「がん」という冒険(99)

「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った」(マルコ1:1620

本当に私は、このみ言葉のように幼稚園ママ◆と喫茶店でイエス様の話を聞き、そのまま家について行き次の家庭礼拝に出たのである。喫茶店に入るまでは◆がクリスチャンなどとは想像もしていなかったのに。

私がいかに本気で神を求めていたかがわかる。それまで、独身の時には知り合った美容部員と、さる芸能人が挙式した大きなカソリック教会の礼拝に出たし、結婚してからは捨て猫騒ぎで知り合った近所の女性について礼拝に行った。2人とは個人的な付き合いも続いたが、私は導かれなかった。

それを言うなら…今でも不思議で仕方ないのだが、大学1年の月曜の1限。(一番眠い)キリスト教概論」の講義が必修科目で間違いなくあった。宣教師が先生だったが、記憶にあるのはそれだけで中身はさっぱり。絵のない額縁のようで不気味なくらい。よく単位が取れたものだと今でも思う。

 

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」(ヨハネ福音書15‐16)

聖書では「選ぶ」のは神であり、我々の努力や願いで神と出会えるのではない、とある。これを知った私はなるほどな~と感嘆した。それにしても、あんなに求めていたのに…東大の新興宗教グループに入りかけたこともあった。

今から思えば、それは神のご計画で「神の時」ではなかったのだろう。主と出会うのに待たされすぎたからか、出会ってからは超特急。あっという間にイエス様を信じ、なんと、日曜の朝に出かける私に娘達が興味をもってついて来るようになった。あれだけ寝坊助の娘達が、礼拝に出て一緒に聖書を読み、賛美歌を歌うようになったのである。これもまた、不思議としか言いようがない。

娘達は幼いながら、「死」というものに恐怖を感じ、死にたくない、とか寝ている私を死んだと錯覚して泣かれたこともあった。それが、日曜礼拝に通うようになってから、死について全く何も言わなくなった。

私がイエス・キリストを救いの神として受け入れたのは、聖書の中には私が悩んでいたこと、誰も教えてくれなかった答えがすべて書かれていたということ、聖書は神の書だと実感したからだった。人生を生きるにあたり、これ以上のテキストはないと思い、それを幼い娘達に与えられたこと、イエス様を紹介できたことで、私の母親としての役目は半分以上果たせたような気がした。こんなに早くイエス様と出会えた娘達が羨ましかった。

 

ところが…私達はここを出ることになる。私から出ようとしたわけではない。そんなことできるはずがなかった。私が◆を怒らせて追い出されたのである。

つづく