「がん」という冒険(94)

誰にでも「できる」ことと「できない」ことがある。

おおまかに言って、何でも「できる」人もいれば何も「できない」というような人もいるだろう。

最近、その「できる」ことと「できない」ことについてぐるぐると考える。

きっかけは、かのアインシュタインのエピソードを知ったことから始まる。

列車に乗ったアインシュタインが切符がないのに気づき、アタフタする。それを見た車掌が、アインシュタインを知っていて、切符なんかなくてもOKで通そうとしたら、

切符がないと、どこで降りるのかわからない。

(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

 

「できる」「できない」は人によって千差万別であり、「できる」人にとってはできるのだし、できない人にはできない。どうしてできるのか?できないのか?と聞かれても答えようがない。

ただし、できないことができるようになることも、できたことができなくなることもある。

何を言いたいかというと、私は長く悩んでいたことがあった。例えば先のアインシュタインなら、「切符がないと、どこで降りるのかわからない」というのは、行く先を覚える能力がないのか、覚えようとする意志がないのか???

相対性理論を提唱するアインシュタインが行く先を覚える能力のないはずはなく、覚えようとしないとも思えない。(そもそも『覚えよう』とするほどのことでもなかろう)切符をなくすのはしょっちゅうらしいし、アインシュタインの特殊なキャラクターを象徴するエピソードなのだろう。

行く先を覚える能力はある。行く先を覚えようとする意志もある。それでも「できない」のは、機能的に一般人と比べて何かが欠けているのだろう。

 

そうして、我が娘達である。

このブログの熱心な読者(おられるらしい)なら、私に20歳になる双子の娘がいることや、彼女達のことで私が色々、手を焼いていることをご存じかとも思う。

その、手を焼いているなかに、片付けができない。なかでも、「ゴミをゴミ箱に捨てない」ことがあった。

とくに、双子の娘の妹、去年の4月から寮に入って一人暮らしを始めたβについては、この、「ゴミをゴミ箱に捨てない」が顕著であった。果たして、

ゴミをゴミ箱に捨てる能力がないのか?

ゴミをゴミ箱に捨てようとする意志がないのか?

能力については、私が「ゴミはゴミ箱!」と言えばゴミ箱に入れるから、捨てる能力はある。意志については、これは、ない。明らかに、ない。

そもそも、意志をもって「ゴミをゴミ箱に捨てる」ものでもなかろう。おおかた習慣だし、部屋が散らかる、汚れるからという必要性があってゴミはゴミ箱に捨てる。

考えやすいのは、部屋が散らかろうと汚れようと知ったこっちゃない。どーでもいい、のだ。

そもそもβが寮に入ったのも、姉のαと共有の子供部屋がありながら、なぜかリビングに進出しテーブルを独占して床に店開きして「ゴミをゴミ箱に捨てない」をやる。

βが大学生、αが浪人生なら、それもまぁ、よかったが、αも無事に大学生になった。それで、βがリビングに店開きしていた荷物を私が子供部屋に戻した。それがどうも面白くなかったのか、夫との間で私の知らぬうちに寮の契約が進められていた。それならそれで結構。ケッコーケッコーコケコッコーである。

(^^)y-.o○(^^)/~~~(^0_0^)(^O^)(^^)y-.o○(^^)/~~~(^0_0^)(^O^)

 

寮の居心地がいいのか、休み中も帰ってこない。寮からクレームも来ないようだし、それはそれで成長したものと認識していたし喜んでいた。

一方で、寮のβ部屋がどうなっているのか…?

考えないようにしていたが…。

β部屋を訪れる時が来た。

(つづく)



 

 

 

 

 

「がん」という冒険(93)

☆看護師には、イエス様をお伝えするのにお渡しするつもりの本があった。93歳の姉妹が書かれた証(あかし=自分がどのようにしてイエス様と出会い、どのような恵みを受けたかなどを語るという業界用語)の本(自費出版500円)で、これを20冊注文して色んな人に贈った。

実は前回、つまり3週間前の治療日にお渡しするつもりでいたのが当日、ケモ室に☆看護師ともう一人看護師がおられ、渡すのをあきらめた。

☆さんは週に3日のパート勤務で毎回、お会いできるわけではない。だから、あと3回、ひょっとするとお渡しできずに治療が終わることもありえるなぁ…と心配になっていた(一一")

しかし、それはそれ。祈り続け、祈り会でも多くの姉妹に祈ってもらってきたことだから、渡せなければ主に別のご計画があるのだと思うことにした。

 

ところが…診察終えてケモ室に移動すると、

☆看護師がおられ、他にはいない。カーテン越しのソファに女性患者が一人いるだけだった。

(*^^)v( ^^) _旦~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(*^^)v( ^^) _旦~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○

 

手術前に知り合い、手術後に親しくなった☆看護師。深刻な身の上話をされたので、深い悩みを抱えた人かと思っていたのだが親しくなると、明るくておしゃべりで、とても気さくな人だとわかった。

長年がんを患ったご主人と、今は二人暮らし。ご主人は車椅子で介護も大変らしい。それを聞くと信じられない明るさである。このケモ室にしても、親しくなった患者が亡くなることもあるだろう。

それについては、「仕方ないよね」。確かに、仕方ないのである。ただ、看護師になって初めての勤務先ががんセンターの小児科で、今と違って、がんの子どもたちがどんどん死んでいく。まだ独身で子どももいなかったから何とかなったが、自分に子どもがいたら、つらくて耐えられなかっただろう、と語られた。

 

ご主人が転勤族で地方の病院を転々としたこともあったが、いつも職場に恵まれ楽しくてしかたなかった。激務ではあっても、やりがいもあり、看護師を選んでよかったと今も思う。こんなふうに人生を振り返って語れる人は、そうはいない。

☆さんとの別れが近いこともあり、私も語りに語った。浴室で胸にしこりを見つけてから、検査するまで9ヵ月かかったことから、誰にも相談せず、イエス様だけに救いを求め導きを祈った。そうして悩み苦しみから見事に解放され、喜びと感謝に満たされた。がんの検査結果を聞く時も、待合室で「私は天国行きの切符をもっている」と確信できたことで平安だった。

今も再発・転移のリスクも不安もある。しかし、逆にそれは「命」を日々、実感しながら暮らすことであり、悪いことではない。☆さんもうなずかれた。

実際にがんの治療を受ける私を見ている☆さんに、私の証(あかし)はどのように聞こえただろう?

 

カーテン越しに治療を受けている女性が、私よりも長く点滴されていたら本を渡しにくいなぁ、と思っていたが、私より先に治療を終えて帰られた。

やった~(^。^)y

「一人でも多くの人にイエス様をお伝えしたくて、私はイエス様を紹介するためにがんになって、この病院に来たのだと思っています」

ということができた(*^^)v

我ながら完璧である。

そして、本をお渡しした。

「いいんですかぁ~?」

 

福音の種まき。

まくだけまく。後はどうなるか…イエス様にお任せである。

何人もに配ったあの本は、配った数に比べると返ってきた反応は少ないが、そんなこと、わしゃ知らん( `ー´)ノ

 

 

 

 

 

「がん」という冒険(92)

不思議なことに、がんは私にとって「試練」ではなかった。もちろん、不安や恐れはあったが、すべて守られ、信じられない喜びと感謝の連続だった。

「不安で眠れない」ことなどなかったし、スキンヘッドになってもウィッグを楽しめた。「抗がん剤の苦しみ」もまるでなかった。素敵な出会いと未知なる経験の連続は、文字通り、「がん」という冒険、だった。

がんを通して、主が「私はここにいる」と語ってくださった。語り続けてくださった。そうして、主がおられることを伝えるために、私はがんを与えられたと思っている。私は伝えたいし、伝えずにはいられない。

このブログをつたないながら更新しているのも、そのような思いからである。

 

去年の6月に乳がんの手術を終え、再発・転移予防のための抗がん剤治療に3週間ごとに今も通っている。そうして、ちょっと困ったことになっている。この治療は残すところ3回。つまり、4月には終わる。それが、とても寂しい…のだ。

同時に、私がこの病院でイエス様をお伝えする期限も迫っているわけである。

担当医のよしみドクターには、がんを宣告された折に、

「私には信仰があるので、死は終わりだと思っていません」

と言うことができたし、病院宛にクリスマスカードも出した。信仰のある者として恥ずかしくないよう、言動を心がけてもきた。

そして、もう一人、是非ともイエス様を紹介したいとマークしていた人がいた。過去のブログにも登場した、ケモ(化学療法=抗がん剤治療)室で親しくなった☆看護師である。当時から不思議な出会いだなぁ、と思っていたが、ブログを読み返すと、やはり不思議だ。

 

ケモ室にはカーテンで仕切られたソファが並んでいて、患者は抗がん剤の点滴を受ける。何時間も受ける。患者で混み合うこともないし、看護師が頻繁に出入りすることもなく静かである。

親しくなったのは忘れもしない。術前の抗がん剤治療が終わりを迎える頃だった。胸につけた名札が沖縄によくある名前だったので、私が「沖縄の方ですか?」と聞いたのがきっかけだった。何の話をしていたのか、「玄米餅がおいしい」と言われ、私はスーパーで玄米餅を見つけた時、買って食べ、それを次にケモ室で☆看護師に会った時に話したのである。

玄米餅を買った話をしようかどうか、その時の私は迷っていた。ただ、診察室でよしみドクターに玄米餅の話をしたらウケたので、どうせなら…と☆看護師にも言ってみた。すると、☆看護師は「玄米餅」のことを私に話したことを覚えておられ、そこから一気に身の上話になった。☆看護師は60代(?)

私はただ点滴を受けているだけだから、いくらでも聞き役はできた。どうして私にこんな話をするのか不思議に思いながら、

私ががんなのに明るいからかなぁ?

話を聞きながら、

この人にはイエス様の話ができる。

と思う。つまり、聞く耳がある」のである。これが術前、最後の抗がん剤で、手術目前というテンションの高さもあったのだろう。決しておしゃべりではない私が、まるで機関銃のようにまくしたてた。

以下、「がん」という冒険(36)より、

 

がんだった夫、父親をがんで喪い、ケモ室で抗がん剤治療を受ける患者と向き合いながら、子どもらも自立して☆看護師は日々、どのような思いなのだろう…。おそらく、ただ事ではない。

私は言った。

「2人に1人ががんになって、3人に1人ががんで死ぬ、とかいわれますけど、『がんにならなければ死なない』わけじゃない。そういう意味で、がんという死に方もあると思うようになりました」

なんとまぁ、ケモ室の看護師相手にえらそうなことを言えたものだと思うが、☆看護師は真面目に聞いてくれた。イエス様のことはまだだが、この人ならきちんと聞いてくれそうだと思う。

次にお会いするのは手術後の治療である。

「行ってきます(^.^)/」

と笑顔で別れた。

 

そうして、術後、私はケモ室に帰ってきて、☆看護師とは一層、親しくなった。Line交換するようなことはなかったが、

この人には、是非、イエス様をお伝えしたい。

と思い、エス様から、その御用をまかされたように思っていた。しかし、

看護師と患者である。病院である、看護師は勤務中である。

どのようにすればいいのか…?

祈り続けた。

そして、今日、その祈りは見事に聞かれた(かなえられた)。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がん」という冒険(91)

祈りでは何も変わらない。

と断言されたことに反応して、無責任に語ってしまったことを反省している。「祈り」について改めて考えるきっかけにはなったが、私が祈りについて語るなど、おこがましい(=身のほど知らず)にもほどがある。かといって、一度更新したものを削除するのもどうかと思う。

ひと言でいうなら、私はまだ祈りについて偉そうに語れるほど、何もわかってはいない。まったく、穴があったら入りたい、心境であるが、恥の上塗りにならないよう、書き添えていきたい。前に書いた

「祈り」とは神との対話であり、神を求め、神とつながることである。

これは、この通りだと思う。ただ、人が人とつながるのさえ簡単ではない。まして、人間が神とつながるなど、並大抵のことではなかろう。

 

まだ礼拝に集い始めの頃、信者はほぼ例外なく、重荷(試練)を背負っていた。逆にいえば、重荷があるから礼拝に来るのである。切に祈るのである。

信じる者は神から与えられる試練から逃れようがない、と礼拝で聞かされた。私はといえば、脚本を書き、3年くらいかかって立ち上げた舞台公演は反響もあり、演出家が再演を切望し、私は次回作に取りかかる心つもりだった。それが、公演が終わった一週間後、清算をしているプロデューサーから礼拝中にメールが届き、

「~あと30万必要です~」

まさに青天の霹靂(せいてんのへきれき)だった。公演は全日程、満席だったし、私が立て替えていた何十万かも、そのままだった。

「私の立替分が未払いのまま、30万ですか?」

と慌てて返信したのを覚えている。

 

そのプロデューサーと二人三脚で立ち上げた舞台で、舞台の成功に祝杯をあげたばかりだった。結局、再演も次回作も消し飛んだ。最悪である。ただ、私の立替金は全額戻ってきたし、不足分の30万も払わずにすんだ。これは奇跡的で、神のみざわを感じないではいられなかった。プロデューサーとは和解どころか、以後、連絡も取り合っていない。

 

当時、私は親しくなった姉妹にこう言ったことがある。

エス様はサド(サディスト)で信者はマゾ。

(/ω\)\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(一一")

 

「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである」(へブル人への手紙12‐5~6)

誠に主の懲らしめは容赦ない。信仰が深いほど試練も重いという話も聞く。今は亡くなられた敬愛する宣教師は、皮膚がんに白血病、糖尿病を与えられながら、いつも笑っておられた。しかも6人のお子さんのうち、3人を亡くされている。

 

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。(へブル人への手紙12‐7~8)

 

よく引用されるみことばだが、「患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」(ローマ人への手紙5‐3~4)…それはそうかもしれないけれど。

祈り会で、

私は忍耐は嫌いです。

と祈られた姉妹がいた。皆、どっと笑った。

(^^)/~~~(^0_0^)(*^^)v( ^^) _旦~~(^^)/~~~(^0_0^)(*^^)v( ^^) _旦~~

少なくとも私は今、

エス様はサド(サディスト)で信者はマゾ。

とは思わない。祈りの力を信じ、これからも主を信頼して祈り続けられますようにと祈っている。もちろん、「祈りでは何も変わらへん」と私に断言した人のことも祈っている(*^^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

「がん」という冒険(90)

年末に親しい人から言われた

祈りでは何も変わらへん。

である。

ケンカごしで言われたわけではない。

よく覚えていないのだが会話の流れからポロリと出たのかもしれない。それが新幹線に乗ってこちらに戻り、新年を迎え日が経つにつれて、忘れるどころか無意識のうちに色々考えるようになった。それはつまり、

祈って何とかなったら、苦労せんわ。

ということだろう。

それもそうやな……

いや、待て。違う。

受験祈願で勉強もしないで祈るだけの人はいない。

やるべきこと、やれるだけのことをやって祈る。

あるいは、

自分では手の尽くしようもないことを祈る。

そこまで考えると、それ以前に、

「祈りでは何も変わらへん」と断言するほど、あんたは本気で祈ったことがあるんか?

と聞きたくなった。

 

それから、その人が家族のことで悩み、

祈るしかないな。

と言ったのを思い出した。それほど前のことではない。驚いた私は、

祈りなら、私に任せて。

などと言った。「祈ってみれば」「一緒に祈ろう」…とどうして言わなかったのかと後悔した。

そうして問題が無事に落ち着くと、

祈りでは何も変わらへん。

などと、しれ~っと言う。

「祈るしかないな」と言った人間が、同じ口で「祈りでは何も変わらへん」と言うのだ。

(。-`ω-)(/_;)( ;∀;)(-_-;)(一一")(/ω\)(。-`ω-)(/_;)( ;∀;)(-_-;)(一一")(/ω\)

そうして、しみじみ思う。

人間て、こんなもんやな。

 

その人は私のがんのことをとても心配してくれたし、元気で会えたことを喜んでくれたが、それはそれ。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、通り過ぎれば神も祈りも関係ないのだ。

聖書によく出てくるが、「見ても見ず、聞いても聞かず」。どうしようもない(一一")

 

祈りでは何も変わらへん。

こう断言できるほど、あんたは本気で祈ったことがあるのか?と思ったけれど、本気で祈ったら、逆にこんなことは言えない。これは頭で考えた事でしかない。

「祈り」とは神との対話であり、神を求め、神とつながることである。

いつも感心するのだが、祈るのにお金はかからない。用意するものもなければいつでも、どこでも、時も場所も選ばず、寝たきりでもできる。資格も条件もない。こんなことが他にあるだろうか?目にも見えず心だけでつながる。

だから、神なのだと思う。

 

先週、神経痛で祈り会を休んだ姉妹がいた。彼女が言うのに、

「あの日、午前中は痛くて仕方なかったのに、午後になると、すーっと痛みが引いていって、『ああ、祈られてるからだわ』って思った~(*^-^*)」

そう、私も去年の6月、乳がんの手術前夜。不安で眠れるだろうか、とずっと心配だった。ところが、眠れるどころか、以下引用、

 

手術前夜、寝不足だったが眠れずに、私は聖書を読んだり祈ったり、日記を書いたりした。6時頃に起こされるはずだから、もう数時間しかない。驚くべきことに、

恐れも不安もない。

それどころか、

心地よい羽根布団のような、祈りに包まれて眠る幸せ。

を感じていた。手術前夜に「幸せを感じる」など、ありえないはずが、感じるのだから仕方ない。そうして、入院中の主にある兄弟姉妹が、

祈られているのを感じる。

といわれるのを聞いたことを思い出した。

これが、きっと、そういうことなのだろう。

そんなわけで、手術前夜、私はなぜだか幸せだったのである。

 

結論、

祈りでは何も変わらへん。

こういう人は可哀想である。

(^^)/~~~(^0_0^)( ^^) _旦~~(*^^)v(^^)/~~~(^0_0^)( ^^) _旦~~(*^^)v

 

 

 

 

 

 

「がん」という冒険(89)

祈り会である。

知らない人が聞くと…といっても、知る人の方が珍しいわけで、何やら怪しい会のような響きかもしれない。

私が毎週通う祈り会は、イエス・キリストを救い主と信じる者たちが集まり、家族や身内、友人、知人…自分のことなどを祈る。たとえば、病気の人がいれば病気が癒されるようにとか、最善の治療が行われるようにとか、病気を通して、その人がイエス様と出会えますようにとか…祈り方は色々である。

「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」

(マタイの福音書18‐19・20)

というわけで、祈り会とは神がともにおられる、神聖な場なのである。

「祈り」という言葉は、一般的に広く使われる。初詣もそうだし、今の時期なら「合格祈願」。子宝祈願もあれば安産祈願、「苦しい時の神頼み」。大切な人の無事や元気になることを祈る。「お守り」というのも祈りの象徴だろう。

しかしながら、そのような一般的な「祈り」(祈願)と主イエスを信仰する私たちの祈りとは根本的に違う。よく言われることだが、

キリスト教はご利益信仰ではない。

つまり、イエス様抜きの祈りは、

ご利益=目先の成功、成就、幸運…

受験なら合格、仕事なら成功、病気なら回復……。お金持ちになったり、いい暮らしができたり、人から羨ましがられること。

ラッキー(^。^)y-.。o○

というやつである。

主にある祈りは、全く違う。自分の直接的な願望ではなく、主にお任せすること。自分が低くなり、神のなさる最善を祈るということではないかと思う。たとえば受験なら、

・無事に試験が受けられますように

・全力を出し切ることができますように

・最善のところに合格できますように

・この受験を通して、主が豊かに働いてくださいますように

自分の願いをそのまま神が聞いてくれるなら、それは神ではなく御用聞きである。

自分>神

それに気づいたのはイエス様を知ってからであり、それまでは私も受験の時にはお守りをいくつもカバンにつけて、友人から、

「神様どうしがケンカして、願い事聞いてもらわれへんで」

と言われ、なるほど、と思ってしまった(。-`ω-)

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

結局、私にとっての「神頼み」は気休めだった。

神頼み以外にも、星占い、風水、タロットカード…。

今なら思う、

一体、誰(何)に祈って(頼って)いたのだろう???

 

私はイエス様を知って十年少しだが、ようやくわかってきたのは、

自分が思う最善と主が選ばれる最善は違う。

ご利益という目先の幸運には何の保証もなくあっけなく、ひっくり返る。しかし、主を信頼し、祈り続けて起こったことには、結果として感謝できた。その時は「苦しみ」「悲しみ」であっても、忍耐して祈り続ければ「喜び」「感謝」に代えられた。

「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとで、わかるようになります」
ヨハネによる福音書 13‐7)

 

聖書では「忍耐」が重視されるが、確かに忍耐によって人は鍛えられ、内側から変えられていく。

私も突然、がんを与えられた。風邪もひかないのが、いきなりがんである。胸のしこりに気づいてから、主に祈った。戸惑いも恐れも不安もあった。しかし、

がんでありませんように。

とは祈らなかった。検査を受けるかどうかも判断できなかったから、

導いてください。

と祈り続けた。そうするうちに、がんであるかどうかは自分だけの問題ではない、という思いが与えられ、「白黒つけたい」と決断して検査の予約を入れた。

その後も他の誰にも相談せず、イエス様だけと向き合い、

どのようなことがあっても、すべてを主の御手から受け取ることができますように。

これは、乳がんだとわかってからも祈り続けたことである。

がんを通して、イエス様のご愛を味わわせてください。

(≧▽≦)(^^)/~~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(^_-)-☆

そうして、主は、私の祈りに、これ以上ないくらいに応えてくださったのである。

 

…と何を言いたかったかというと、去年の暮れに帰省した際、親しい人から

祈りでは何も変わらへん。

といわれたことが、ずっと頭から離れず、頭の中をぐるぐる回り続けていた。あまりのことに、即座には言い返せず別れたのだった。

次に会った時には、何と言い返してやろう…と思いながら、改めて「祈り」ということを考えたのである。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

「がん」という冒険(88)

初めて世田谷線というものに乗った。

世田谷区には学生の頃からしばらく住んでいたし、なじみがないわけではないが、世田谷線は耳にするだけだった。

不思議な線だった。切符売り場も自動改札もなくて、バスみたいな2両編成の車両に乗って車内にある機械でICカードor現金で料金前払い。(運賃は一律大人150円)

座席も左右の窓際に縦一列。なんと、都心の住宅街だと思っていた世田谷線路面電車

双子の娘の姉、αと降り立った「世田谷」駅は普段は無人らしい。今日は一斉に乗客が乗り降りするため、駅員が待機している。降り立った乗客の目的はひとつ。

世田谷ボロ市

コロナのため3年ぶりの開催である。その流れに身を任せた。

(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^)

 

世田谷ボロ市とは、今まで電車内の広告で目にはしていたが、

あ、そうですか。

で終わった。それが今年の抱負を「遊ぶ」にしたため、「遊ぶ」アンテナを立てたら引っかかり、娘達に声をかけた。寮住まいの妹βは課題で忙しいらしくNG、課題もうるさくないゆる~いお花畑の女子大生αは、私より行く気満々だった。

世田谷ボロ市とは440年以上の歴史をもつ伝統行事で、700の露店が軒を連ねる。毎年12月と1月の年2回行われる東京都の無形民俗文化財らしい。

10年近く世田谷区民だったのに、全く何も知らなかった"(-""-)"

天気予報は雨だったが「雨天決行」とあり、傘持参。

屋台、古着、瀬戸物、アンティーク…それが秩序なく、ごった煮のように並ぶ。

一言でいえば縁日の露店と骨董市がすごいスケールで軒を並べる…という感じか?

蚤の市みたいな風情もあり、αは値段交渉などして楽しんでいた。露店商は見るだけでも親切に説明してくれて人情味がある。

最初、一件一件、マイペースでのぞいていたαだったが、曲がり角を曲がったところに途方もない数の露店が両側に並ぶのを見て、一気にテンションが上がる。6時閉店。いつしか急ぎ足から駆け足に。

 

結局、雨はパラついたものの降られることもなく、時間が足りないくらいに楽しめた。久しぶりに経験する「人混み」がなつかしく、活気があり力をもらう。

「虎が猫になる味」「中華シャーピンという屋台が気になった。6時の閉店前だったがすごい行列である。最後に並んで買おうかと思ったが、行列の長さにあきらめた。鉄板でお好み焼きみたいなものを焼いている。

「虎が猫になる味」…気になる(。-`ω-)

 

そうして世田谷駅から世田谷線に乗ったのだが、それが招き猫をかたどった招き猫電車つり革も猫手で床も猫の足跡。これにも感激。デジタルとは無縁の一日だった。

(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^)

 

今日は全く、想像を絶するような未体験ばかり。

少し復習しようと調べてみると、

世田谷線は、普通の電車とは違うところが沢山あります。→世田谷線の乗り方や運賃、所要時間は?三軒茶屋から乗る路面電車! | Something Plus (something-plus.com)(招き猫電車の画像アリ)

「虎が猫になる味」→虎が猫になる味 中華シャーピン | しもちゃんのきまぐれ日記 (ameblo.jp)

知らないというのは恐ろしい、そして、もったいない。