家庭教師(2)

当初、高2の娘達は、3月初めに期末テストの予定であり、そのために急遽、家庭教師を頼んだのであるが、幸か不幸か、コロナ騒動でテストは中止、休校となり…結局のところ、数学の単位が足りない長女は、速達で送られてきた課題の提出で単位認定されることになった。

課題の送られてきたのは3月19日、午前10

(送られてくる日が)事前にわかっていたわけでもないのに、同日午後1530家庭教師の先生が約束の時間に現れ、まさしく救世主。

課題提出は324なので、あまり日にちはないのである。

学校側も長女を留年させたいわけではないから、無理な課題ではない。家庭教師もついてるのだから、何とかなるだろう。(家庭教師もそんな感じだった)

はずが…!

先生が帰ると夜中まで寝て…

翌日も午後まで寝て…

もうちょっと必死になるかと思っていたのが、

見れば俵(たわら)のように転がっていて…

身体も太いが神経も太い。

こいつの呼び名は、これから「俵(たわら)」にすることにした。

問題がわからなければ、先生がlineで受け付けてくれる。(写真送れと)

20日、21日…

机に向かっていても、どれだけはかどっているのかわかったものではない。

いや、はかどっていないことは、経験上、ほぼ間違いなかろう。

私が何を言っても逆効果と思い、黙る。

そして、家庭教師日の22日。

締め切り前日の23日は先生がNGなのである。

そして22日、勉強時間をオーバーしながら、さすがに先生も危機感を覚えたようで、帰り際に、

「ホントにまずいよ」

と言い放たれた。

我が娘俵(たわら)が課題が出来ずに進級できなかったにせよ、先生のせいではない。いやむしろ、こちらが先生に謝らなければならないくらいだ。

にしても、が進級できなかった場合、先生も平気ではいられないだろう。(責任感の強い方である)

には必死さがない。

やることはわかっていて、

期限も決まっていて、

やらないと大変なことになるのはわかっていて、

優しく指導してくれる人もいるのに…

「やらない」

のはどうしてだろう?

それは、

「やらない」

ではなく、

「やれない」

ということかもしれない。