三本もある。(1)

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を、耐えられない試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も具えてくださいます。
(コリント人への手紙 第一 10章13節)
有名な聖書の言葉ですね。「神は耐えられない試練はお与えにならない」――聖書を知らない方でも耳にしたことはあるのではないでしょうか。
私はクリスチャンと言っても、聖書と出会い礼拝に通い出してまだ3年。聖書の世界とこの世とは真逆と言ってもいいほど違っていて、戸惑うことも随分ありました。
また、理解できないことも多々あって、他の信者の方を質問責めにしたことも…。
先に引用したみ言葉も、私にとっては長年の疑問でした。
「耐えられない試練に会わせることはなさいません」なら、どうしてイエス様を受け入れながら自殺する人がいるのか。
実際、私の通うキリスト集会でも、(自殺者が)おられます。
話にも聞きます。姉妹(女性信者)方に聞くと、大抵はこう答えられる。
「自殺しても神の許しがなければ絶対に死ねない」
神の許しがあって天国に迎えられる、ということらしいのですね。
私にすれば、
自殺するまで苦しめることないやん。(「脱出」の道はどうなってんねん)
他に救済の手段ないのんか。
と思うものの、神のなさることなど、人間に理解できるはずもないのでしょう。
そして、先週も例によって、同じ質問をしてみたら、その若い姉妹は、
「田原米子(よねこ)って知ってる?」
知りません。
「電車に飛び込んで自殺したけど死ねなくて、両足と左腕切断、残った右手も3本指が残っただけ」
「(ヽ>ω<)ヒイィィィ!!●~*ヒイィィィ!!(>ω<ノ)ノ」
「それでも結婚して子ども2人も産んで、洋裁までするんだよ。『3本も指がある』って…」
なんか、質問の答えになってるのかどうかはどうでもよくなって…。
田原米子。
PCで検索しました。
高校2年の時、母親が亡くなったショックで鉄道自殺を図り、両足と左腕を失います。右手3本の指が残るだけの重度の障害を負いながら、宣教師志望の青年と結婚。2児の母。牧師夫人となり主婦業、母親業、布教のための講演などを積極的に行い、2005年67歳で天に召されたとのこと。
で、アマゾンで田原米子著「ひかり求めて」注文しました。
以下、引用。
ある日、看護婦さんに、
「さあ、米子さん、今日は上半身起こしてみましょうね」
と言われ、背中を支えられながらそろそろと半身を起しかけて、私はバランスを失い、のめるように前へ倒れてしまいました。
「足がない――」
私は半狂乱になって泣き叫びました。今まで気がつかなかったんです。誰も言ってくれませんでした。
左手や、右の指がないどころじゃなかった。私の足は二本とも無くなってしまったなんて…。
もう私は一生歩けないんだ。立つことすらできないんだ。
なぜ、死ななかったんだろう。
ひどいじゃないか。
死ぬより残酷じゃないか、こんな姿で生きるとしたら。
いやだ!絶対いやだ。
田原米子さんの輝く笑顔、ご覧ください。
https://www.google.co.jp/search?q=%E7%94%B0%E5%8E%9F%E7%B1%B3%E5%AD%90&hl=ja&tbo=u&tbm=isch&source=univ&sa=X&ei=ZCojUcaREYLElAWch4DwDA&ved=0CDAQsAQ&biw=948&bih=450