「処女が見た」(3)

西入庵の本寺、永光寺の新しい住職、行俊(若山富三郎)は初対面の智英尼に、

「あんたのような綺麗な人に出会うとドキドキします」
などと抜け抜け言う。今ならセクハラ住職だろう。
若山富三郎と言えば好色なイメージもないが、この映画の行俊は、
脂ぎってギラギラ。昨年妻が亡くなり、息子は故郷に預けてあるらしい。
ここからの展開は実にわかりやすい。
例年通り、智英尼が茶会で使うお椀を永光寺に借りに来る。
光悦(こうえつ)の黒楽(くろらく)の茶碗である。

これを蔵に取りに行く智英尼、爪先立って棚の茶碗を取る。
行俊が生唾呑み込み、それを見ている。
蔵の戸を閉めて、智英尼に襲い掛かる。「あんた綺麗なんや。あんた好きや」
「ええがな、ええやないか」
……………………………………………………………(からみはカット)
悲愴感漂う音楽の中、西入庵に帰り着く智英尼、
「お風呂沸いてるか?」
すぐにも身の穢れを払いたいのだろう。湯は今、沸かしたところだと言う。
「ぬるてもよろし」
その夜…寝床の和恵(大楠道代)が智英尼の寝床を覗くと…智英尼は一心に仏前で経を唱えていた。
そうして茶会が終わると…
またも智英尼に言い寄る行俊。「尼さんかて生きた人間や。何もそんな堅苦しく考えることあらへん。…人間いつかは極道の道に落ちんな、ほんまの仏の道はわからへん。それがわしの主義や」
いかにももっともらしいようなこと言いながら、
「あんたはほんまにええおなごじゃ」
「尼にしとくにはもったいない」
……………………………………………………………(からみはカット)

そうして…高校から帰った和恵。
西入庵から出て来る行俊に会い…何か腑に落ちないものを感じる。
智英尼に「ただいま帰りました」の挨拶をするのだが…部屋の端に脱いだ片方の足袋を見つけてしまう。
和恵の中に葛藤が生まれる。
智英尼は祈る。
「どうか私をお助けください。私はいけない女です。私は罪を知ってて罪を重ねるのでございます」
このあたり…神に懺悔する修道女を思わせる。そして正月。
雑煮を食べながら、骨休めに映画でも芝居でも行ってくればいい…と妙仙尼達に言い含める智英尼。
ここで妙仙尼が、
「(智英尼の雑煮の椀を見て)えらい進みませんなぁ。身体の具合でも悪いのんと違いませんか?」

と言う。ここでこう来たら…〇〇しかないよね、と思う。
で…西入庵の女共が出払って、
「来たで」
と行俊が来る。
「お話があります」
女共を出払わせ、行俊を呼んだのにはわけがあった。
ここで、妙仙尼達と出掛けていた和恵が、
「私、やめた、行くの。あんたらと街行っても面白ないもん」と西入庵に戻って来る。
和恵には何か、引っかかるものがあった。
智英尼が自分達を追い出す理由があるのだ…と察したのだろう。
和恵は…気配を感じる障子窓に石を投げた。
「誰や…!」
行俊が顔を出した。和恵は愕然となる。「子どものいたずらやな」
と行俊。そんな行俊に智英尼は、
「結婚しておくれやす」
「結婚するくらいやったら、内緒でこそこそ会うかいな」智英尼との関係は、ただの遊びだったらしい。ところが智英尼は、「心とは逆に身体の方がずるずると罪の中に転がり込んでしまった。…もう、尼僧ではいられない…」
心の底を吐露し、子どもができたことを告白する。
行俊は、
「堕ろしなさい、すぐに」
いかにも簡単である。智英尼は、それを受け入れることができない。
「お腹の子は、もう命をもってるのどす」
しかし、子どもを産むことは、智英尼にも行俊にも「身の破滅」だと行俊は言う。
知り合いの産婦人科で堕胎することを勧め、「手術は怖いことあらへん、簡単や。すんだらまた、一緒に旅行でもしよ」

正体見たり…である。智英尼はもはや返す言葉もない。
行俊が帰り、待ち受けていたように和恵が来る。
「見てましてん」
一番見られたく相手に一番見られたくないところを見られてしまった智英尼。これがなければ、智英尼はあのような結末を選ばなかったのではないか?
「みな遊びに出して、ここで何してはったんどす?言えまへんやろ。安寿さんはうちの夢を砕いてしまわはった!
災害で両親を喪い、叔父に引き取られてから坂道を転がるように落ちて行った和恵。尼寺に預けられ、そこで智英尼と出会い、智英尼に憧れ智英尼のようになりたいと思い始めた和恵。
高校に通い出し、新しい人生を歩み出した和恵にとって、「うちの夢を砕いてしまわはった」罪は大きい。
この映画は、不貞腐れた和恵が智英尼によって目を開かれ、立ち直り歩み出すプロセスがきちんと描かれている。
そのプロセスがいきなり、切断された。
智英尼は入水自殺をする。妙仙とお手伝い、和恵、行俊に書置きを残して…。
「和恵さん、あなたにだけ、私の本当の心を言っておきたいのです。私は行俊住職と過ちを犯したのです。私の心と身体は激しく戦って、身体がいつもねじ伏せられてしまうのです。私はあの人を憎さを越えて激しく愛しました。私のエゴを仏は許してくださるでしょうか?」自分の罪を正直に告白し、悔い改めている。その罪は…自分ではどうしようもない罪なのだ。
この辺り、仏教もキリスト教も変わりないのだなぁ、と思う。
この書置きには、和恵の夢を砕いてしまったことへの悔い、砕いた夢を何とか修復したいという智英尼の思いが溢れていて感動する。
智英尼は死をもって、和恵に詫びたのではないか?
「青春を愛を、どうか大切にしてください」
そして、
「私はあなたを非常に好きでした」
で結ばれている。
こんなラブレターをもらった和恵は…智英尼の復讐を決意する。
大楠道代もいいのだが、若尾文子の知られざる魅力を存分に見せてくれたような気がする。
次回予告
5月10日にふれました久々に復活させようとした「桂千穂コレクション」…先生からいただいたDVDがなくなって…更新できなかったのが、見つかりました。よって、次回書きたいと思います。
乞うご期待!!!(^^♪