花筐(はながたみ)(4)

10月3日午後1時、渋谷。
12月16日公開の「花筐」、マスコミ試写に行く。

桂先生からいただいた試写状もって受付に行くが、先生の知り合いはおらず、何も言われなかった。
試写状の宛名桂千穂が女名だったから、私が「桂千穂」だと思われたらしい。
そう思うと、少しおかしかった。試写会は今日だけではなく、前にも後にもあるのだが、試写室はほぼ満席だった。
映画が始まる。
大林宣彦作品」のテロップ――――――
――
映画が終わり、私は「今、試写が終わりました」と先生に電話して桂宅に向かう。

書斎で先生と向き合い、お茶を飲む。
『花筐』観て来ました」
と、桂先生…開口一番、何と言われたかというと…「わからなかったでしょう」
「はい………」
先生、凄い。私の意を一言で表現された。そう、「わからなかった」のだ。
「なんか…全編、コマーシャルみたいで」
「だってあの人、CFディレクターだったんだから」
「そりゃそうなんですけど…私、ついていけませんでした」
「そうですか」
CFを思わせる映像は、大林監督のデビュー作「HOUSE」にもあったが、ついていけないことはなかった。寧ろ、それが生かされていた。
「一番不満だったのがキャスティングで、あの『花筐』の原作は、17、8の少年少女の、むせ返るような若さが匂い立つような世界だと思うんです。それを、主人公の窪塚俊介に満島慎之介、長塚圭史に至っては40歳過ぎてますよ!それが学生なんて…。酒とか煙草とか言っても…初々しさのかけらもない。若い少年だから男色も美しいけど…」

若さ…青臭いような、初々しい若さ…。幼さを過ぎた、ほんのりと色気を感じさせる若さ…というものがある。
萌え出る前の兆しのような…美しさ。
20代ではない、十代の美しさ…。例えば、前回ブログで予告編を紹介した「廃市」の小林聡美1984年公開だから撮影時には18くらいだろうか?現在52歳、年齢を感じさせないが、やはり、「廃市」の初々しい美しさには目を見張らされる。そんな十代の美しさが、「花筐」の原作には描かれていた。
しかし、オランダ帰り帰国子女、叔母で未亡人の常盤貴子の館に居候する学生、俊彦役の窪塚俊介は35歳、俊彦が憧れるアポロ神のような鵜飼を演じる満島慎之介は28歳。
虚無僧のような吉良を演じる長塚圭史に至っては42歳である。ちなみに、常盤貴子演じる叔母は原作では25歳だが、常盤貴子は45歳である。
窪塚俊介が初めて煙草を吸ってむせるなど、白けるだけであった。また、俊彦が鵜飼の吸った煙草の吸殻を大切にとっておくのも…( ;∀;)
窪塚が満島に、「僕のこと『俊彦』って呼んでくれたね」と喜ぶのも……
演劇の世界ならありえるが、映画の世界で成立するのだろうか…?
「あなたは映画のこと何もわかってない。昔(――略――)で上原謙が40くらいで学生の役やってましたよ」
「それは…上原謙だから…」
ではないのだろうか?
窪塚俊介と満島慎之介が、全裸で馬にまたがってるんですよ。で、二人が馬から降りて背中向けてお尻並べて…びっくりしました」
「そんなシーンがあったんですか?」
「ありました」
「…よっぽど面白くなかったんだなぁ」
「……………」
十代の、それこそ美しい尻の青い少年が全裸で馬を走らせ、裸の尻を並べれば…
美しい…
と思うかもしれない。が、
美しい35歳と28歳が全裸で馬を走らせ、裸の尻を並べたら…なんで……?
と思わないだろうか???「先生、試写室、満席でした」
「そうなんです。すごく評価が高いんです!」
「ホントですか?」
「本当です」
「花筐」の映画化は、大林監督の「終生の夢」であったという。末期ガンと闘いながら「終生の夢」を実現した監督に、「映画の悪口言えないよね」ということでもなかろう。
わからないが、私だけでなく桂先生もこの映画を評価しなかったということに、しばし安堵した。