三本もある。(2)

お待たせ致しました。
田原米子著「ひかり求めて」続きです。
この米子さん、いわゆる優等生とか真面目な少女だったんではないんですね。
四人兄弟の末っ子で、すぐ上の姉、愛子が生後一週間で亡くなってしまいます。
それで次に生まれた女の子は、愛子の生まれ変わりだと思って両親は溺愛したそうです。
米子という名前も、米は「八十八」と書きます。八十八歳まで長生きして欲しいという思いからつけたそう。
米子さんは小さい頃、この名前が嫌で仕方なかったとか。
それで…甘やかされた米子は、我儘放題の怖い者知らずに育ちます。
母親は42歳で米子を産み、そんな母親が大好きだったにもかかわらず、友達の前で「ばあや」と呼ぶような少女でした。
「私の両親は、子どもの言いなりに好き勝手させることを愛情と考え」ていたそうです。
ろくな子どもに育つわけありません。
そして米子が17歳の時、母親が脳溢血であっけなく死んでしまいます。
「人はなんで死ぬんだろう。どうせ誰でも死ぬんだから。それならなんで生まれてきたのだろう。毎日毎日、何のために生きているんだろう。母の死後、私は人生の根本的な問題をまともに背負い込んでしまいました」
米子はいわゆる不良になります。
「どんなことしても、決して満たされなかった、心から楽しいなんて思わなかったんです。こんなことしても空しいな、バカげてるなって、心のどこかが醒めてるいるのね。だから、遅くなっても必ず夜は電車で家へ帰っていました」
そんなある日、「海が見たい」とひらめいて、米子は江の島に行こうと思います。そして…入ってきた電車に吸い寄せられるように進み出てしまいます。
気がつくと、そこは病院。どうして飛び込み自殺したのか、全くわからなかったそうです。
鉄道自殺の場合、ふつうは殆どが即死。なぜ私が助かったのか、それは神のはからいとしか言いようがないと言います。
鉄道自殺した米子はは真夜中、東京医大附属病院に運ばれます。ここで偶然、ふつうなら診察してもらうためには何ヶ月も待たなければならないような外科の権威者に手術してもらいます。
手術を終えて帰ろうとするところへ、米子が運び込まれてきたのです。
そして米子はベッドの上で、右は膝下から、左は足首から切断された足。左手がなく、右手は小指と薬指がない自分に気づきます。米子には3本の指しかないのです。
これはもう、
死ぬよりひどい。
17歳のうら若き乙女です。
もう、こうなったら、
「死に直す」しかない。
夜に病院からもらう睡眠薬を密かに小瓶にためます。優しい家族の慰めは何の足しにもなりません。自暴自棄な日々…。
アメリカ人宣教師と牧師見習いの日本人青年が米子を見舞うようになり、最初は追っ払っていた米子も
2人が歌う賛美歌に涙を流すようになり、
アメリカ人宣教師の子どもが焼いたクッキーにお礼を言うようになった。
次第に、
2人が信じるキリストって、どんな神様だろうと思うようになります。
そして…。
これが最後だ。一度だけ、賭けてみよう。あの人たちの神に。祈ってみよう、あの人たちのキリストに。ほんとうに生きる気力が出てくるのかどうか、だめで、もともとなんだから。
小瓶にためた睡眠薬で「死に直す」覚悟をした米子です。そんな米子が、渾身の力をふりしぼるように叫びます。
「神さま、助けてください」