まな板の上の鯉(こい)(1)

先週の火曜、私は住まいの近くにある総合病院の「乳腺外科」の待合室にいた。

今年の2月に発見した胸のしこりが気になっていて、その検査を受けるためである。

頭痛・生理痛も知らず、前に風邪をひいたのはいつだったか、記憶にない。双子妊娠の際にも、お腹も小さく、つわりさえなかった。デスクワークのため肩こりは経験しても、腰や膝の痛みはほぼ知らない。このブログにも更新したが、1月に医師から聞いた健康診断の結果が、

「100歳まで大丈夫(^。^)y-」

「私、長生きしたくないんですけど」

「でも、この調子でいけば生きますよ(*^▽^*)」

100歳まで生きる……???衝撃だった。

2月の入浴時に胸のしこりに気づいた時には、はっ、としながら、

与えられた健康(100歳まで大丈夫)を感謝出来なかった私への、主のこらしめ?

と瞬間、思った。

それから半年以上、誰に相談するでもなく、調べるでもなく、悶々と乳がん検診」を受けるかどうか、迷った。否、祈りながら主の導きを待った。

私の迷いは、

死にたくない。

ではなかった。

がんというものに翻弄され、再発や転移に恐れおののくのが嫌だった。

(がんの検診や治療、手術を一切、否定する)近藤誠のささやかな支持者でもあり、がんと闘う気もなかった。人間、いつかは死ぬのである。その死に方として、「がんで死ぬ」もアリではないかと思っていた。

がんというのは、徐々に進行して、残り時間も推定出来る。余命の計画が立てられるのである。30代で子宮頸がんになった漫画家の里中満智子は、

がんはいい病気

と言っていた。

そんなわけで、

このしこりが良性か悪性か、知るための検査を受ける心の準備(覚悟)

が必要であった。検査を受けない(近藤誠流)、という選択肢もあった。

痛みも不快感も特になかったが、時折、ピリピリする感覚はあり、

検査を受けよ、という主の信号か?

とも思った。

結局、私ががんになったかならないかは、私個人の問題ではないのだ、という思いに行きつき、また、良性か悪性か、白黒つけたい、という思いから、乳がん検診を受けようと「無料がん検診」に℡した。すると、

しこりがある場合、「乳がん検診」ではなく、「乳腺外科」の診断を受けるようにと言われ予約を取った。

事態が刻々と現実味を帯びてくる。

どのようなことが起きても、すべて、主の御手から受け取ることが出来ますように

と祈り続け、ようやくその境地に達して、℡することが出来た。

例え、検査結果が黒であっても、それは主のご計画であり、このことを通して、主のご栄光が現わされるのである。

平安に検査の朝を迎えた。すっきりと晴れ上がっていた。