折り梅(2)

いきなり余談ですが…。
将来の自分について、私は「ボケる」ことに救いを見出してたのですね。
老いて醜くなって、日々弱り、衰えていく自分…。
若返ることはない。
そんな現実に、耐えられない。直視できない。
「ボケる」ことで現実にオブラートがかかり、何とかなるのではないか…?
あんまり、否、全く、周囲のこと考えてませんね。
周囲のこと考えてる余裕なんかあるかよ。
はい…。このような、どうしようもない者です。
そんな、どうしようもない者に、この映画は色んなことを語ってくれました。

その一、
ボケ始めた人間に、周囲は「禁止令」を出す。
外出はダメ、火を使うのは絶対ダメ、あれもダメ、これもダメ…。
こうしろ、ああしろ…。
まぁ、当然です。当然だけど…腹が立つ。
政子(吉行和子)もキレて、昼食に用意されてた弁当、床に投げつけます。
その二、
認知症初期)自分がどんどんバカになっていく恐怖。
物忘れがひどくなった…に始まり、大事な物をどこにしまったかわからない。道に迷う、お金がなくなってる…!
一体、私はどうなるんだろう…。
老人性鬱というやつですね。いきなり「deep」にボケる、というようなことはなくて、やはり経過があるようで…。
政子も(施設に行ってしまった)トキ子に手紙を書いています。
「私は毎日何もすることがなくて、どんどんバカに…」
その三、
家族に迷惑をかけまくる。
「ボケ老人」を抱えるということは、家族を破壊することにもなりかねません。
この映画では、孫のご機嫌を取ろうとした政子が冷たくあしらわれ、嫁の巴(ともえ)に逆ギレします。
「そうやっておまえが私をバカにするから、子ども達までマネをして…」
「そうやって、いつも私をあざ笑って…」
「私がそんなにおかしいか?自分を何様だと思ってる!?」
それは政子の被害者意識であり、心の傷です。政子は巴の髪の毛を引っつかみ、
「おまえのような女は、この家に置いとけん!」
戸外に引きずり出して、観衆の目に晒します。
ここまでやるか…?

やるのでしょう、現実には。
帰宅した巴の長女が母を庇います。
「おばあちゃん、部屋で縫い物。きっとまた、すぐ忘れちゃうよ」
「あれだけ人を傷つけておいて、忘れるなんて…」
「忘れる」ということは、同じことをまた繰り返す、ということですよね?
ああ…恐ろしい。
でも、おそらく、現実です。現実は、それ以上かもしれません。
介護してる姑に髪の毛引っつかまれ、戸外に引きずり出されて近所の観衆の目に晒される。
…ようなことになれば、まず、間違いなく嫁は、
「私、もう、やってられない!」
「それでも、『介護しろ』って言うなら離婚します」
「おばあちゃんを、施設に入れてください」
ということになるはずが、巴は、酔って帰った夫に、
「私が今、読んでる本の題名は?」
と問いかけます。こんなに目につくように本が置かれているのに、注意を向けようともしない。
義母の問題は夫婦の問題だと言いたいのですね。賢いなぁ、と思います。
「もういい、もうやっられない!」
家を飛び出して、巴は車でプチ家出。
ゲームセンターで夜明かしして、朝帰りして米を研いでる巴に、夫、裕三が、
「おはよう」
「おはよう」
いいシーンです。
「行けば友達もできるし、いい所だよ。毎週、日曜には会いに行く」
「帰りたくなったら電話してくれれば、いつでも迎えに行くから」
結局、夫婦で政子にグループホームに入るよう、話します。
ボケてはいても、ボケてない部分も多分にある政子は、
「あんた達に迷惑かかるばかりじゃ生きてても仕方ない。これで私を殺して…!」
包丁を持ち出します。
冒頭の施設に行くトキ子とのつらい別れがありました。施設=姥捨て山なのでしょう。
「俺はあんたがどんなになっても生きてて欲しいんだ」
裕三が必死に言って、政子とひしと抱き合いますが…。(でも自分で責任取るのはイヤなんやろ?)
この夜、巴は政子の部屋に床を取り一緒に寝ます。最後の夜、ってとこですね。ここで政子は銀座の呉服屋でお針子していた「人生で一番いい時代」の話をします。
話し終わると、「そっち行っていい?」ベッドから出て、巴の布団に入ります。朝が来て…。
目覚めた巴は、政子が自分の乳房に手を当てて眠っていることに気づきます。そして、
「おかやん…」夢の中で母親と会っているのでしょうか。
その子供のような政子の寝顔を見る巴…原田美枝子、見事な演技でした。
政子を車で施設に連れて行く巴ですが、結局、巴は政子を家に連れて帰ります。