出生前診断(2)

前回紹介しました出生前診断専門のクリニック。
治療も出産も一切せず、胎児の検査とその後のサポートのみだそうです。
訪れる妊婦の7割が35歳以上。妊婦検診で何らかの異常が診られた妊婦が大半だそうです。
そして、クリニックの検査で胎児に異常が診られるのが妊婦の約1割、その内の8割以上が中絶するという現実。
番組では、胎児に異常の見られた二組の夫婦が登場します。
まずは、胎児がダウン症と知らされた夫婦。
この夫婦、既に2人の男の子がいるんですね。
2人もいるなら、もう、いいやんけ…( ー_ー)ノ
と思う私…自分で嫌になります。神様、ごめんなさい。
ダウン症の「確定診断」を受けた時、
頭の中が真っ白になった。
と妻の明起(はるき)さんは言います。何も考えられなかった、と…。
この夫婦、子ども大好きだそうで、夫の努さんについては、
中絶は命を奪うこと。そんな選択はできない。
感動してしまいます。
明起さんも、中絶という選択は出来ないと思っていました。
明起さん、日記に胎児のエコー写真を貼って、きちんとつけてるんですね。
どうしてあきらめられる?
私たちを選んで
来てくれた。
それだけで充分。
と思うものの…。
努さんは、ダウン症の子育てについて調べまくります。自分としては、何としても産みたい、育てたい。けれど…
誕生した子が40歳になった時、自分達は80歳。
自動的に2人の息子達が負担を負うことになります。
そうして夫婦の出した結論は、
あきらめるしかない。
クリニックの院長、夫(ぷぅ)医師は10000組以上の夫婦に接してきたとか。胎児に異常が診られた場合、8割以上が中絶すると言っても、
産みたくても産めない。
事情もある。
母親が子どもを保育所に預けて働くにも、障がいゆえ、仕事を休みがちになり、働き口もなくなるというような現実。
不妊治療の末、ようやく授かった40代夫婦は脳梗塞の後遺症のある親の介護があり、
障がい児を育てながらの介護は無理。
と決断します。
(中絶した)我が子の入った小さな棺(ひつぎ)を抱きながら、夫婦して声を上げて泣いたそうです。
ところで、胎児の中絶(人工流産・死産)が認められるのに期限があるのはご存知ですか?
妊娠22週目以降は「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」を過ぎるので、中絶は出来ない。
また、妊娠初期の中絶は簡単な処置ですみますが、妊娠12週、つまり妊娠3ヶ月を過ぎると、薬を使って陣痛を起こし、出産と同じようにして体外に出します。
勿論、痛い。それも、本来なら我が子との感動の対面があるから耐えられる痛みなのに、それがない。
精神的な痛みの上に肉体的な痛みまで…。
想像を絶します。
さて、2人の息子のため、ダウン症児を中絶する決意をした先述の妊婦、明起さん。羊水検査は妊娠中期にさしかからないと出来ないので、既に胎児は大きく育っているわけです。薬を使って日数をかけ処置するのですが…。初日当夜、これからお別れする胎児との、2人だけの残酷な夜です。明起さんの心が揺らぎ、携帯で夫(ぷぅ)医師にメールします。
「…生まれてくる力のある赤ちゃんを、こんな時期にお腹から出してしまおうとする酷い母親…」
パソコンから返信する夫医師。
「お腹の赤ちゃんのことをママがどれほど愛しているか、お腹の赤ちゃんが一番感じています」
中絶せざるを得ない妊婦の心情を知り尽くしている夫医師、温かいメッセージを投げかけます。それまで、罪悪感から自分を責め続けていた明起さん、医師の「酷くなんかない」の言葉に救われます。それから明起さんは、明け方までこの子を処置してからのことを考えました。
「十分考えて」と夫医師も言いますが、考えて答えが出ることなんでしょうか?そりゃ、安易に答えは出せないし、考えないわけにはいかないけど、考えれば考えるほど深みにはまって、答えが出ないような。そんな明起さんに夫医師からの早朝メールが届きます。
「ママ、苦しいのでしたら今日の処置は見送りますか?」
「ママ」という呼びかけ、響きます。
そして、この日、明起さんは努さんに、中絶処置を見送りたいと伝えます。努さんに異存はなく、夫婦はダウン症の子を産む決断をします。
この時の努さんの言葉…。
「中絶してしまって、その後の人生、今と同じように笑って生きられるのか」
重いです。
そうして誕生した三男、充希(みつき)君。
充希君の誕生が2人の息子達の成長につながればいい、と願います。
命を巡る「選択」「葛藤」「決断」――色々ありすぎて、重すぎて、書ききれません。
二例目の夫婦ですが、こちらは妻の直子さんが、生まれながらに脊椎二分症という下半身の障がいをもっています。