祈りのこたえ(2)
10年前である。
私と娘達は、同時に日曜礼拝に通うようになり、聖書を読み、讃美歌を歌い、祈るようになった。
きっかけは、娘達の幼稚園時代のママ友の家で、毎週、礼拝を行っていることがわかり、私が通い出したことだった。
ご主人が牧師の資格を取り、家族(両親と子ども3人)を中心にした小さな礼拝だった。
今でも不思議なのだが、当時、小学2年生だった娘達、日曜の朝、支度して出かける母(=私)について来るようになったのである。
別段、私が派手な格好をして夜更けに出かけるわけではない。
今もそうだが、朝は苦手な幼い娘達が、なにゆえ、日曜の朝に起きて、一緒に出掛けたのか…わからない。
そうして、3冊の聖書を購入し、家庭でもともに聖書を読み、祈るようになったのである。
今でも覚えているのは、娘達はよく物を失くした。見つからないのである。
そうして、祈った。ろくに探しもしないで「イエス様、見つけてください」と祈ったかもしれない。
すると、嘘のようにすぐに見つかった。
そんな経験を繰り返し、私達はイエス様を知るようになった。
幼いながら、2人とも「死」への恐怖を感じ、姉のαなどは、私の寝顔を見ながら「死んだかと思った」と涙ぐんでいたことさえあった。
それがイエス様を知るようになり、「死」への脅えもなくなった。
が…
子どもから少女、思春期……
だんだんにイエス様から遠のくようになった。
毎夜、寝る前には聖書を読み、讃美し、祈っていたのが、
聖書読みながら…寝てる。
讃美歌…面倒~(~_~;)
祈る…勝手にどうぞ(-_-メ)
というふうになり、悩んだ。
思春期にもなり、イエス様から離れるのはあたりまえ~
それは、成長の証し
おめでとう!
とも言われ、納得した。
後は、主が良きに計らってくださる。