「がん」という冒険(87)

前回、今年の抱負として「遊ぶ」宣言をした。

一年の抱負や目標、おめでたい言葉などを年の初めに毛筆で書くことを「書き初め」という。これに習って、

遊び初め。

は何にしようかとぐるぐる考えていた。そうして、この3連休の8日、娘達と日帰りで江の島の天然温泉に行った。

江の島というのは、学生時代から耳にはよくしていたものの訪れたことのないところで、去年、初めてふらりと立ち寄り好きになった。9月の娘達の20歳の誕生日もここで祝い、そこで見つけた「天然温泉」の文字に、ずっとひかれていたのである。抗がん剤治療でなくなった髪も少しずつ生え始め、寒くなる頃には温泉に入れるくらいには伸びているだろう、温泉デビューもいいなぁ、と思った。

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さて、思っているだけでは先に進まない。年も暮れ、正月も過ぎた。行動に移さねば娘達の冬休みが終わってしまう。冬休みが終わったところで大したことではない、とそれまでの私なら考えたかもしれない。だから、「そのうち」に首までどっぷりの人生になってしまった。大事なのは、

今でしょ。

なのだ。長いような気のする人生だが、人生は「一瞬の今」でできている。

もともと出不精なのだから当たり前だが、私はこういうことは全くダメで調べるのも準備するのも面倒くさい。逆にいえば、こういう遊びのプランを立てるのが好きな人はいる。そういう人は、調べるのも準備するのも楽しいのだろう。うらやましい。

調べるのも準備するのも、ことのほか面倒な私だが、

私がやらなければ何も動かない。娘達は断じて不動である( `ー´)ノ

よって、ちゃちゃっと簡単に調べたところ、私が目撃した「天然温泉」の看板は江ノ島アイランドスパという江の島で唯一の天然温泉らしい。

温泉にプールつきで2500円。休憩室もありタオルや部屋着も無料レンタルで手ぶらOK、水着は550円からの有料レンタルという「ワンデイスパ」に決める。

 

そうして当日、双子の娘αと一緒に家を出て、双子の娘β(寮住まい)と12時に湘南台駅で待ち合わせた。小田急線改札でβを見て、一安心。(寝過ごしていることも想定内なので)

これで、後は何事が起こっても……まぁ良しとしよう。

何事かとは、βのやらかす不始末である(。-`ω-)

結果として、行方不明になったβが、ロッカーの鍵を開けたまま(水着に着替え)プールに行ってしまった。

という事態が起きた。私とαは固まった。財布などの貴重品は無論、スマホもロッカーに入っていたのである。

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仕方なく、αがβのロッカーに鍵をして手首に巻く鍵を自分の腕に巻いた。2人でβを探す。正月明けでプールが空(す)いていて助かった。

ロッカーキーを腕に巻いていないことにも気づかず、βは浮き輪で呑気にプールに浮いていた。

去年の春、寮に入ったものの規則や人間関係のわずらわしさから、すぐ家に帰りたがると思っていた娘βだったが、寮暮らしは快適でこの正月でさえ、大晦日から元旦の一泊で寮に帰ろうとした。寂しい反面、その成長に安心したのだったが…"(-""-)"

ともかく、屋外に張り出したプールからは見事なオーシャンビューが見渡せ、夕暮れ前の空のグラデーションの見事さといったら、息を吞むしかない。温泉と違いプールは男女で楽しめるから、アベックも目立ち盛んに写真を撮っていた!(^^)!

 

人生を振り返るようになり、「過去」と「思い出」はどう違うのだろう、などと考える。「思い出」というと、良い響きがあるが「苦い思い出」「つらい思い出」ともいう。調べてみたら、「思い出」というのは、過去の記憶に情緒的なものがまとわりついているらしい。

そうして、「思い出」とは「思い出す」の名刺形なのだと気づいた。つまり、「思い」を「出す」のであり、無限にある過去から「記憶」として切り取り、意識の上に「出す」……。

本当に嫌なことは思い出そうともしないから、「苦い思い出」「つらい思い出」のなかにも、どこか救いがあるのではないだろうか?とそんなことを考える。

この日のことも、まるごと良き思い出となった。思い出してもいないのに、既に「思い出」となっているところがおかしい。

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「がん」という冒険(86)

一昨年、がんになった年の年末、

せっかく「がん」になったのだから。

それを個人的に付き合いのある友人に年賀状で知らせ、ブログも読んでもらおう、と思ったわけである。

結婚や出産なら、当然のように年賀状に書く。そういう意味で年賀状に「がん」の報告をするなど非常識で不謹慎かもしれない。受け取った側も動揺するだろう。 

しかし、今年、受け取った年賀状には「ブログ、楽しく読んでいます」「いつもブログを見ていて、(私を)身近に感じます」…というようなことが書かれてあった。嬉しかった。

今や「2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ」といわれる。本人を抜きにしても、家族や身内、周囲…に誰一人、がんの人はいない、という方が少ないのではなかろうか。まして、学生時代からの友人なら同じ年のはずだから、私の発がんは他人事ではないだろう。そういうなかで、友人にこのブログを読んでもらい、安心したり面白がってもらえるのは、私がこのブログを書く目的のひとつでもある。

 

そういうことを考えてみても、やはり私は、

がんになってよかった、のだなぁ。

と思う。

去年の暮れに書きたかったのだが、年末に発表される「今年の漢字」。去年は「戦」だったが、自分の場合は何だろうと思い巡らしたところ、

「満」

が浮かんだ。

抗がん剤治療受けながら娘αの大学受験、娘βの入寮、乳がん手術、放射線治療、娘達の前撮り(成人式の振袖撮影)準備と本番……。着付けを習い始め、95歳一人暮らしの★姉妹を見舞った。

αの大学受験ひとつとっても、なかなかに大変であった。2022・2・14~3・14に『入試』というタイトルで10回更新しているほどである。

今、αが通う◇女子大には、私は「合格してほしくない」と思っていたが、その合格を金曜祈り会の席でαから報告受けたのも、随分昔のような気がする。結果としては、αには◇女子大が合っていたのだと思えるし、他の大学だったなら、αは大学に行こうともせず引きこもりになっていたかもしれないと怖ろしくなる。

βの入寮は、βと夫の間で慌ただしく決まった。およそ、集団生活にそぐわないβは、寮から追い出されるまではいかなくとも苦情は覚悟していたし、寮の規則や人間関係のわずらわしさなどから、こちらへ逃げ出してくるものと思っていた。それが、こちら(実家)には寄りつこうともしない。αを寮に送り出す時に、

「帰る家はないと思いなさいよ」

と言おうと思ったのだが言わなかった。言わなくてよかった、とよく思う。

 

そんなふうに、すべてが想像を絶するかたちでうまくいった。手術も不安というのではなかったものの、覚悟はした。手術前夜は眠れるだろうか、とも思った。そうしたら、以下、ブログ(44)に

 

心地よい羽根布団のような、祈りに包まれて眠る幸せ。

を感じていた。手術前夜に「幸せを感じる」など、ありえないはずが、感じるのだから仕方ない。そうして、入院中の主にある兄弟姉妹が、

祈られているのを感じる。

といわれるのを聞いたことを思い出した。

これが、きっと、そういうことなのだろう。

そんなわけで、手術前夜、私はなぜだか幸せだったのである。

とある。

 

また、人生に限りがある、と実感したからか、

遊べるうちに遊んどこ。

という気になり、それまで気になっていたことにトライするようになった。

入りたい店、行きたい場所、食べたいもの、読みたい本、やってみたいこと…

そのうちに……

で片付けていたことを行動に移す。

「そのうちに」が無意識の習慣になり、自分の人生は首までどっぷり「そのうちに」にはまっていた気がする。

「そのうちに」で片付けていたことを、ひとつずつつぶしていきたい。そういう意味で、今年の抱負は

遊ぶ。

とした。

よく遊び、よく学べ。

である。

(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(^O^)/(^^)/~~~(^0_0^)

 

 

 

 

 

「がん」という冒険(85)

親愛なるブログ読者の皆様

新年明けましておめでとうございます。

どのような方々が、このブログを読んでくださっているのか、

また、どのように感じられているのか、私にはわかりようもないのですが、

イエス・キリストを信仰する者として、イエス様の素晴らしさをお伝えしたいと願い、

主のペンとして用いてください。

とまず祈って、ノートパソコンを開きます。

そうして、なるべく読みながらドキドキ、或いはニタニタ笑ってもらえるような、楽しんでリラックスしてもらえるような…と思いながら、自分もドキドキしたりニタニタ笑い、お酒は飲まなくなったのでお茶飲みながらリラックスして書いています。

本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます<m(__)m>

 

まずは、初笑い。

去年、術前の抗がん剤乳がんの手術、放射線治療を無事に終え、今は3週間ごとに術後の抗がん剤治療を受けている。

術後の抗がん剤治療といっても、破壊する「がん」は手術して「ない」はずなので、再発を予防するためである。よって、「がん」をやっつけるための術前の抗がん剤とは全然違うらしい。副作用のための薬も処方されないし、

髪も生えてきた。

そう手術後、しばらくした頃から見事に生えてきたのである。手足のムダ毛や眉毛、まつ毛も…。

抗がん剤の副作用とはわかっていても、さすがに、鏡に映る髪の毛も眉毛もまつ毛もない自分の顔は、怖かった。試しに笑ったら…

もっと、怖かった(。-`ω-)

そうして、生え出した髪の毛が白髪ばかりのような気がして気になったが、それも今では気になるほどではない。部分ハゲもない。一緒に暮らす双子の娘、姉のαは、そんな私の頭を撫でながら、

モンチッチみたい。

おお~!なるほど。

以来、この「モンチッチ頭」が気に入って、部屋ではウィッグを取るようになった。それがこの年末、寮から帰って来た双子の娘、妹のβが、

「伸びてきたねぇ」

「モンチッチみたいでしょ」

パンチパーマみたい」

確かに私は元々クセ毛が強く、生え出した髪もすでにクセがついている。それも「モンチッチ」っぽいと思っていたら…「パンチパーマ」かよぉ( `ー´)ノ

しかし「パンチパーマ」といわれてみたら、そんな気もする。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

モンチッチVSパンチパーマ

パンチパーマかぁ…(一一")

このまま外を歩けなくもない。革ジャン久々に着て、サングラスして肩で風切って歩いてみるのも面白いかもしれない(^O^)

 

 

 

 

「がん」という冒険(84)

さて、95歳、自宅火災で亡くなった★姉妹の納骨式である。

場所は鎌倉にある共同墓地。

参列する兄弟姉妹は鎌倉駅で待ち合わせた。日曜の礼拝は対面でもzoomでも行われ、私はzoomばかりだったので、実際にお会いするのは何年かぶりになる懐かしい顔もあった。

改めて記すが、10月の真夜中12時頃、漏電による2階の出火で★姉妹の自宅は焼けた。ところが、浴室でシャワーを浴びていた★姉妹は炎から守られ、一酸化炭素中毒で綺麗な顔のまま救急車で搬送された。ベッドは黒焦げだったらしいから、★姉妹がベッドで寝ていたら悲惨なことになっていた。

また、周囲への延焼もなく、被害は最小限に食い止められた。

これらのことが一つでも欠けていたら、このような清々しい納骨式は開かれなかっただろう。

 

イエス・キリストを救い主として受け入れる信者を、男性は兄弟、女性を姉妹と呼ぶ。「神の子」として、年齢に関係なく横つながりの「きょうだい」なのである。

「主にあるきょうだい」は、「肉のきょうだい」よりも、深いところでつながっていると感じる。

「実は去年に乳がんの宣告を受けて、この6月に手術を終えて放射線治療も終わりました」

私は駅から墓地までの道すがら、zoomでは毎週のようにお顔を見ている▲兄弟にがんのことを話した。抗がん剤とか「ウィッグ」とか「ハゲ」とか…道々歩きながらする話でもないなぁ、と思いながら、私は陽気に話し続けた。

去年の今頃は、抗がん剤治療受けながらウィッグをして祈り会に出た。誰も私のがんに気づかず、「イメチェン」で通した。ウィッグと気づいた姉妹はいたようだが、総じてショートにしたイメチェンは好評で、私はそれがおかしくて楽しくて、得意になって祈り会に通った。

手術の入院前にようやくがんをカミングアウトした。自分のがんが噂で広まるのは嫌だったので、他言無用をお願いした。それは守られて、私ががんになったことを知る兄弟姉妹は限られている。

これから一人一人、がんを通して主がどのように働いてくださったか、その喜びと感謝を自分の言葉で語っていこうか、と思う。

 

★姉妹も可愛がっていた柴犬のハルも

「我は復活(よみがえり)なり、生命(いのち)なり。我を信ずる者は死ぬるとも生きん。キリスト」

墓石に刻まれた聖書のみ言葉である。姉妹の方々がそれぞれ花束を用意され墓石に飾る。喪主である息子さんの挨拶があり、兄弟のメッセージがあり、賛美歌を歌う。

聖書のなかで神は「光」に例えられる。澄み渡った賛美歌は光と誠にマッチする。こうしていると、墓石は光に包まれて、確かに★姉妹は天の御国におられるのだと感じる。

一点の曇りもなく、輝かしい光のなかで納骨式は終わった。

 

 

「がん」という冒険(83)

ああ、25日が終わってしまう。

クリスマスということで寮に入っている双子の次女βが帰って来て、あたふたとお祝いの用意をしていたのだ。

何を慌てているかといえば、

クリスマスはイエス・キリストの誕生日だと思っていませんか?(季節・暮らしの話題 2018年12月18日) - 日本気象協会 tenki.jp

4年前に私が書いたweb記事をこのブログから送ろうと思ったから。

午前中に着付けの先生に送ったら「なるほど、クリスマスとはそんな意味があったのですね」と返信いただき、嬉しくなった。そういえば当時も、原稿送信後にデスクから「勉強になりました」と言ってもらったな、と思い出す。

しかも、この記事、「クリスマス イエス」で検索するとトップでヒットしたのだが、それが今も続いている。

これはイエス様が働かれているのだと思うようになった。この記事からこのブログに辿り着き、読者になってくださった方もおられる。

実は去年も多分、このブログで紹介させていただいたのだが、今年も懲りずに紹介させていただきます。(去年読んでくださった方も忘れられてるだろうから。書いた本人でさえ忘れていました(。-`ω-)→読んで勉強になった)

ではでは、Merry Christmas~!

(^。^)y-.。o○( ^)o(^ )(^.^)/~~~(^。^)y-.。o○( ^)o(^ )(^.^)/~~~

 

「がん」という冒険(82)

このブログにも何度か登場し、(69)~(72)ではその訃報について更新した95歳で召された★姉妹の納骨式に参列した。

夏の終わり、一人暮らしの★姉妹を放射線治療に通院しながら何度か訪問した。その間、

訪問したら★姉妹が台所で転倒していた

私が帰った後、転倒したまま朝を迎えられた

ベッドで★姉妹と語らっていた(がんになったことを話していた)ら、大きなネズミが出現した

と、誠に劇的なことが(私にばかり)次々起こった。

そうして極めつけは翌月、自宅火災で亡くなり、それは全国ネットで報道された。

返す返すも不思議である。

しかしながら復習すると、

・火災は真夜中に起きたにもかかわらず、★姉妹は浴室でシャワーを浴びており炎から守られた。

一酸化炭素中毒で苦しみはなかった。

・綺麗な顔のまま搬送され病院で息子さんは対面できた。(死に目には間に合った)

・火事は延焼することなく、被害は最小限におさまった。

というような数々の奇跡が起き、葬儀も晴れ渡った天候の下、祝福のうちに行われた。

これらの奇跡が一つでも欠けていたら、悲惨なことになっていただろう。こういうことを私達キリスト者は、

主のご栄光が現わされる。

という。

(#^.^#)(^。^)y-.。o○(^^)/(^_-)-☆(^0_0^)V

 

納骨式の日も、誠に美しく晴れ上がった。

この日、私は★姉妹の遺品としていただいた紳士物のような厚手の上着を着て行った。私の知っている★姉妹は既に80代で痩せてか弱い雰囲気だが、若い頃には当時としては背丈もあり立派な体格だったことがわかる。

ついでにいうと、この上着のほかに、フォックスの黒い毛皮ショールももらい受けたのである。着物の着付けを習うようになった娘αにいいのではないかと言ってくださる姉妹がおられ、それはまるで、

棚からぼた餅。

(^0_0^)(^0_0^(^0_0^)(^0_0^)(^0_0^)(^0_0^)(^0_0^)(^0_0^)

しかも受け取ったそれは、

新品同様のピカピカ

もっと私より★姉妹のお世話をした姉妹が何人もおられるし、他にほしい姉妹がいそうなものだとも思うが、私は素直(欲深い?)なのでありがたくいただく。

みんな欲のない人達なのだなぁ。

と感心させられた。

ちなみに、(双子の)娘達と★姉妹とは不思議なご縁があった。このブログにも更新したが、娘達の誕生日である9月15日、娘達と江の島にいた私に★姉妹と一番親しい◇姉妹から突然、電話がかかった。★姉妹宅からで、ここにネズミが出現して私が大騒ぎした話になり、◇姉妹が私に電話をされたのであった。

今日が娘達の誕生日で江の島でお祝いしていると告げると、なんと、9月15日は★姉妹がもう十年以上も行方知れずの娘さんと同じ誕生日らしい。

この娘さんのことを★姉妹は封印しているところがあったが、この時口にされ、それ以後も◇姉妹に「娘に会いたい」と言われるようになったと…。

そのことは私のなかに重く突き刺さっていた。そうして、★姉妹の自宅火災が全国区でニュース報道されたと知った時、とっさに、

行方知れずの娘さんが、このニュースを見たのではないか?

と思った。そのために主は、この火災を起こされたのではないか!?

思いながら葬儀の日、葬儀の始まる前からずっと泣き続ける女性がおられ、誰かと思えば、その娘さんであった。

そうして、納骨式にも来られていた。また、私の直感は当たっていた。

娘さんは、あのニュース報道を見て★姉妹の訃報を知ったらしい。

(つづく)

フォックスのショール



 

 

「がん」という冒険(81)

問題な●先生はどうしているだろう、と今も本心から思う。

今時、50歳独身は珍しくもないが、

・時間(約束)を守らない。(平気で2時間遅れてくる)

・Lineのスタンプ大好き。(真面目なやり取りにも無用に使う)

・ハイヒールに化粧濃い。(マスク取るとマスク裏にべったり口紅)勉強中にも化粧直ししているらしい。

人は悪くないが余程の特技でもない限り、これだけ社会性がなければ50女が一人で生きて行くのは難しいだろう。約束の時間を2時間過ぎて、

「銀行が混んでいたので」

と平然と言われた時は、どうしようかと思った。

 

さて、昨年11月13日からスタートした家庭教師☆君の指導によって、娘αは●先生を見限り断ることになった。12月19日のことである。暮れも暮れ、αの指導にどれだけ責任感をもたれていたのかは謎だが、断られたのは●先生にとって衝撃だったに違いない。

一方、「この先生ではダメだ」と見限っておきながら、αは●先生を嫌ってはいなかった。大学生になっても縁は切りたくないという。

私にとって一番の問題は、

この人にまだ、イエス様をお伝えしていない。

ということだった。

いつイエス様を紹介するか、タイミングというものがある。その点、クリスマスというのは福音の種まきにちょうどいいのだが、それは閉ざされた。

そもそも、狙い撃ちして(としか思えない)主が●先生を我が家に派遣されたのだから、主をお伝えしないまま●先生と別れてしまったのでは身も蓋もない。

なんのために、両目つぶって●先生に忍耐したのか???

エス様をお伝えする任務を主から与えられたと信じたからである。

(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

 

未信者の方にはわかりづらいかもしれない。

信仰とは、神を自分の救い主として信頼することだ。疑わずに信じるのである。それはしかし、簡単にできることではない。人と人の関係もそうだが相手を100%信用するというのは、家族でも難しい。

「信頼」するには、相手との付き合い方や時間、経験…を要する。エス様も同じだと思う。祈りという主とのお付き合いのなかで、次第に主を知っていく。必死の祈りが聞かれた(願いがかなう)なら、主に感謝するし、主は「おられる」と実感できるだろう。しかし、最悪の結果になることもある。私もそれで泣いた。「なぜですか?」と叫んだ。しかし、後になれば、それが幸いだった。苦しみや悲しみが感謝や喜びに変わるという経験を重ねるうちに、自分の思いなど目先のことに過ぎないと思い知らされる。

最善をご存じなのは主だけであり、お任せしていればいいのである。

という境地に、ようやく立つことができた。信仰生活、十余年。

(^。^)y-.。o○(^0_0^)(^^)/~~~(#^.^#)(^。^)y-.。o○(^0_0^)(^^)/~~~(#^.^#)

また主は、「信仰を試す」ことをなさる。

「どうだ、これでもまだ私を信じるか?」

という目に遭わされる。

と経験上、私は感じる。「はい、信じます(-_-;)」と信じ続けた結果、いつも祝福があった。聖書にも盛んに「忍耐」とあるように、主を信じる者は忍耐を求められるのである。

そして、この「信仰を試される」ということを、私は●先生において感じたのである。

 

αが●先生に借りたままの本が数冊あった。これをきちんとお返ししようと思い、それに手紙や福音の本やカードを同封することにした。

●先生には私のがんのことは無論、話していないが、この手紙で告白した。当時の私は抗がん剤の副作用で髪がほとんど抜けていたから、そのことも書いた。ただ、心配や不安は嘘のようになく、主への感謝と喜びで満たされていると記した。

どこまで●先生の心に響くかはわからないが、「私を主のペンとして用いてください」と祈りつつ書き終えた。

主の僕(しもべ)として、やるべきことはやった。後は、イエス様がしてくださる。

こうして私も平安に包まれた。

 

今、★大学に通うαは落ち着いて学生生活を送っている。去年、合格した×大学には、入学金を収める期間を逸して入学できずに浪人となった。さすがに驚きはしたが、それも主のご計画なのだとうろたえることはなかった。最善に導いていただくことを祈り続けた。そこへ現れた家庭教師が●先生なのだから、私の苦労というか、忍耐の度合いを察していただきたい(。-`ω-)

★大学は、私が想定していなかったゆる~い、しかしミッション系の女子大で、こうしてみると、×大学でなく★大学でよかった、と思う。×大だったら、αは大学に行かずに引きこもりになっていたのではないか。十分ありえる。

αが受かるはずのない×大に合格したのは、コンプレックスの強いαへの、主の癒しだったように思う。受験した大学に全滅して浪人!は、αにはむごすぎる。双子の妹βは大学生なのだから。

 

そんなわけで、●先生のことを案じつつ●先生のことを祈っている。ちなみに、αは●先生に★大合格の報告はしたが、以来、連絡はしていないらしい。