「がん」という冒険(100)

この礼拝に通うようになって、まず教えられたのが偶像崇拝ということ。聖書ではイエス・キリストだけが唯一絶対の神であり、偶像崇拝を厳しく禁じている。そうして、世の中にはいかに偶像がはびこっているかを説かれ、私はいたく共感したのである。

この世に氾濫する「偶像」――アイドル、カリスマ、ブランド、占い、新興宗教、憧れの〇〇……人は何かにすがりたい、信じたい。けれど、いつまでも変わらず、永久不変で、決して裏切られることのないものが果たして、あるだろうか?

天地万物を創られたのが神であり、だから神以外に崇拝するものはないわけである。私は非常に納得した。

 

一方で、家族ぐるみのこの教会は、一言でいうと過激であった。

ひな祭りやこいのぼり、たなばた、盆踊り……神社の境内に入るのもNG、娘が花びらをちぎって花占いをしているのも注意された。「正月」「お節料理」「初詣」など口にするのもNGで、会話に不自由を感じたものである。確かに、これでは子どもは学校生活も送れないし友達付き合いも難しい。

そもそも、義務教育の子どもを学校へ行かせずに、家庭を拠点として子どもを教育するホームスクールを行っていたのだから、過激なのも無理はない。生半可な覚悟でできるものではない。幼稚園ママ(当時は末の子も幼稚園を卒業していたが)◆が家庭で時間割を組んで子ども達を指導し、子ども達は学校に席を置き、試験や行事に参加するのみ。

この家族の名誉のためにも言うが、過激というのは言い換えれば妥協しないということであり、ホームスクールも子ども達を家庭で純粋培養しているといえる。子どもを学校に預けて安心している親は多い。

子ども達は胎教が聖書だったというし、まっすぐにイエス様を信じていた。娘達の相手もよくしてもらった。毎日聖書を読み、親を尊敬し、見事なクリスチャンファミリーだったと思う。

◆にはちょっと行き過ぎでは?と思うところもあったが、

・自宅から自転車で5分

・メッセージ(説教・聖書の解き明かし)が抜群に面白い

・娘達が子ども同士で遊べる

という点から、私は毎週、娘達と礼拝に通った。洗礼も受けたし夏の合宿にも参加した。何よりも◆はイエス様と出会うきっかけを作ってくれた恩人だった。

今も思う。あの教会は、イエス様が私と娘達を救うために出会わせてくださったのだと。私と娘達は自宅でも祈り、賛美し、すっかりイエス様と仲良くなっていた。

自分からここを出ることはなかろう、そんなことはムリだと思っていた。

 

別れは突然だった。2010年3月の出会いから年が改まった。

その日、私の目の前に女性週刊誌が突き付けられた。◆が旅先の空港で、たまたま時間があったので売店で手に取ったと言う。

「こんなの普段なら見向きもしないのに、イエス様が見せてくださったのよね」

開いたページに私の名前があった。確かに私が書いた記事である。具体的に言うと昨年亡くなった女性報道写真家、笹本恒子さんの取材記事だ。

ふざけた内容ではない。笹本さんとは個人的にも付き合いがあり、見開き5ページの記事はデスクにもほめられた。

しかし私は記事の内容について、◆から非常に厳しいお叱りを受けた。

記事の冒頭は神社で笹本さんが講演をしたところから始まり、笹本さんが毎日仏壇に手を合わせ、お彼岸には墓参りを欠かさない…ということを書いた。

これが、信仰的には「姦淫」(かんいん)に当たると指摘されたのである。