「沓掛時次郎 遊侠一匹」(2)

皆さま、ご訪問ありがとうございます。
久々の映画評、いささか緊張しております。
そして、今回、「沓掛時次郎 遊侠一匹」(2)を更新するにあたり、頭を抱えてしまいました。
映画の「プロローグ」を終えて本編に入るにいたり、
見所がありすぎる。
解説書を書くならともかく、こんなちっぽけなブログで語るには…どうしたらよいのか。途方に暮れます。で、この映画が、どれくらい見所満載かと言うと…
「沓掛時次郎 遊侠一匹」を映画館やホールで150回観た人がいる。
その人は、ビデオやDVDまで数えると千回を越える回数、この作品を観た。
そうです。そして、
この映画を繰り返し観ることでどれだけ豊かなものを与えられたか、計り知れない。
と語られます。
そればかりか、
「沓掛時次郎 遊侠一匹」の原作、映画シナリオ、インタビュー…を掲載した本まで出した。
ヾ( ̄_ ̄ )/\( ̄ー ̄)/\(  ̄− ̄)ノ゛ドモモモ・・
そして、私とこの作品との出会いも、この方を通してでした。初対面ながら、「沓掛時次郎 遊侠一匹」のDVDと「沓掛時次郎 遊侠一匹」の著作をいただきました。それが去年の秋。DVDを拝見して、
この映画を繰り返し観ることでどれだけ豊かなものを与えられたか、計り知れない。
というのが、わかったように思いました。私もまた、この作品を、
繰り返し観たい。
と思いました。そして今、ブログに更新させていただいております。
ドモ\( ̄▽ ̄*)(* ̄▽ ̄)/ドモ
「算盤(そろばん)弾けねえばっかりに、おめえさん達の算盤に弾かれて死んじまった」朝吉の仇を取った時次郎は、渡し舟でヒロイン、おきぬ(池内淳子)と出会います。子連れで持ち合わせた柿を、舟の人達にふるまいます。
これも原作にないシーンですが、
文句なしの名場面。
この「沓掛時次郎 遊侠一匹」、究極の恋愛メロドラマだと思います。その恋愛メロドラマの主役、二人の出会いとして、このシーンは素晴らしい。それは、
一匹狼で生きてきた時次郎。それも、罪のない、人の良い朝吉を、無残に死なせてしまったという後悔ややり切れなさ、この世界の汚さ…自分が引きずってきた人生や、これからの人生…クリスチャン的に言えば、重い十字架を背負って舟に乗ってるわけです。絶望の中にある。そんな男が…
に落ちる。
どんな相手や…?
( 。-ω-)-ω-)-ω-) シーン・・・
そして、ここで描かれるおきぬ。子連れで、時代劇としては若いとも言えない。(27歳の設定だそうです)そんなおきぬが、冷え切った時次郎の心をほぐし、温めるのに見事な説得力をもたせます。私が一番に感じたのは、
「あっしは博打打ちだが、博打をするような女は好きにならねえんでね」
「プロローグ」の賭場で、見事な刺青を見せ、時次郎に勝負を挑んだお葉に言い放った台詞です。ここで出会ったおきぬは、見事にこの逆。博打どころか、白いご飯を茶碗によそってるのが似合うような、はい、池内淳子ですから…(^ー^)ノ
舟の人々に柿をふるまうのも、女性らしい気配りが伺える。その上、他の衆とは一線を画するように舟の隅にいる時次郎にも、「もし…もし、旅人さん」と声をかけます。「へい、あっしでござんすか?」思いがけない時次郎。
「あの、よろしかったら、ご一緒にひとつ、いかがですか?」
洗い立ての白い手ぬぐいみたいな、清潔な笑顔で駕籠の柿を差し出され…
「はい、ありがとうございます。…頂戴いたします」
思わず笑みが滲みます。手にした柿を齧ろうともせず、思いに耽る時次郎。食べてしまうには惜しいような、何気ない親切、優しさ…。時次郎には縁遠いものであり、時次郎の心の傷口を、優しくふさいでくれたのでしょう。時次郎の孤独、哀しみ、飢え渇き…までが、炙(あぶ)り出しのように滲み出ます。小道具の柿も、素晴らしい演出効果。
そして次のシーンでは、時次郎がおきぬの子、太郎吉を肩車して夕暮れを歩いています。そこには、太郎吉に快活に話しかける時次郎がいます。鉛のような哀しみを呑み込んだ時次郎とは別人の、生まれ変わった時次郎がいます。この辺の切り替えも見事!時次郎になつく太郎吉、まるで父子のよう。かたわらにはおきぬ。太郎吉に故郷の話をする時次郎ですが、こんな何気ない風景が、時次郎には手の届かない、欲してやまないものだったのか、と伝わってきます。池内淳子ですから当然、美しいのですが、例え、おきぬが美しくない女でも、時次郎は恋に落ちたでしょう。清潔感、真心、ぬくもり…時次郎の真に求めていたものを、おきぬはすべて、備えていた。別れ道が来て、別れを告げるも、振り返る時次郎。おきぬも振り返っています。もう…二人は、タダゴトでないことになってるんですね。
ヤァ \(⌒∇⌒(⌒∇⌒(⌒∇⌒)⌒∇⌒)⌒∇⌒)/ ヤァ
ああ…まずい。
二人の出会いを書いただけで、こんなになってしまった(汗)
駆け足…で行かなきゃ。(子供が帰ってきたやんけ( ̄へ  ̄ 凸)
ネタバレかもしれませんが、「沓掛時次郎」の柱となるのが、「一宿一飯の恩義」で殺した相手、六ツ田の三蔵、この三蔵に残した妻子のことを頼まれ、そうして、時次郎が三蔵の妻、おきぬと恋に落ちてしまう。つまり、
禁断の恋。
男にすれば、殺した男の妻、女にすれば夫を殺した男。
それも、殺されたのは男でも惚れるような、極上の男
\(●⌒∇⌒●)/ニャリーン
これ以上の禁断があるか…
あるなら言ってみろ〜∩(+`ω´+)∩・・・
(#`皿´)<怒怒怒怒怒怒!!!
合わせて言えば、
殺された男に、女房子供のことを頼む三蔵
殺した男に、女房子供を託される時次郎
この両者に、考えられないような「信頼」があること。殺す、殺されるの場で出会った二人に、このような信頼が生まれるというのも、原作の凄いところだと思います。
時次郎演じる中村錦之助、六ッ田の三蔵、東千代之介
「〜一宿一飯の恩義のため恨みつらみもねぇお前さんに敵対する羽目になりやした〜」
と時次郎が言えば、
「〜ご丁寧なお言葉で、お心うち大方はみとりまするでござんす」
と三蔵。生きるか死ぬかの土壇場で、こんな筋目の通ったやり取りがあるものか…と思いながら、男と男の美学、みたいなものを感じました。この二人、違う出会い方をしていたら…と思わずにはいられません。また、殺される三蔵のいさぎよさ、カッコ良さ…が、これから禁断の恋に落ちる時次郎とおきぬに、歯止めを効かせます。
今際(いまわ)の際の三蔵は、女房子供に熊谷の惣兵衛という伯父を頼って行くように、と時次郎に伝言を頼みます。原作もそうですが、それまでの映画版も、時次郎とおきぬの出会いは、三蔵が殺されてからになるようです。(他の映画版は未見ですのでm(_ _)m)
その点、「遊侠一匹」では、時次郎が三蔵の頼みで女房子供を助けることになり、そうして対面したおきぬが…。時次郎、おきぬとも、思いもかけない再会となったわけです。
「おまえさんのような優しい人が、どうしてうちの人をやっちまったんだろうねぇ」
肩車した太郎吉とのやり取りを見ているおきぬ。選りに選って…。どうして…。血を吐くような嘆きです。
アテにしていた惣兵衛は貧しさのあまり自殺。三人は時次郎の故郷、信州沓掛に向かおうとするも、おきぬが労咳結核=不治の病)に冒されて…。
それから時次郎、おきぬ、太郎吉…の道行き。そこに貫かれるのは、
純愛。
お互いの思いを察しながら、手さえ握らない。死語ですが、
プラトニックラブ。
( 。-ω-)-ω-)-ω-) シーン・・・
禁断の恋ゆえに猶の事燃え上がる、されど、プラトニックラブ…。
これぞ…究極の恋愛メロドラマ。
だと思います。
この辺のところは…私の拙(つたな)い筆力では語り尽くせませんので、DVDでご鑑賞ください。
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