「沓掛時次郎 遊侠一匹」(1)

久々に映画について書きたいと思います。それがなんで、
「沓掛時次郎(くつかけときじろう)」やねん。
と自分でも思うけど、書き所満載なので書きます。
「沓掛時次郎」――名前くらいは聞いたことありますよね。調べてみると、8回も映画化されて、テレビ化5回、舞台化無数…。
原作は大正から昭和にかけて活躍した大衆文学界の巨匠、長谷川伸その作品数、小説は500、舞台作は150というから驚きです。特に瞼の母」は有名ですね。「沓掛時次郎」は1928年(昭和3年)舞台用の台本(=戯曲)として書かれたものですが翌年には、大スター大河内伝次郎主演で映画化されています。所謂(いわゆる)「股旅(またたび)物」。「股旅物」とは、やくざや流れ者が、いわゆる一宿一飯の義理に従って人を殺(あや)めたりしつつも不器用ながら懸命に生きる姿や、彼らに関わる女性や子どもなど社会的弱者の悲哀を描く物語。
時代物でもやくざ物でも定番のスタイルになってますが、この「股旅物」のジャンルを開発したのが長谷川伸語源は「旅から旅を股にかける」から来ているそうです。作中で切られる「仁義」は実家が没落して若い頃に人夫ぐらしをしていた際に覚えたものをモデルにしたとか。
仁義=やくざと思ってたけど違うんですね。そう言えば「男はつらいよ」で寅さんも仁義切ってました。
で、この「沓掛時次郎 遊侠一匹」(1966年)、「沓掛時次郎」映画版の中では一番新しいのですが、なんと、寅さん…違う、渥美清の仁義から始まるんですね。
はい、大河内伝次郎、長谷川和夫、市川雷蔵鶴田浩二大川橋蔵仲代達矢…天下の二枚目俳優が演じてきた時次郎ですが、この「遊侠一匹」では
渥美清が沓掛時次郎なんです。
ヤァ \(⌒∇⌒(⌒∇⌒(⌒∇⌒)⌒∇⌒)⌒∇⌒)/ ヤァ
そんなわけないやろ〜
(*`ε´*)ノ_彡☆バンバン!!
失礼致しましたm(_ _)m
「お控えなすって、お控えなすって。早速お控えなすって有難うさんにござんす。手前生国と発しまするは信州にござんす。〜信州は沓掛の在、朝に夕に竜を立ち昇る浅間の麓にござんす。親分なしの子分なし、一本どっこの旅がらすにござんす〜」
沓掛時次郎は初代中村錦之助(後の萬屋錦之介)、これにまとわりつくように渥美清演じるところの朝吉が仁義を言い終わり、
「いいなあ兄貴の仁義は…何度聴いても、胸がすかっとすらあ…」
うまい出だしです。当時の中村錦之助…抜き身の刃みたいな、凄みのある美しさ。一目見て、タダモノじゃない。
「そこへゆくてぇと、俺の仁義はしまらねえな。頼みもしねえのに、親が俺を産み落としてくれた場所が悪いよ。南無妙法蓮華経は見延の里だってぇの。〜手前生国と発しまするは甲州見延にござんす。見延はご存知、南無妙法蓮華経でござんす。ドンツクドンツク、ドンドン…。しまらねぇなあ。兄貴、こんなお題目みたいのじゃない、もっといいのないかねぇ…」
まるで親分に憧れるチンピラみたいな。対比が無理なく、ユーモラスに描かれます。
かと思えば、次には、時次郎が三人のやくざに、殺された兄貴の仕返しだと取り囲まれます。朝吉が助っ人するも、当然足手まとい。朝吉を庇いながら三人を叩き斬る時次郎。夥しい血が噴出し、情け容赦のない血なまぐさい世界が描かれます。芝居の緩急、お見事!!!
YAH♪☆0(^^0)*^^*(0^^)0☆♪YAH
やくざ者が背負う、重い業のようなものを呑み込む時次郎。その夜、女郎屋へ遊びに行こうと誘う朝吉と、目にもくれない時次郎。野沢屋という女郎屋での朝吉も笑わせてくれます。例えば…
妖しげに蠢(うごめ)く布団の下で、「おまえは随分、毛深いねぇ…」と朝吉の声がして布団がめくれてみれば、そこにいるのは、
毛深い猫。
「いつまで待たせやがる|`Д´)ノ」
ドモ\( ̄▽ ̄*)(* ̄▽ ̄)/ドモ
一方の時次郎、賭場で佐原の勘蔵親分の娘、お葉に勝負を挑まれるも、
「あっしは博打打ちだが、博打をするような女は好きにならねえんでね…御免なすって」
いともさらりとかわします。このお葉、もろ肌脱いで見事な観音菩薩の刺青を見せ、勝負に負けたなら、この観音菩薩を勝手気まま、好きにしてくれ、と言ってのける。この誘いに乗らぬ男なぞあるものか…の風情が、見事に赤恥をかかされます。これがきっかけとなり、時次郎と朝吉は佐原一家に客人として迎えられることとなります。
組へ向かう三挺の駕籠。
憂鬱そうな時次郎。
うきうきとした朝吉。
してやったりと満足顔のお葉。
思いもかけない好待遇に舞い上がる朝吉に、見かねた時次郎が言います。
「何の魂胆もねえお方が、行きずりの旅人にこんなもてなし方をするか?」
それは時次郎が、今まで味わい、知り抜いているこの世界の厳しさ、非情さでした。それを、
「兄貴はあんないい親分さんやお嬢さんのことを疑ってるのか?」
朝吉は納得しません。時次郎は言い放ちます。
「親分衆なんてものはな、旅がらすの命なんて虫けらぐれえにしか思っちゃいねえんだ。これだけは覚えときな」
結局、お葉の下心など見越した時次郎、朝吉と佐原一家を出て旅に立ってしまいます。おまえのような単純な奴は渡世人には向かない、「百姓に戻れ」と朝吉と袂を分かつものの…朝吉は一人、佐原一家に戻ってしまいます。
「見延の朝吉、なんのお役にも立たねえかもしれねえが、一宿一飯の恩義に預りとうござんす
「その代わり、沓掛の兄貴の旅立ちは、どうぞ、あっしに免じて許してやっておくんなせえ」
「そりゃ、そうしてくれれば有難いが」
お葉の目が不気味に光ります。
「親分衆なんてものはな、旅がらすの命なんて虫けらぐれえにしか思っちゃいねえ」
時次郎の言葉、そのままです。朝吉は佐原一家に敵対する牛堀一家に単身、殴り込みを駆け…。
朝吉と別れたものの、どうしても気になった時次郎、佐原一家に戻り…簀巻きにされた朝吉の死骸を見ることに。
「おめえ達、こいつ一人を、寄ってたかってやりなすったのか」
牛堀一家に取り囲まれながら、時次郎の怒りは膨れ上がります。「こいつ一人」…無邪気で人が良く、裏も表もない朝吉…。
「やりたかねえ、やりたかねえが、朝ぁ、見てやがれ」
この短い台詞の中に、時次郎の怒りと哀しみが、これでもか…とばかりに込められます。
斬って斬って斬りまくる時次郎…。それでも哀しい。
すべて終わったところへお葉達、佐原一家が駆けつけます。
「俺と違って、こいつは算盤(そろばん)が弾けねえ野郎だった。弾けねえばっかりに、おめえさん達の算盤に弾かれて死んじまったんだ」
唸りたくなるような台詞のオンパレード。一言一言が冴えわたり、急所を押さえてお見事!錦之助の台詞さばきも絶妙です。
「朝、この川は、ずっと下ると富士が見えるそうだ。おい、おめえの故郷の方へ行くんだぜ」
谷川に朝吉の位牌を流す時次郎…。
ここまでが約24分。よく計算され、細部にまで行き届いたシナリオ、映像だと思いますが、これは原作にないオリジナル。謂わばプロロ−グ…なのです。
\(∇⌒\)☆ア☆リ☆ガ☆ト☆ウ☆(/⌒∇)/