追悼 桂歌丸(2)

1966年にスタートした笑点
この番組名は立川談志が、三浦綾子原作の小説「氷点」朝日新聞連載1964〜1965年)をもじって命名したらしい。

「氷点」は人間の原罪というテーマを扱って、何度も映像化されている。それをお笑い番組名にするというのは、なかなか…ブラックである。
そして、三浦綾子朝日新聞もクレームをつけなかったらしいのも、なかなかである。
(つけようがないと言えばつけようもないが)当時、朝日新聞が募集した「1000万円懸賞小説」に当選した42歳の主婦、三浦綾子は時の人であり、朝日新聞に連載された「氷点」は話題をさらっていた。
そんな「氷点」をパロディにした笑点
常にお茶の間に「笑い」を届けてきたが、ときには「不謹慎」との境界線も模索してきた。
大きな災害でエンタメすべてが「自粛」ムードにあっても、笑点はいつも通りに「笑い」を提供し、後になって被災地から「ありがたかった」との声も上がったという。
歌丸師匠は、若い頃から病気が絶えることなく、「病気のデパート」と呼ばれていたそう。
長年にわたるヘビースモーカーでもあったとか。
メニエール病、ヘルニア、蓄膿症、胆のう摘出……60代から急性汎発性腹膜炎、腰部脊柱管狭窄症、70代で肺気腫、歯も駄目になり入れ歯。
急性汎発性腹膜炎で運び込まれた集中治療室で唸っている時、駆けつけた娘が、
「私、誰だかわかる?」
と聞けば、
「ブタ」
「何がほしい?」
と聞いたら、「金」
と答えたと…。
参りました…(-"-)
晩年、呼吸は苦しく、耳は聞こえ辛く、自由に歩くことも困難、大好きな釣りもできなくなり…それでも落語に打ち込んだ。
そんな歌丸師匠を周囲は「不死鳥」と呼ぶようになったそうです。