「がん」という冒険(101)

もう12年前になるが、そのようなわけで私は教会を追い出された。

そもそも教会というところに「逃げ込む」のはよく聞くが、「追い出される」というのは聞いたためしがない。

かのレ・ミゼラブルの主人公、ジャンバルジャンも牢獄から逃げ出して教会に逃げ込む。よく引用されるエピソードだが、そこでジャンバルジャンは恩義も忘れて教会から銀の燭台を盗み出す。警察につかまるのだが、それをミリエル司教は燭台はジャンに与えたと証言する。その出来事がジャンバルジャンの人生を変える。

天使にラブソングをでも、殺人を目撃した売れないクラブ歌手、ウーピー・ゴールドバーグが逃げ込み、かくまわれるのは修道院である。

そんな教会から、私は「追い出し」をくらったのである。

 

理由は、私が女性週刊誌に書いた報道写真家 笹本恒子さんの取材記事に、

・笹本さんが神社で講演した

・笹本さんは毎日、亡くなったご主人の仏壇に手を合わせ、お彼岸には墓参りする

と書いたことが「信仰的姦淫」にあたるのだとされた。

もちろん、これは仕事として事実をそのまま書いたまで。

今なら牧師夫人◆の意図がわかるが、当時、入信して間もない私にはよくわからなかった。「神社」「仏壇」「彼岸」と表記したことが仏教礼賛にあたるという。仕事だと割り切る前に「祈りましたか?」――書いてもいいかどうか葛藤し、祈って神に尋ねることをしたか? NOである。◆からこの記事を封印するよう言われても無理だと思った。そうして、

「この長い話し合いは無でした」

と言い放たれた。

 

私は取材した笹本さんと個人的に親しく、このことを話すと笹本さんは、

「あなたが仏壇に手を合わせたわけじゃないでしょ?」

と驚かれ、当惑する私はバカだと叱られた。そんな教会はおかしい。

まったく、もっともな意見である。

しかし、今の私なら◆の気持ちがわかる。

「イエス様の愛は絶対服従の愛」――3人の子どもをホームスクールで育て、「ひな祭り」「こいのぼり」「たなばた」「盆踊り」……すべて偶像でNG。正月も星占いも流れ星、血液型、神社の鳥居をくぐるのも…徹底的にNG。体を張って、それを守ってきたのは異常かもしれないが純粋ともいえる。良い悪い、正しいか違うかではない。マネしようとしてできることではない。私は否定しないし、否定できない。

 

教会に行けなくなった私達は、今でいう「教会ロス」であった。

(-_-)/~~~ピシー!ピシー!\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?

娘達には、

あの教会以外に行きたくない。

と泣かれる。翌週の日曜は困った。礼拝の時間が迫れば娘達は起き出し、自転車に乗って教会へ行くだろう。どうすればいいのか?祈るしかない。

すると不思議なことが起こった。

ブザーが鳴り、同じマンションの上の階の女の子が遊びに来たのである。部屋の行き来はあったが、こんなことは初めてだった。娘達は礼拝のことも忘れて3人で遊び、昼になって女の子は帰った。それきり、女の子は遊びに来ない。娘達もあの教会のことを口にもしなくなった。

 

つづく

 

 

 

 

 

「がん」という冒険(100)

この礼拝に通うようになって、まず教えられたのが偶像崇拝ということ。聖書ではイエス・キリストだけが唯一絶対の神であり、偶像崇拝を厳しく禁じている。そうして、世の中にはいかに偶像がはびこっているかを説かれ、私はいたく共感したのである。

この世に氾濫する「偶像」――アイドル、カリスマ、ブランド、占い、新興宗教、憧れの〇〇……人は何かにすがりたい、信じたい。けれど、いつまでも変わらず、永久不変で、決して裏切られることのないものが果たして、あるだろうか?

天地万物を創られたのが神であり、だから神以外に崇拝するものはないわけである。私は非常に納得した。

 

一方で、家族ぐるみのこの教会は、一言でいうと過激であった。

ひな祭りやこいのぼり、たなばた、盆踊り……神社の境内に入るのもNG、娘が花びらをちぎって花占いをしているのも注意された。「正月」「お節料理」「初詣」など口にするのもNGで、会話に不自由を感じたものである。確かに、これでは子どもは学校生活も送れないし友達付き合いも難しい。

そもそも、義務教育の子どもを学校へ行かせずに、家庭を拠点として子どもを教育するホームスクールを行っていたのだから、過激なのも無理はない。生半可な覚悟でできるものではない。幼稚園ママ(当時は末の子も幼稚園を卒業していたが)◆が家庭で時間割を組んで子ども達を指導し、子ども達は学校に席を置き、試験や行事に参加するのみ。

この家族の名誉のためにも言うが、過激というのは言い換えれば妥協しないということであり、ホームスクールも子ども達を家庭で純粋培養しているといえる。子どもを学校に預けて安心している親は多い。

子ども達は胎教が聖書だったというし、まっすぐにイエス様を信じていた。娘達の相手もよくしてもらった。毎日聖書を読み、親を尊敬し、見事なクリスチャンファミリーだったと思う。

◆にはちょっと行き過ぎでは?と思うところもあったが、

・自宅から自転車で5分

・メッセージ(説教・聖書の解き明かし)が抜群に面白い

・娘達が子ども同士で遊べる

という点から、私は毎週、娘達と礼拝に通った。洗礼も受けたし夏の合宿にも参加した。何よりも◆はイエス様と出会うきっかけを作ってくれた恩人だった。

今も思う。あの教会は、イエス様が私と娘達を救うために出会わせてくださったのだと。私と娘達は自宅でも祈り、賛美し、すっかりイエス様と仲良くなっていた。

自分からここを出ることはなかろう、そんなことはムリだと思っていた。

 

別れは突然だった。2010年3月の出会いから年が改まった。

その日、私の目の前に女性週刊誌が突き付けられた。◆が旅先の空港で、たまたま時間があったので売店で手に取ったと言う。

「こんなの普段なら見向きもしないのに、イエス様が見せてくださったのよね」

開いたページに私の名前があった。確かに私が書いた記事である。具体的に言うと昨年亡くなった女性報道写真家、笹本恒子さんの取材記事だ。

ふざけた内容ではない。笹本さんとは個人的にも付き合いがあり、見開き5ページの記事はデスクにもほめられた。

しかし私は記事の内容について、◆から非常に厳しいお叱りを受けた。

記事の冒頭は神社で笹本さんが講演をしたところから始まり、笹本さんが毎日仏壇に手を合わせ、お彼岸には墓参りを欠かさない…ということを書いた。

これが、信仰的には「姦淫」(かんいん)に当たると指摘されたのである。

 

 

 

「がん」という冒険(99)

「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った」(マルコ1:1620

本当に私は、このみ言葉のように幼稚園ママ◆と喫茶店でイエス様の話を聞き、そのまま家について行き次の家庭礼拝に出たのである。喫茶店に入るまでは◆がクリスチャンなどとは想像もしていなかったのに。

私がいかに本気で神を求めていたかがわかる。それまで、独身の時には知り合った美容部員と、さる芸能人が挙式した大きなカソリック教会の礼拝に出たし、結婚してからは捨て猫騒ぎで知り合った近所の女性について礼拝に行った。2人とは個人的な付き合いも続いたが、私は導かれなかった。

それを言うなら…今でも不思議で仕方ないのだが、大学1年の月曜の1限。(一番眠い)キリスト教概論」の講義が必修科目で間違いなくあった。宣教師が先生だったが、記憶にあるのはそれだけで中身はさっぱり。絵のない額縁のようで不気味なくらい。よく単位が取れたものだと今でも思う。

 

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」(ヨハネ福音書15‐16)

聖書では「選ぶ」のは神であり、我々の努力や願いで神と出会えるのではない、とある。これを知った私はなるほどな~と感嘆した。それにしても、あんなに求めていたのに…東大の新興宗教グループに入りかけたこともあった。

今から思えば、それは神のご計画で「神の時」ではなかったのだろう。主と出会うのに待たされすぎたからか、出会ってからは超特急。あっという間にイエス様を信じ、なんと、日曜の朝に出かける私に娘達が興味をもってついて来るようになった。あれだけ寝坊助の娘達が、礼拝に出て一緒に聖書を読み、賛美歌を歌うようになったのである。これもまた、不思議としか言いようがない。

娘達は幼いながら、「死」というものに恐怖を感じ、死にたくない、とか寝ている私を死んだと錯覚して泣かれたこともあった。それが、日曜礼拝に通うようになってから、死について全く何も言わなくなった。

私がイエス・キリストを救いの神として受け入れたのは、聖書の中には私が悩んでいたこと、誰も教えてくれなかった答えがすべて書かれていたということ、聖書は神の書だと実感したからだった。人生を生きるにあたり、これ以上のテキストはないと思い、それを幼い娘達に与えられたこと、イエス様を紹介できたことで、私の母親としての役目は半分以上果たせたような気がした。こんなに早くイエス様と出会えた娘達が羨ましかった。

 

ところが…私達はここを出ることになる。私から出ようとしたわけではない。そんなことできるはずがなかった。私が◆を怒らせて追い出されたのである。

つづく

「がん」という冒険(98)

 37日である。

私にとっては記念碑的な日といえるのだが、いつも忘れている。

今日は覚えていたので、「37日」について書きたい。

 

ちょうど12年前の今日、私は駅前の喫茶店(当時はカフェとは呼ばなかった)で娘達の幼稚園のママ友達◆と会っていた。といっても、それほど親しい相手ではない。娘達とは関係ない、どちらかといえば仕事関係の話で会っていた。

というのは、数日前、私はスーパーの食料品売り場でその◆と偶然、会った。ママ友とは書いたが、友達ではない。ただ子ども同士が同じ幼稚園に通っていて、顔と名前だけを知っていた。当時、私は舞台公演に向けて台本を書いていたのだが、幼稚園ママの噂で◆が舞台女優だったというのを聞き、スーパーで会った際に、そのことを聞いてみたのである。どのようなことを言ったのかは覚えていないが、今は時間がないので日を改めて会おうということになり、37日に待ち合わせたのである。

舞台の話で会ったはずが、彼女は舞台女優だった時にイエス・キリストを知り、やがて教会で紹介された牧師と結婚する。相手は牧師の資格をもちながら民間で働き、今は毎週、自宅で礼拝を行っていると聞かされた。◆には3人の子どもがあり、末の男の子が幼稚園に通っていた。

上の二人、長男と長女は中学生と小学生だが学校へは通わずに自宅でホームスクールを開いて◆自身が指導していると聞いて驚く。日本の学校教育とイエス・キリストを信じる信仰とは嚙み合わないところが多く、(例えば、給食前にお祈りするのを変な目で見られる)子ども自身がホームスクールを望んだらしい。

そうして、私はそのまま◆の家に誘われるままついて行ったのである。当時の私はイエス・キリストを知らない。ミッション系の大学を出たけれど神には出会わず、ずっと何かにすがりつきたくてクリスチャンの知り合いと2度、教会の礼拝に出たこともあるけれど、何も感じなかった。何も変わらなかった。私はずっと乾いていたし、うめいていた。

そうして、その日、私は◆の家で一家と夕食をともにした。この時のことを後に◆は

「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。(マルコ1:1620

「人間をとる漁師にしてあげよう」というイエスの言葉に、すぐさま網を捨てて従った漁師のシモンとアンデレに私は例えられた。

そうして次の週の日曜、私は自転車で◆宅を訪れ日曜礼拝に参加している。そこには、◆と夫、子ども3人と子ども達の友達とその親数人、近所の人…がいた。午前中から始まる礼拝は、午前中は「子ども礼拝」で◆がメッセージ(説教)をした。◆が作る昼食を皆で食べ、午後は大人の礼拝が行われて◆の夫がメッセージをした。◆のメッセージはとても面白く、夢中で聞いた。

私のクリスチャンライフが始まったのである。

(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○

  つづく

「がん」という冒険(97)

さて前回、無料掃除婦として娘のβ部屋を3時間余りかけて(休憩なし)掃除した話をした。すると、

双子の姉のα部屋はどうなっているのか?

というコメントが多数寄せられた、わけでもないが、ついでなのでα部屋をネタに今回は更新する。

というのも、β部屋の大掃除で活気づいたのか、α部屋の汚部屋状態が気になりだしてきたのである。

βが寮に入ったことで、βと共同だった部屋がα部屋となったが、αも片付けられない。私が部屋を覗いて「何してるの?」と聞くと「片付け」とよく言う。それらしいことはしているらしく、床に脱ぎ散らかされた衣類がなくなって床が見えていることもあった。しかし、それは物を移動させただけで翌日には元通り。

捨てる、まとめる、しまう…をしないと片づかないよ。

と私が言っても伝わらない。

要するに、「片付けなければ」という思いはあれど、「片付けられない」のである。

20歳の娘の部屋を母親がごそごそ片付けるのもどうか、と思った。しかし、私は思い出したのである。

去年の夏、α部屋にダニが発生したことを。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

これは思い出したくないし、どのように退治したのか、よく覚えていないが、ダニはしつこくて苦労した記憶だけはある。

 

「βの部屋も掃除したから、αの部屋も掃除しようと思うんだけど」

βに気を遣ったようにαにも気を遣う。我ながら涙ぐましい。

目の不自由な人にメガネが必要なように、片付けられない娘には掃除人が必要なのだと思うようになった。そうして、意を決して立ち上がる。

果たして…………………………………………………………………………………、

β寝屋が巨大化したゴミ箱だとすれば、α部屋は、

味噌(必要なもの)もクソ(不要なもの)も一緒。

混沌(こんとん)としたカオス。(入りまじって区別がつかず、はっきりしないさま)
(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
ゴミの分別に徹すればよかったβ寝屋はたやすかった。
広いクローゼットがあり衣類も多いα部屋、もうすぐ大学2年になるのに受験参考書類が処分されないまま。また、いくつもゴミ箱があるのに、部屋の隅が「ゴミだめ」になっていて、床がベタベタネチネチになっている。
掃除婦に徹してもくもくと作業を続けたかったが、深いため息をどうしようもなかった。
ちなみに、αは何をしているかというと、アルバイトの履歴書を書いている。3日前に買った履歴書を書いている。住所、氏名、学歴…まで書いて、「志望動機」でフリーズしているのである。
綿菓子のような埃(ほこり)の固まり、β寝屋とは年期が違う。主に「助けてください」と祈りながら作業を続け、ようやく見通しがついて掃除機をかけると、ザザザーッと音がした。
掃除を始めたのが午後3時半、休憩なしで一通り終わったのが午後10時だから、β部屋の倍かかった。片づいた感想を聞くと「綺麗になった」と言いながら嬉しい顔もしなかったが、母親の疲れ果てた様子に嬉しい顔もできないだろう。
☆この状態を維持してください。そのために、
・動かしたものは元の場所に戻す。
・同じ物はまとめる。(衣類なら下着は下着、ブラウスはブラウス、上着上着
・不要なものはゴミ箱に捨てる。
と言い含める。
結局、履歴書は午前4時までかかり、翌日の面接に持参する。バイト先というのが、イベント後の片付け(午前12時~6時)というのだから、笑える。
そう、ダニは退治できなかったのではなかったか?と思い出す。夏が過ぎるのと同じように死滅…したのだろか?卵が残っていて、夏の訪れとともに再発???
調べて対策を練らねば( `ー´)ノ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とくにαはアンティークの小物やアクセサリー、鉱石などが好きで、ショップのように壁にディスプレイされていたりする。一方で、床に転がっていたり購入したまま袋に入っていたり、買ったのも忘れているような扱いも見受けられた。
 
 

 

 

 

。βが荷物を整理して出ていくわけもなく、βの整理されない荷物と、片付けない

「がん」という冒険(96)

去年4月に娘βが入寮して10か月。

夏休みも冬休みも、βはろくに帰って来なかった。それは寮の居心地がいいということだし、寮からのクレームを覚悟していた私には誠に結構なことであった。

10か月、部屋にはβだけで「ゴミをゴミ箱に捨てない」暮らしをしていれば、それは、相当なことになっているだろうという推測はつく。推測はつくから考えたくなくて触らなかったが、このままでは無限汚部屋(むげんおべや)になるのだろう。

ここはもう、母親として黙っているわけにはいかない。かといって、片付けなさい、と言って片付ければ苦労はないわけで、片付ける気力もなければ片付け方もわからない。これはもう、「片付けない」ではなく「片付けられない」のだと、「できる」「できない」をぐるぐる考えた結果、行きついた答である。

 

「片付けられない」のはβのせいではない。そういう賜物なのだと悟った私は、「無料お掃除おばさん」になるからとβ部屋に入ったのである。

果たして………………………………………………………………………。

(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

ベッドつき、バスト・トイレ・キッチンなしのワンルーム「ゴミをゴミ箱に捨てない」というのは、ワンルームがゴミ箱化しているともいえる。

ここでβのヘソを曲げさせてはいけない。片付けを効率的に進めるために邪念は払う。

「やりがいあるわ」

と私は腕まくりして、まずはゴミの分別にかかった。幸い、分別する袋はあった。こういう目に見えてはかどる単純作業は嫌いではない。愚痴や文句はNG。私はお掃除おばさんに徹してβに命じることもせず、ただ黙々とゴミを分別する。すると、βもしだいに手伝うようになった。

βの双子の姉のαが「片付けられる」かというと「片付けられない」。出しっぱなし、脱ぎっぱなし、食べっぱなし…情けないほどである。βに比べて50歩100歩だろうが、βよりは若干、私が怒れば落ち込んで言うことを聞いた。果たして、αとβ兼用の子供部屋は「汚部屋」であった。だから、今さら私は「汚部屋」にたじろぐこともないのである。

(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~

 

元々、私はマメに片付けもしなかったし、必要に迫られなければ掃除もろくにしなかった。若い頃はひどいものだったが、それがまあ、人並みになったのは娘達のお陰ともいえる。「おかたづけ」は幼稚園生活、集団生活の基本だと学んだ。

否、その前に、私には「掃除」にまつわるトラウマがある。

というのは、私の結婚は「大掃除」から始まった。一言でいうなら、

私はゴミ屋敷に嫁入りしたのである。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?\(゜ロ\)ココハドコ? 

これは、今さらながらに怖ろしい。否、時間経過して客観的にとらえられる分、思い出す今の方が怖ろしいことのような気がする。

それまで夫の家には入ったことがなく、母屋で夫(になる相手)や義母(になる人)とお茶を飲んだりしていた。そうして、私が引っ越しをする日、出発前に母屋に電話すると「待ってますよ~」と軽やかな義母の声がした。なかなかに素敵な女性なのである。

そうして、初めて夫の家のドアを開き、中に入った。

廊下は物でふさがれ、リビングの床は見えず、壁はドロドロ、カーテンビリビリ…。男兄弟に育った私は汚い部屋には慣れていたが、そんなものではない。呆然と立ちすくむ私は、ダイニングで拭き掃除をしている夫と義母の姿を見た。記憶はそこで途絶えている。

当時の私の心情、心境、衝撃…覚えていない。ただ、それから一週間、黙々と掃除をした。夫は手伝ったのかも定かではなく、おそらく何もしなかったと思う。そうして、ようやくのこと掃除が終わった時に、夫が言った言葉だけは覚えている。

「気持ち悪い」

 

そんなわけで、娘達が片付けられないのは夫のDNAだから、やはり賜物なのである。

この日、燃えるゴミ・燃えないゴミ・資源ゴミ・ビン、缶を分別した私は3時間余り休憩も取らなかった。βは両手にゴミ袋を抱え、部屋とゴミ置き場を3往復した。

一週間かけて掃除した家を「気持ち悪い」と言われた私は、娘達にも掃除して片付いた部屋を「どう?」と聞くようになった。「スッキリした」「気持ちよくなった」に安心した。夫にとっては、住み慣れた「汚部屋」が気落ち良いのだろう。それは仕方ない。しかし、そういう人は結婚してはいけない。

帰りがけに「どう?」と聞くと、βは「部屋が広くなった」と答えた。

そんなわけで、やるだけのことをやり、私は得心して帰途についた。

 

 

 

 

「がん」という冒険(95)

「できる」「できない」をぐるぐると考えて、出た結果が、

「できる」も「できない」も主の賜物ということだった。

そのように与えられたとしか、いいようがない。

「できる」が幸いで「できない」が不幸、とはいえない。

「できる」から怠けて傲慢になることもあるし、「できない」から人の何倍も努力して「できる」ようになることもある。また、「できない」ままでも人間的に成長するということもある。

もともと「できる」ことには喜びも感謝もないが、「できない」のが「できる」ようになった時の喜び、感謝は大きい。

 

「ゴミ屋敷」とか「片付けられない症候群」とか「汚部屋」(おべや)とか…。

ビフォーアフターでお掃除人が片付けする番組はよく放送される。

あの火付け役となったのは漫画にドラマ、映画にもなった「のだめカンタービレ」だったのではなかったか?

何でも、主人公の野田恵にはモデルとなった実在人物がいるらしく、簡単にネット検索できる。

そんなわけで、β部屋を片付けにかかるための心準備をしておいた。

それまでの私は、

βの寮に冬物衣類を届けに行っても、β部屋には入らずそのまま帰った。αと同伴の時にはβ部屋を見たがったαだけをβ部屋に行かせた。

なぜ、β部屋に入らなかったかといえば、

家のリビングで、「ゴミはゴミ箱」をβに言い続けた私は、一人暮らしになったβが「ゴミはゴミ箱」に捨てるわけがないと知っていたから。

βが寮に入ったのが4月、私の手術が6月。引っ越しの手伝いは夫がした。私は退院後に寮母さんに挨拶に行き、β部屋も覗いたが、既にほどほどには「汚部屋」であった。

見たくない。入りたくない。

それはβにしても、

見られたくない。入られたくない。

ならば、息が合っているではないか。

無理して見てしまったら、入ってしまったら、

もう元へは戻れない。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

何がや???

 

私が「できる」「できない」をぐるぐる考え、心の準備をしてβ部屋を片付けようと思ったのには理由があった。親に大学からの呼び出しがかかったのである。呼び出しに応じ、βをともなって大学に行き、担任教授との面談後、私は、

「何も文句言わずに、あなたの部屋片付けようと思うんだけど、どう?」

と切り出した。なぜ呼び出されたのか、面談の内容についてはβの個人情報であり、伏せさせていただく。

βは答えなかった。かなりな惨状であることは本人的に漏らしてもいたし、かといって、片付けられない。片付けてもらいたいとは思うが、あの部屋を見られたくない…そんな思いが交錯するのだろう。

「お掃除おばさんに徹するから。無料の」

拒否しないのは「yes」だと判断し、「じゃ、行くよ」と私は寮に向かって歩き出す。

βはしじゅう無言。

寮のβ部屋の前、軽く準備運動。

扉が開く。

(つづく)