90miniutes

さて、久々に舞台評を書きます。
去年、三谷幸喜生誕50年を祝して発表された新作舞台4作品、その最後、12月にパルコ劇場で初演を迎えた「90miniutes」です。
WOWEOWで放送されたのを(録画)再度見て、やっぱり書くことにしました。

9歳の男児が事故にあって重傷を負います。舞台は、この男児の父親(近藤芳正)と担当の整形外科医(西村雅彦)の2人芝居です。
手術をすれば後遺症も残らず、助かります。
と言う医師。父親に手術承諾書にサインを求めます。
突然のことで泡を食ってる父親ですが、
サイン出来ない。
と言うんですね。それは…
信仰上の問題で、輸血出来ないから。
これ…
エホバの証人やんけ〜
(ヽ>ω<)ヒイィィィ!!●~*ヒイィィィ!!(>ω<ノ)ノ
エホバの証人」をネタに、三谷がどんなふうに芝居を展開させるのか…。
タイトルの「90miniutes」=90分とは、男児の命の残り時間。手術をすれば大丈夫ですし、体制は万全。医師のGOサインを待つばかり。
ですが、手術しなければ刻一刻と死に近づき、タイムリミット90分!
舞台中央部、天井から細い柱のように水が落ちてきます。男児の命の流れを暗示しているのでしょうか。
そして、この舞台の公演時間が90分、つまり、芝居と現実の時間がリアルタイムで進行するわけですね。
常に笑いを追求してきた三谷ですが、今回は「笑いを封印」することにチャレンジしたとか。その上で、どこまでエンターティメントとして通用するか…。
輸血を拒否する父親の言い分はこうです。
彼の住む地方の小さな町には、非常に閉鎖的な風習だか信仰だかがあり、肉も魚も食べないそうです。他の生き物を犠牲にして生きることを良しとしないそうなんですね。菜食主義、ベジタリアン…宗教的にもありますね。そして、
輸血は、肉を食べてる人間の血をもらうことで、それは肉を食べるのと同じ、という理論。
医師は聞きます。
輸血した場合、どういうことになるのか?ペナルティなどは?
父親は、わからないと言います。
輸血した人間がいないから。
ゴルァ━━━━━━(゚Д゚)━━━━━━ !!!!!
ただ、この信仰によって、死ぬと土に返り、新しい命として蘇る。つまり、永遠の命を与えられる。輸血した場合、この永遠の命が与えられない。
また、生きてる間にも、息子は「輸血した」という十字架を背負い、住民から後ろ指を指され続けるだろう、と言います。
土地を捨てるわけにはいかないし、何代にも渡って、そういう決まりで生きてきた、と言うんですね。
この辺、達者な役者がやると、やっぱり笑えます。他にも、
肉はダメなのに牛乳は飲む
とか、
弟の嫁はレーシック(視力を上げる手術)受けてるとか…
笑わせてくれます。この父親、進学塾の講師だそうですが、大学の同窓会で地方から出て来て、息子も休みで付いてくる。そこで不慮の事故に遭い…。
矛盾をついた医師の説得に、父親は携帯で妻に電話します。この妻が、住職の娘で小学校の教師しながら町内会理事を務めるしっかり者で弁も立つ。(声の出演、戸田恵子
シリアスな中にも笑いのエッセンス飛び交います。
この父親の血液を輸血出来れば問題ないのですが、OとAで輸血かなわず…。
息子はコンビニを出たところで事故に遭い、ズックに書いてあった電話番号で自宅に連絡が行き、妻が夫の携帯に電話して…父親は奇跡的な速さで息子の運び込まれた病院に到着したわけなのですが、父親は、この奇跡を恨みます。
父親の到着が遅ければ、医師は自らの判断で「承諾書」なしで手術を行わざるを得ない。父親としても、こんな苦しみにあうなら、その方が楽だった…と。
「後、1時間弱で息子さんは死にますよ」
何としても承諾書にサインしない父親に医師は言います。そんな医師に父親は、
承諾書なしで手術してもらえないか
ともちかけます。医師は言います。
「後で(承諾書なしで手術したと)訴えないと約束するなら
病院は、患者の家族と裁判になることを何より嫌がるのだと。
父親の返事は…NO。
現実にあるんですね。輸血拒否の約束で手術に応じたにもかかわらず、緊急事態で命にかかわり、医師は輸血し手術は成功した。にも拘わらず…。輸血の事実を知った患者は訴え、勝訴した。
1992年、東大付属病院で起きた事件です。
http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/yhwh.htm
手術が失敗したならまだしも、成功しても訴えるんですね。そこが信仰なのでしょう。「輸血」されたことは、死ぬ以上に致命的なことのようです。
刻々と、男児は死に向かっていきます。
なぜ、承諾書が必要なのか。
追い込まれた父親は医師に訴えます。リスク…それも、重大なリスクを想定しているから「承諾書」が必要なのだろう、と医師を追い詰めます。医師もそれを認め、「医学の限界」なのだと言います。
助かる命をみすみす捨てるのは殺人と同じ。
と医師が言えば、父親は、
どうして死んではいけないのか。
輸血で生き得たとしても、二度と生まれ変わることなく、「永遠の命」を失う。肉体が滅んだとしても、不幸ではない。長生きしたから幸せで早死にしたから不幸、ではない。9歳で死んだとしても、息子は幸せだったと思う。
「医者だから助けたい」は、「あなたのエゴだ」
とまで言い切ります。「後は死を待つだけ」というのが後味悪い、だけなのだろう…と。
それでも、刻一刻、死に近づく息子に父親は尋常ではいられません。
裁判になるのが嫌で手術しないのなら、
「あなたのエゴで息子は死ぬ」
と言うんですね。自分が「承諾書」にサインしないこととか、医師が承諾書なしで手術した場合、妻が訴えても、「俺が先生にお願いしたんだよ」と医師を弁護する証言をしないことなど棚上げで、父親は医師を責め立てます。妻には頭が上がらないし、もう、どうしようもないんですね。こういう人、います。
医師は医師で…教授の椅子が近く、外科副部長から外科部長になれる。自分だけの人生ではなく、妻子のため…生きねばならない現実を告白します。なので、
裁判になるような事態は、どうしても避けたい。
(゚д゚)(。_。)(゚д゚)(。_。) ウンウン
2人の男の出した結論は…?