「がん」という冒険(96)

去年4月に娘βが入寮して10か月。

夏休みも冬休みも、βはろくに帰って来なかった。それは寮の居心地がいいということだし、寮からのクレームを覚悟していた私には誠に結構なことであった。

10か月、部屋にはβだけで「ゴミをゴミ箱に捨てない」暮らしをしていれば、それは、相当なことになっているだろうという推測はつく。推測はつくから考えたくなくて触らなかったが、このままでは無限汚部屋(むげんおべや)になるのだろう。

ここはもう、母親として黙っているわけにはいかない。かといって、片付けなさい、と言って片付ければ苦労はないわけで、片付ける気力もなければ片付け方もわからない。これはもう、「片付けない」ではなく「片付けられない」のだと、「できる」「できない」をぐるぐる考えた結果、行きついた答である。

 

「片付けられない」のはβのせいではない。そういう賜物なのだと悟った私は、「無料お掃除おばさん」になるからとβ部屋に入ったのである。

果たして………………………………………………………………………。

(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

ベッドつき、バスト・トイレ・キッチンなしのワンルーム「ゴミをゴミ箱に捨てない」というのは、ワンルームがゴミ箱化しているともいえる。

ここでβのヘソを曲げさせてはいけない。片付けを効率的に進めるために邪念は払う。

「やりがいあるわ」

と私は腕まくりして、まずはゴミの分別にかかった。幸い、分別する袋はあった。こういう目に見えてはかどる単純作業は嫌いではない。愚痴や文句はNG。私はお掃除おばさんに徹してβに命じることもせず、ただ黙々とゴミを分別する。すると、βもしだいに手伝うようになった。

βの双子の姉のαが「片付けられる」かというと「片付けられない」。出しっぱなし、脱ぎっぱなし、食べっぱなし…情けないほどである。βに比べて50歩100歩だろうが、βよりは若干、私が怒れば落ち込んで言うことを聞いた。果たして、αとβ兼用の子供部屋は「汚部屋」であった。だから、今さら私は「汚部屋」にたじろぐこともないのである。

(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~

 

元々、私はマメに片付けもしなかったし、必要に迫られなければ掃除もろくにしなかった。若い頃はひどいものだったが、それがまあ、人並みになったのは娘達のお陰ともいえる。「おかたづけ」は幼稚園生活、集団生活の基本だと学んだ。

否、その前に、私には「掃除」にまつわるトラウマがある。

というのは、私の結婚は「大掃除」から始まった。一言でいうなら、

私はゴミ屋敷に嫁入りしたのである。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?\(゜ロ\)ココハドコ? 

これは、今さらながらに怖ろしい。否、時間経過して客観的にとらえられる分、思い出す今の方が怖ろしいことのような気がする。

それまで夫の家には入ったことがなく、母屋で夫(になる相手)や義母(になる人)とお茶を飲んだりしていた。そうして、私が引っ越しをする日、出発前に母屋に電話すると「待ってますよ~」と軽やかな義母の声がした。なかなかに素敵な女性なのである。

そうして、初めて夫の家のドアを開き、中に入った。

廊下は物でふさがれ、リビングの床は見えず、壁はドロドロ、カーテンビリビリ…。男兄弟に育った私は汚い部屋には慣れていたが、そんなものではない。呆然と立ちすくむ私は、ダイニングで拭き掃除をしている夫と義母の姿を見た。記憶はそこで途絶えている。

当時の私の心情、心境、衝撃…覚えていない。ただ、それから一週間、黙々と掃除をした。夫は手伝ったのかも定かではなく、おそらく何もしなかったと思う。そうして、ようやくのこと掃除が終わった時に、夫が言った言葉だけは覚えている。

「気持ち悪い」

 

そんなわけで、娘達が片付けられないのは夫のDNAだから、やはり賜物なのである。

この日、燃えるゴミ・燃えないゴミ・資源ゴミ・ビン、缶を分別した私は3時間余り休憩も取らなかった。βは両手にゴミ袋を抱え、部屋とゴミ置き場を3往復した。

一週間かけて掃除した家を「気持ち悪い」と言われた私は、娘達にも掃除して片付いた部屋を「どう?」と聞くようになった。「スッキリした」「気持ちよくなった」に安心した。夫にとっては、住み慣れた「汚部屋」が気落ち良いのだろう。それは仕方ない。しかし、そういう人は結婚してはいけない。

帰りがけに「どう?」と聞くと、βは「部屋が広くなった」と答えた。

そんなわけで、やるだけのことをやり、私は得心して帰途についた。