「がん」という鍵(1)

乳がんの検査を受けたことを家族にも言わなかった私が、ブログに書いた。

「まな板の鯉」(1)(2)を書いた時には、検査の結果はわかっていなかった。

白(良性)と出るか黒(悪性)と出るのか、もし、悪性と出たら、冷静にブログ更新できるだろうか、という懸念もあった。悪性=がんの宣告を受けて、本当に、信仰があるからと、平安でいられるだろうか?

がんの宣告など、受けたことがないから、わからなかった。

しかし、11月16日、私は病院の診察室でがん、乳がんの宣告を受けた。

自分でも不思議なほど、冷静で、平安といってもいい。

これは100%、万物の創造主、私(たち)に永遠の命を与えてくださるイエス・キリストの信仰によるものである。

この、稀有な経験を書き綴っておきたい。

 

2週間前の検査の日と同じように、結果結果を聞く当日も晴れ上がっていた。それだけでも感謝だった。何を着て行くかやたらに迷い、お気に入りの「お出かけモード」で出発する。徒歩15分ほどの近場だけれど。

「どのような結果が出ても、主の御手から受け取ることができますように」

検査結果を待つ2週間も、それだけを祈った。良性であればいい、とも思わないし、だからといって、悪性(がん)の自分がどうなるのか、は想像もつかなかった。

すべては主の御手の中

検査の日とは違い、ほとんど待ち時間はなかった。名前を呼ばれ、診察室に入室する。おそらく30代の素敵な女医と、その後ろに前にはいなかった比較的若い男性医師が控えるように座っていた。

「前に検査を行ったのですが、結果が出て、乳がんでした」

前振りもなく、(普通はどうなのだろう)言われる。

ショックではなかった。ただ、リアル感がまるでない。言ってみれば、

とってつけたような。芝居がかった。

という感じである。私の周囲にもごろごろいるような乳がん、そういうものに自分がなった、というのがピンと来ない。同じ悪性でも、もっと特殊な、まれなケースなら合点がいったのかもしれないと思う。そこで、

これは、イエス様から与えられたのだ

と直感した。

そんなことはどうでもいい。長い髪を後ろにまとめた綺麗な女医は、

「一緒に治療していきましょう」

綺麗な人は男でも女でも、綺麗なことを鼻にかけない場合には、好きなので、

はいはい、よろしくお願いします(^。^)y-.。o○

と思う。

「これから、抗がん剤治療・手術・入院の段取りを踏みます」

抗がん剤治療

聞き慣れてはいるが、恐ろしい響き…。それを、私が受けることになるらしい。その上、

抗がん剤治療では毛髪が抜けるので、カツラや帽子が必要になります」

「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」

私の知り合いに、がんではないが、精神的ストレスで全身の毛が抜けた、という女性を2人知っていた。私は昔から髪は多い方なので、想像もつかないが、

そういう経験をするのか( ;∀;)

娘達がどういう反応をするのかと思う。

「ステージは?」

がんの進行具合であるが、これは、これからの検査によるらしい。今日のところは、胸のしこりが、白か黒かの黒、悪性、がんであったというところまでである。

「私もいつ、乳がんになるかわからないし、最近は本当に医学も進歩していますので、一緒に治療していきましょう」

医師になれるくらいだから、優秀な頭脳をもち、その上、綺麗で、その上、このような(自分本位でない)患者の心に沿える対応ができる…という、若い女性医師。このような人が担当してくださって、本当にありがたいと思う。例えば、

感じの悪い、一方的な医師

だったら、(結構いる?)どうなっていただろう。

この若さで、がんの宣告などしたくないだろう、とも思う。

一緒に治療していく

というのも、相当なストレスだ。私の命に責任を負うのである。医師は、私の生活や家族のことも質問した。

そうして、私は、

「人間は死から逃れることはできないので、『がんという死に方』もあると思います。がんは余命もわかるし、残りの人生の計画を立てることもできます」

「コロナで(突然)亡くなる方もいらっしゃいますからね」

「突然、寝たきりになるということもない」

「………………」

「私には信仰があるので、『死が終わりではない』と思っていますので」

と言うことができた。

こんなに、頭がよくて、顔も綺麗で、性格もよさそうな女医、というのは、そうそう、いないような気がする。

エス様が私のために選んでくださった

と思う。そこで、私は厚かましくも聞いてみた。

「実は、近藤誠の本を読んだりして、自然治癒の力は信じていますし、あまり、色んなことをしたくはないと思っているのですが、『治療しない』という選択肢はないのでしょうか?」

(近藤誠=「がん放置療法のすすめ」など、検査・治療・手術などいっさい、行わない)

あるはずがない。

ことはわかっている。「ある」とすれば、女医はここでこんなことしていないだろう。

それでも聞いてみたかった。

女医先生は、私が「近藤誠」と呼び捨てにしたのを、「近藤先生」と言われ、素晴らしい、と思う。

「近藤先生のご意見もあるとは思いますが、☆☆さん(=私)の場合には、やはり治療した方が、元気でいられる時間も長くなると思います」

抗がん剤治療・手術・入院……。

これからこの女医先生と接する機会も多いのだろう。改めて、医師というのは、大変な仕事だと思う。この方に、イエス様をお伝えしたいと思う。そのためには、

がん患者として、毅然とふるまう。

がんなのに、どうして、この人はこんなに元気で前向きなのだろう?

そんなふうに感じてもらうことだと思う。