「がん」という冒険(95)

「できる」「できない」をぐるぐると考えて、出た結果が、

「できる」も「できない」も主の賜物ということだった。

そのように与えられたとしか、いいようがない。

「できる」が幸いで「できない」が不幸、とはいえない。

「できる」から怠けて傲慢になることもあるし、「できない」から人の何倍も努力して「できる」ようになることもある。また、「できない」ままでも人間的に成長するということもある。

もともと「できる」ことには喜びも感謝もないが、「できない」のが「できる」ようになった時の喜び、感謝は大きい。

 

「ゴミ屋敷」とか「片付けられない症候群」とか「汚部屋」(おべや)とか…。

ビフォーアフターでお掃除人が片付けする番組はよく放送される。

あの火付け役となったのは漫画にドラマ、映画にもなった「のだめカンタービレ」だったのではなかったか?

何でも、主人公の野田恵にはモデルとなった実在人物がいるらしく、簡単にネット検索できる。

そんなわけで、β部屋を片付けにかかるための心準備をしておいた。

それまでの私は、

βの寮に冬物衣類を届けに行っても、β部屋には入らずそのまま帰った。αと同伴の時にはβ部屋を見たがったαだけをβ部屋に行かせた。

なぜ、β部屋に入らなかったかといえば、

家のリビングで、「ゴミはゴミ箱」をβに言い続けた私は、一人暮らしになったβが「ゴミはゴミ箱」に捨てるわけがないと知っていたから。

βが寮に入ったのが4月、私の手術が6月。引っ越しの手伝いは夫がした。私は退院後に寮母さんに挨拶に行き、β部屋も覗いたが、既にほどほどには「汚部屋」であった。

見たくない。入りたくない。

それはβにしても、

見られたくない。入られたくない。

ならば、息が合っているではないか。

無理して見てしまったら、入ってしまったら、

もう元へは戻れない。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

何がや???

 

私が「できる」「できない」をぐるぐる考え、心の準備をしてβ部屋を片付けようと思ったのには理由があった。親に大学からの呼び出しがかかったのである。呼び出しに応じ、βをともなって大学に行き、担任教授との面談後、私は、

「何も文句言わずに、あなたの部屋片付けようと思うんだけど、どう?」

と切り出した。なぜ呼び出されたのか、面談の内容についてはβの個人情報であり、伏せさせていただく。

βは答えなかった。かなりな惨状であることは本人的に漏らしてもいたし、かといって、片付けられない。片付けてもらいたいとは思うが、あの部屋を見られたくない…そんな思いが交錯するのだろう。

「お掃除おばさんに徹するから。無料の」

拒否しないのは「yes」だと判断し、「じゃ、行くよ」と私は寮に向かって歩き出す。

βはしじゅう無言。

寮のβ部屋の前、軽く準備運動。

扉が開く。

(つづく)