「しゃぼん玉の欠片を眺めて」

「明日の心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります」
と聖書にある。全く、その通りである。明日、生きてる保証だってないのだ。
毎日、聖書を読んで、イエス様を信じてるはずの私だが、
「明日」どころか、ずーっとずーっと…先のことを心配している。
中学生の娘達の将来を心配するのは、まぁ、母親として自然なことかもしれない。
が、
私の心配は、その先である。
娘達が自立し、やがて結婚したら…
(「結婚しない」というのも、それはそれで怖い)
夫と二人暮らし…(-_-メ)
夫が先に死ねば…
(老いた)私は一人暮らし…(*_ _)
(一緒に「食べる」家族がいないと、私は何も「作らない」「食べない」のではないか)
あああああああああああああああああ…………      幕いやはや…。妊娠することを「おめでた」という。
普通、一般に、「出産」「誕生」はおめでたい。しかし、「出産」「誕生」のその先は、例外なく「死」なのである。
「死」を内包しない「生」はない。
けれど、「生」と「死」は反するものと思われがちのような気がする。
老いて(病んで)死ぬ。
「ガン=死」と恐れられるが、死なない人間はいないのである。
私の主治医は、ガンで死ぬ父親を看取り、「俺はガンで死ぬのでいいと思うよ」と言われた。
「老い」も「死」も、それは人生のゴールで、ならば、もっと、ドラマティックにならないものかと思うのだが…。人生の終末は…(ほとんど大方)寂しい。(スポットライトは当たらない)
「しゃぼん玉の欠片を眺めて」

は、妻を喪った、一人暮らしの老人が描かれる。
月に10本くらい舞台を観る(主婦の)友人から勧められて観た舞台。
新宿御苑から徒歩3分、
サンモールスタジオはフロアーに50台ほどの折り畳み椅子が置かれた、小さな劇場だった。
しかし、舞台に明かりが入り、人が動き出すと…みるみる世界が広がり出した。
世田谷の築50年の家に一人暮らす老人。一年前に妻を亡くし、子どもは3人あるが、(母親を看取ったいざこざもあり)子どもの間で、父をどうするか、揉めている。しまむら」というハウスクリーニングの業者が、この一人暮らしの老人を浮き彫りにする。
これは、作・演出する大西弘記氏が語るに、「アルバイトしたダスキンの経験を生かしたとのこと。この、ハウスクリーニング「しまむら」が、実に粒立てて、丁寧に描かれる。
ハウスクリーニングなど、半年に一回でいいものを、この老人、(依頼が)月に一回になり、週に一回になり、連日になり…
清掃よりも、買い物や散歩、料理…を頼むようになり…(親に言われて)老人を見舞う孫が、「年寄りにつけ込んでる」と業者に文句言い…
派手なドラマは起こらない。
しまむら」の中での小さなドラマ、老人が亡くなった妻と(ボケか幻影かで)再会したり、80歳の誕生日を子ども達に祝ってもらったり…
日常のドラマが淡々と、丁寧に描かれる。これを、退屈せずに、見入ることが出来たのは、俳優陣の存在感、確かな演技力、巧みな演出…
プロ集団の成せる技…
舌を巻いた。
公演は11月7日まで。
席に余裕あり、とのこと。
https://www.youtube.com/watch?v=Du9SNeiI3fI