「修道女ルシア 辱(けが)す」(4)

皆さま、お今晩は。
この「修道女ルシア 辱(けが)す」――第4回となるのですけど、
初回は予告編。
2回目は本編だったけど、
3回目はCM。
…すみません。
で、CMの続きいきます!
昨日、祈り会に行って来たら、
「修道女ルシア 辱す(3)」を見てくださった例の姉妹(=女性信者)からお褒めの言葉をいただきました。
ブログに登場出来て嬉しかった。
とか、
ブログの内容がわかりやすく、楽に読める。
とか、
賜物(主から与えられた才能)なんだから、やっていけばいいと思う。
などと、励ましの言葉をいただきました。
これも主の導きだと思うと嬉しさ倍増です。
知ってる方々に見られることで「書くことが制約される」ということもご理解いただけ、
このブログのことは、他の姉妹方には内緒です。
恵子姉妹、ありがとうございます!
で、張り切って、「修道女ルシア」フィナーレ行きます。
「スッキリした?私と取り引きしない?」
反省室で革ベルトで椅子に拘束されたルシア。
そこへ、刑務所から脱走した二人組にやりたい放題、したい放題されて、その挙句に、これ言うんですね。
十代の令嬢にはありえないですけど
これが、桂先生なんだな。
と思いました。
女の弱さ
惨めさ
未練たらしさ
大嫌いですから。
先生の描く女は、
したたかで逞(たくま)しく、男を男と思いません。
平成の世ならいざ知らず、当時としては時代の先端、切ってたのではないでしょうか。
修道女達が男に飢えていることをルシアは知っています。
コトを終えた男どもに交換条件を持ちかけるんですね。
「ここの尼(あま)さん達は、みんな男に飢えてるから、一人ずつ犯していけば、後は言うことを聞くはずよ」
そして、
「彼女達に食糧や着る者を、どんどん運ばせるのよ」
高らかに笑うルシア…。
そうして、修道院はルシアの思う通りになります。
修道女は次々、脱走者の餌食となり、男に目覚めます。
処女を犯される修道女もいます。
それをルシアは、リンゴを齧りながら眺めています。
はい、あの、アダムとイブのリンゴです。
ずっと、ルシアはリンゴを齧ってて、
他にすることないのかよ。
と、思ってしまいました。
そして、男どもの餌食になった修道女達、互いに嫉妬の炎を燃やすでもなく、男どもを取り囲んで、団欒してるんですね。
男どもは盛り場を渡り歩く流しの歌手だったようです。
それに感じ入った修道女の一人が、修道院を抜け出し自腹でギターを買って帰ります。
修道女に囲まれ、男どもはギター奏でて歌声を披露して…不思議となごやかです。
そんな中に、院内のただならぬ状況を察知した院長。
脱走犯と知り、警察に通報します。
そんな院長の元に、それまで従順だった修道女達が、反旗(はんき)を翻(ひるがえ)します。
修道女達が院長を胴上げして、祭壇のある礼拝堂へと運びます。
「みんなで院長の罪を清めるのだ」
「殉教者にしてあげて」
修道服を脱がせ、礼拝堂にある十字架に縛り付けます。
それはまるで…
聖書にあるイエス様。
ルカの福音書23章にもあるのですが、それまで敬い、賞賛していたイエスを、「十字架だ。十字架につけろ」と叫んだのは群衆なんですね。
群集にとって、ユダの裏切りによってローマに捕らえられ鞭打たれた救い主は、もう、彼らにとって、大切な存在ではなくなってしまったのでしょうか。
総督ピラトが、「イエスには何の罪も見つからない」と言うにも拘わらず、人殺しなどの重罪を負ったバラバを釈放し、イエスを十字架刑にしてしまうのです。
人間真理をついていて、怖ろしいです。
そして、十字架に架けられ、辱(はずかし)めを受ける院長…。
そこへ、警察がやって来ます。
ルシアを盾にする脱獄囚二人組ですが、あっさり捕えられます。
残されたルシア、残った修道女達…。
十字架から降りて身づくろいする院長に、修道女達は言います。
「ルシアはやっぱり悪魔でした。恐ろしい魔女ですわ」「火あぶりに…」「院長様、快楽は罪ですわ。人間を堕落させますもの」「院長様の言葉で目が覚めました」
修道女達は皆、院長につき従って礼拝堂を出ます。
たった一人残ったルシア…。
人間の本性を見尽くしてしまいました。
そして、そんなルシアが送られたのは、
別の修道院
ではなく、
自宅
でもなく…
精神病院
なのでした。


追記
日活ロマンポルノとして、この映画を紹介させていただきました。実際の修道女の方々の真摯(しんし)な生き方、神との向き合い方…を思うと心苦しいものがあります。この中で描かれる修道女は、「ロマンポルノ」という枠の中で歪曲、捏造(ねつぞう)されたものですので、実際の修道女の方々を冒涜(ぼうとく)するようなところがあります。
7・25「修道女ルシア」(2)に書いたのですが、改めて確認させていただきます。
修道女になるには、三つの約束があるそうです。
私有財産をもたない(清貧)
・一生、独身(貞潔
・上の命令には服従(従順)
信仰に基づく共同作業に日々、従事しておられるようです。
これを念頭に置けば、
「修道女ルシア 辱す」は、見られたものではないと思います。
なので、念頭に置かないでください。
キリスト者として反省するところもあり、この点を最後に付け加えさせてください。