十字架の意味(3)

十字架と言えば、磔刑(はりつけ)に用いられる刑具だが、なぜかペンダントなど、アクセサリーによく使われる。
十字架刑とは、あらゆる死刑の中で最も残酷な処刑方法であると言われる。
なぜなら、知覚がはっきりしている状態で、苦痛を感じながら死に至るまでの時間が長いからである。(通常2〜3日)
受刑者は手足を太い無骨な釘で十字架に打ち付けられ、さらし者にされる。
手のひらと足の甲とは感覚神経の集まっている所なので、少しでも動かすと激痛が走る。
そのため、釘を打ち付けられた時の姿勢を何とか保っていかなければならない。

しかし、腕が疲れ、体力が消耗し、その姿勢が少しでもくずれるたびに激しい痛みが走る。さらに、ブヨが血を吸いに集まり、猛禽類やカラスなどが十字架の横木にとまって肉をむしり取る。
そして、出血と脱水と、大声を上げつづけた衰弱によって死ぬまで、この激痛と苦しみと渇きが続く。
ほとんどの受刑者は、苦痛のあまり、発狂してしまったそうである。イエス・キリストも苦しみのあまり、
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?)
と父なる神に叫んだほどである。

これを知れば、十字架とは、気軽にファッションとして身に着けられるようなものではないとわかる。
ではなぜ、神のひとり子であるイエスが、よりによって、十字架刑に架からねばならなかったのだろう?
「ちいろば先生」として知られる榎本保郎牧師の言葉を借りれば、まさに私たちの犯してきた罪は主イエスの十字架の死をもって支払わなければゆるされることはなかったのである。
そして、
あの十字架こそ、私たちに対する神(=イエスの父)の怒りの燃え上がっている場所である。そして、その主(=イエス・キリスト)の十字架の死のゆえに、もはや、私たちは死ぬ必要がなくなったのである。死はもはやそのとげを失ってしまったのである。(「旧約聖書一日一章」)