血液の値段

礼拝の帰り、娘達と3人で横浜で下車、郵便を出すために東口の中央郵便局に向かった。
と…献血の案内。
私…献血が嫌いではない。「好き」というほど頻繁にはしないけれど、献血バスを見かける度にちょっと考える。そして、今日は献血しよう、と思う。娘達には初めての経験だが、「礼拝」の帰りに「献血」なんて…クリスチャンぽくてちょっと気に入ってしまった。
ニャハハハ!!ヾ(▽^ヾ)ヾ(  ̄▽)ゞニャハハハ!!
案内に従って進むと、それは献血バスではなくてビルの7階。赤十字がやってる献血ルームというもので、私は献血バスしか知らなかった。
受付に行くと、今日は比較的混んでて、様々な手続きから献血が終わるまで通常なら40分くらい、今日は1時間ほどかかると言われる。急ぐこともないし、本を読んで待ってれば良いと献血することに。
待合所が広く、奥には飲み物とアイスの自販機が設置されてある。
献血ルームに自販機。
ひょっとして?
嫌、まさか…?
好奇心から自販機に近づく私は、凝然と立ち尽くす。
こ、これは…。
(ヽ>ω<)ヒイィィィ!!●~*ヒイィィィ!!(>ω<ノ)ノ
コカコーラ社の自販機はカップ式のもので、珈琲、紅茶、カルピスやメロンソーダ、コーラにイチゴドリンク…。
それが、
「無料」
私の動物的勘は当たった。献血前後には飲み物の補給が必要。ならば…と思ったのである。無料で血液を提供する場所で飲み物に金を取るか…と思ったのだ。
でもまぁ、コカコーラ社の自販機、飲み放題とは…予想もしていなかった。
まるで、ドリンクバー
キタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!
ちなみに、隣のアイスは有料らしい。まぁよい。私は娘達に、無料の自販機を教える。娘達が興奮したのは言うまでもない。
献血が嫌いでないのは、
「良いことをしている」「誰かの役に立っている」と思えること。
健康な血だから提供できるという恵みを感じられること。
ジュースやその他、グッズを貰える。
後日郵送される血液検査の結果で健康状態をチェックできること。
などである。
待合所にはパソコン数台が設置されてあり、娘達はしっかりゲームやっている。ドリンク飲み放題にパソコンゲームやりまくり…。全く、別天地である。その上、
私が献血終わり、ハンドソープや飲み物、バンドエイド…など貰い、自販機のアイスを買えるメダルを3つ受け取る。
アイスを手にした娘達が、
また来たい。
と言ったのは当然である。
本人達も献血したがったが、献血できるのは16歳〜69歳。また、問診や検査も厳しく、「献血」したいと思っても蹴られる場合が少なくないと言う。200ccと400ccの献血があり、検査の結果、「400ccの献血、十分OKです」と言われた私は、「健康に自信もっていい」らしく、ちょっと嬉しかった。
とまぁ、満足して献血ルームを出て来たわけであるが…。
ふと思い出す。
むか〜し読んだ、五木寛之著「青春の門」には盛んに売血が出てきた。金のない学生が血を売るのである。私は400ccの血液を進呈したが、一体、売るとすればいかほどの価格なのだろう。説明によると、400ccの血液は私の血液の12%らしい。次回、献血できるのは12月らしいから、結構な量なのだ。思えば、「出血多量」で人は死ぬ。血液は紛れもない肉体の一部だ。「無料自販機」「ドリンクバー」に惑わされた自分が情けない。
ウヒャ━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━ !!
ちょっと調べてみたら…。
日本では1950年代から1960年代半ばまで輸血用血液のほとんどが民間血液銀行によって供給されており、その原料は売血で賄われていたらしい。血液銀行相手に売血は裏バイトとして存在しており、生活の糧となるほどのものであった。
1回目の検査でジュースやテレフォンカードが貰え、異常がなければ1週間後に200cc採って1万円とテレフォンカードが貰えるという仕組みだったとか。当時、金銭を得るために過度の売血を繰り返していた人たちの血液には「黄色い血」という俗称がついていた。それは肝炎の症状である黄疸や血漿自体の色が黄色で、そういった病気になると実際に血液が黄色く見えたことに由来するらしいが、1960年代初頭は、まだ感染症の検査が不十分だったことに加え、売血者はそのほとんどが低所得の肉体労働者で、この層では覚醒剤の静脈注射が蔓延していて、注射針による肝炎ウイルス感染が広がっていった。やがて、売血の裏バイトは終焉を迎えるのですが…。
私の提供した400ccの血液、一体いくら?気になる方は…
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211166542