「大菩薩峠」(1)

どうして今更大菩薩峠なのか、と問われたら、

「見てしまったから」
はい、テレビで。
すみません。今まで、見てなかったんです。
でも、やっぱり
「今更、大菩薩峠じゃないでしょう」
という葛藤があったのですが、もう一度録画を見たら、
書かないわけにいかない。
という気になりました。でも、調べたら、中里介山原作のこの小説、
1935年に大河内傳次郎主演、稲垣浩監督(二部作)で、
1953年に片岡知恵蔵主演、渡辺邦男監督(三部作)
1957年、再び片岡知恵蔵主演、内田吐夢監督(三部作)
で映画化されてるんですね。
そして、今回の市川雷蔵版は1960年、三隅研次監督の三部作です。
その上、1967年に仲代達矢主演(これは一話完結)で再々再々映画化されたという、とんでもなさです。
大正2年から新聞連載が始まったこの小説、三十年近い連載で全41巻。
しかも、作者の死によって未完。
ちょっと気後れしますが、紹介させていただきます。
なにせ、のっけから凄い。
富士を一望出来る大菩薩峠、手にした巡礼の鈴を鳴らし、汗をかきかき登って来た老人と娘。
水のせせらぎが聞こえ、娘が水を汲みに下りていき、老人は一人になります。
のどかな風景です。
そこへ、笠をかぶった黒い人影が背後から近づき、老人に声をかけます。
笠で顔は見えない男は、無抵抗な老人に、「あちらを向け」と言い、老人が背を向けた途端、
一刀のもとに斬りつけます。
凄い。
何が凄いかと言うと、善良そうな年寄りを、何の意味もなく殺す。
生意気そうな若造とか、色気ムンムンの姉ちゃんとか、「ムシのくわない」ようなのなら、まだわかる。
でも、100%弱者で善良そうで無抵抗な相手を、斬り捨てる。
しかも、強い奴が。
放れ駒の黒紋付き――机竜之介

ダーティーヒーロー???
否、果たして、こんなキャラクターがヒーローになれるのか?
展開に、もう、目が離せなくなります。
机道場に帰って来た竜之介、どうやらここの若先生のようです。
中村玉緒演じるお浜という娘が竜之介を訪ねてきます。
来る御嶽山奉納試合で竜之介と闘う宇津木文之丞の妹と名乗り、勝ち目のない兄のために、
情けあるお計らい
を懇願します。八百長試合を願い出るわけですね。
妖剣「音無しの構え」を操る竜之介は、道場からは破門同然の身ながら、向かうところ敵なし。
竜之介は言います。
「剣をもって向かう時は、親もなく弟子も師匠もない」
「人情知らず」

というお浜に、
「武術の道も女の操(みさお)と同じもの」
おやおや…。
「例え、親兄弟のためとは言え、操を破るは女の道ではあるまい」
兄のために操を捨てられるか、と言うのですね。
中村玉緒がいいですね。
敵に八百長を頼むなら、端から「色仕掛け」でもおかしくない。
自分が若く美しい娘である自覚は当然あるでしょうから、竜之介の、このような申し出も覚悟の上…のはず。
ですが、このお浜、どこまでも初々しく、純粋に竜之介の良心に訴えかけてるようなのですね。
挙句、実は文之丞の妹ではなく、祝言を挙げる前であっても文之丞の「妻」だと言うのですね。(内縁の妻らしい)
結局、操を守るのですが…。
帰りの道で、竜之介に命じられた水車番が水車小屋にお浜を誘い込み、
お浜は水車小屋で竜之介に手籠めにされます。
それを夫、文之丞に知られ、
「問わず語らず、黙って別れるのがお互いのため」
「私を斬って竜之介を斬ってこそ、武士の意地」
「おまえを斬るような刀はもっておらん」
そして、御嶽山奉納試合。
竜之介と一戦交える文之丞ですが…これはもう、「果たし合い」の域。
「音無しの構え」に文之丞は敗れ、死にます。
お浜はどうしたかというと…。
文之丞一門に闇討ちに合う竜之介をお浜が助けます。
「そなたも一緒に夫の仇を討たんのか」
「ここで斬り死になさるなら、その前に私を殺して」
そして、言います。

「竜之介様、あなたは刀にお強いように女にもお強いか」
ここで一気に、お浜は「娘」から「女」になったのだと思います。
「逃げましょう。逃げて二人で生きていきましょう」
お浜にここまで言わせる魅力が、竜之介にはあるのですね。
あっぱれ、です。