私が病院へ行き、がんとわかっていたら…。
大まかな計算である。
受験が終わった3月に、私が来院してがんとわかり抗がん剤治療を始めたとしたら、抗がん剤治療は半年が基本らしいから、9月頃に手術・入院。
半年後の8月に来院したなら、おおむね2月の手術・入院。いずれにせよ、
浪人することになった娘αの受験とばっちりかぶる。
そうなれば、私もαも、治療や受験どころでなかっただろう。
胸を撫でおろす思いだった。
今のところ、抗がん剤治療は6月まで続き、それから手術・入院である。
振り返れば、がんの宣告を受けてから、浪人生αへの告知をドクターに相談したのだった。母親ががんと知って、αが受験勉強に取り組めるだろうか?
受験が終わるまで黙っているという選択(毛髪が抜ける→ハゲになることは隠しようもないので、考えてみればこれはムリ)もあったが、よしみドクターは、
「きちんと治療すれば完治するので、(αには)はっきりそう言った方がいいのでは?内緒にしておいて、試験前にわかったりするより、いいと思います」
よしみドクターは母親でもある。そして、その見解は大正解だった。
思えば、仮にも「母親ががん」なのに、わき目もふらず(?)受験勉強を続け、先週、共通テストから元気に帰宅したαは、ただ事ではない。
ただでさえ、不安定になる受験生(浪人生)、主が守ってくださったとしか、思われない。
すべてのことに主が働かれ、守ってくださっている。
すべてのことに、感謝……。