祈りは聞かれた(3)
朝、私が8時とか9時に起きると、
大学生の娘βは既にいない。
大学に行ってしまったのである。
先日、家に居たときには、
「1限に間に合わない~!」
と泡を食いながらべそをかいていた。
何やらレポートというものが連日、毎日のように出されていて、それと格闘して、寝坊したのだから無理ないと思う。
寝坊するのも微笑ましい、と感じている自分がいた。
小・中・高…と遅刻魔だった。小・中・高…と家からの距離が遠ざかるにつれ、遅刻の頻度も増し、高校時には、創設以来の歴代の記録を見事に塗り替えたに違いない。よくもまぁ、卒業させてもらえたものである。情にあつい高校であった。
レポートにしても、中・高時代には「提出物を提出しなかった」し、夏休みの課題なども、主体的にやったためしがない。(情なくて泣いたことがある)
そんなわけで、
朝、自分で起きて大学に行ってる。
連日出されるレポートや課題を、(内容については謎であるが)ちゃんとやってる。
並みの大学生なら、あたりまえにやってることかもしれないが、私にとっては、いまだに目を疑うような光景なのである。
双子のβの姉、αは、「合格取り消し」に書いた通り、βと同じ大学に合格したものの、手続きの不備で入学できなかった。本人の希望で浪人することになった。
そんなαは、朝の9時とか10時に目覚ましが鳴り、起きられることもあるが、起きないことも多い。
昼夜逆転でもいいか、と私は思うが、本人は嫌らしい。眠ろうとしても眠れないこともあると言い、悩んでいる。
悩む……とは。
成長したんだなぁ……と思う。
大きな声では言えないので、小さい声で言うが、αは高3の2学期、中間テストの数学が6点(100点満点)、三者面談で、担任から、
「期末で50点くらい取れないと卒業できないことになります」
「卒業できない」とは、すなわち、「大学受験」など論外なわけである。
数学で大学受験するわけではなかったが、期末試験対策として、本人も努力し、家庭教師の指導もあおいだ。αは、期末試験の数学に対して、
「二桁(10点以上)はあると思う」
と言った。
そうして、αが期末で取った点数は…
0点
なかなかに……取ろうとして取れる点ではない。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
この時、私は主イエスに試されているような気がした。
「私を信じるか、私から離れるか?」
迷うことなく、私は主を信じた。
あなた様がαの最善の道を整え、拓(ひら)いてくださいますように……祈る。
その最善の道が「留年」ならば致し方ない。じっくりと頭を冷やしてもらうしかない。
……そうしたら、年末のクリスマス前、αの担任から電話があり、
「数学の担当に掛け合って、αは卒業できることになりました~」
となった。αが高校を卒業できる。それはまるで、
イエス様からのクリスマスプレゼント
だった。
祈りは聞かれた(2)
「だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイによる福音書 6:34)
という聖書の言葉がある。
思えば、「明日のための心配は無用です」――まさにそのとおりである。明日どころか、何カ月先、何年先、何十年先……と遠い未来のことまで我々は心配して、予測して、考えを巡らし、対策や計画を立てたりする。が、明日、生きている保証さえ実はないのだし、心配したところで、何も解決などしないのである。死ぬほど悩んでいる問題が、明日にはあっさり解決しているかもしれない。
今、現在のことを誰も心配しない。心配するのは、「今(現在)」ではなく「先(未来)」のこと。要するに、未来のことをあれやこれやと思い悩むな、ということだと思う。未来ではなく、「その日その日に十分ある」労苦としっかり向き合って、「忍耐せよ」ということではないか。
忍耐――聖書のなかで繰り返されるのは「忍耐」である。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」(ローマ人への手紙 5:3~4)
有名な聖書の言葉である。いつだったか、祈り会で、「忍耐、忍耐とイエス様は言われますが、私は忍耐は嫌いです!」と祈られた姉妹(=女性信者)がいたが、忍耐が好きな人がいるとすれば、それは多分、マゾである。誰も忍耐など喜ばないが、成すすべなく、どうしようもなく、忍耐するしかないから忍耐するのである。
前置きが長くなったが、聖書にあっては、先々のことでなく、「その日その日に十分ある」労苦と向き合え(=忍耐せよ)ということだと思う。
「だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります」
冒頭の「だから」(その理由)については、ひと言で言えば、我々に本当に必要なことはイエス様がすべてご存じであるから、我々がイエス様を信じて、すべてをお任せし、天国に行くことを求めれば、必要は与えられるから大丈夫。
とにかく私には、娘達のやることなすことが、
手も足も出ません。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
だったので、ひたすら忍耐するしかなかったのである。
受験生なのに、よく食べよく寝て、2時間の長風呂で……。
(高校が休みになれば)起きてる時間より寝てる時間の方が長い。
家庭教師が来る時間にも寝ていた。
ゴミはゴミ箱に捨てない。
何も考えない(ように見える)。
他に比べる子どももなかったから、自分の当時を思い出した。
すると……
私って、賢い子やってんなぁ……
と自分を見直し、複雑な心境であった。
とにもかくにも、我々夫婦は、娘達の受験手続きから入試日の受験場にまで付き添い、「試験を受ける」以外はすべて、親がかり。
仮に大学に入学できたとしても、
大学生活送れるわけないやろ~~~(/ω\)
だったのである。
祈りは聞かれた(1)
「どうか娘達の生活を整えてください。主が娘達を起こしてくださり、成すべきことを成していくことができるよう、導いてください」
そう、祈ってきた。学校があった頃は、とにかく平日は娘達を起こして、学校へ行かせたから、2学期が終わり冬休みに入ってから、途方に暮れて、切実に祈り始めたような気がする。
私も大学受験の頃、眠かった記憶がある。
受験勉強と睡魔との闘いだった記憶もある。
だがしかし、
娘達は、際限なく眠るのである。
「寝たいだけ」かどうかはわからないが、ひたすら眠る。
徹夜でもないのに午後まで寝て、夜中には寝る。
起きてる時間より寝てる時間の方が長い。
もちろん、ちゃんと寝てるのかどうかはわからないし、布団の中で別のことをやっているのかもしれない。ただ、
受験に対して、どれくらい骨身を削っているのかくらいは、うかがえる。また、
娘達には睡魔と格闘している気配もなかった。
私が応援モードで作る食事を、
たらふく食う。
そして、
寝る。
本当に、頭がおかしくなるかと思った。
今にして思えば、
私の祈りは「気休め」だったのだろうか???
苦しくて、どうしようもなくて、成すすべもないから、
祈る。
苦しくて、どうしようもなくて、成すすべもないから、
祈る。
その繰り返しだった。
そうして、祈りが聞かれた今、
嘘でしょ???
とおののく自分の信仰は何なのだろうかと思う。
合格取り消し(5)
双子の姉、αが大学に合格しながら、入学手続きの不備で入学できなくなった。
まさに青天の霹靂(へきれき)だった。
クリスチャンとして、娘達の進路のことは祈り続けてきた。
なまじ、娘達が勉強できれば親として夢や理想ももっただろうが、
勉強ができる以前に、勉強しなかった。
「勉強しなければ」と思っても、「勉強(に集中)できない」
そういう子どもも、少なくないのだろうと悟った。要するに、
努力できない。
大学受験どころか、高校卒業も危ういレベルだったから、
娘達に対する、自分の夢や希望は捨てた。
捨てることができたのである。
有名大学に入ることが、娘達にとって最善の道とは限らない。
娘達の最善の道を知るのは主イエス様だけである。なので、
娘達の最善の道を整え、拓(ひら)いてください。
と祈り続けたのである。
と……忘れもしない3月10日、第一志望ではなかったが、最初の合格発表で、
αは合格を勝ち取った。
βは追加合格候補。
βはともかく、αの合格はありえなかったから、
主がαの最善の道を拓いてくださった。
のだと受け取った。その後、第一志望は不合格だった。
ところが、その最善の道が閉ざされたのである。
実は、不思議な導きもあった。
αの担任教諭がαの合格した▲大学の出身で、▲大学に知り合いの教授がいるから話してみると、言ってくださった。
同じ教会の信者が、噂(αの合格取り消し)を聞いて、知り合いに▲大学の教授がいる、と動いてくださった。
その度に、祈った。ただ、
αを▲大学に入学させてください。
とは祈らなかった。
αにとって最善の道を守り、導いてください。
―――そうして、大学入学の道ではなく、αは浪人することとなった。
そして今、あのようなかたちで、すなわち、
大学に合格しながら、入学できなかった。
ということが、
αにとっては唯一無二の、最善の道だった。
と感じている。
大学合格できた。
ことで、αは妹βに対するコンプレックスもなく、余裕をもって浪人できた。
また、「入学できなかった」ことで、逆に、
大学生になりたい。
というモチベーションも生まれたようである。
親としても、
大学に落ちまくって、浪人。
するより、余程、気は楽である。
妹のβも、αを教訓にしたようである。
このことを通して、αもβも、成長した。
あのままαが▲大学に入学していたら……
と思うと、恐ろしい。
合格取り消し(4)
4月、門出の時……。
大学生になった双子の妹、βの入学式はwebですませたらしい。
大学に合格したものの、浪人することになった双子の姉、βは、家庭教師付きの宅浪となった。
「(食器の)洗い物」と「洗濯」と「ゴミ出し」は2人でやってね。
とこの春、宣言した。(それまでは、あたりまえのように私がやっていた)
一つ屋根の下に、現役大学生と浪人生(それも双子の姉妹)が暮らすことになった。
どうなることかと恐れていたが…
今のところ、不思議なくらい、平和である。
まずは、大学生になったβだが、遅刻常習犯で、高校の卒業式でさえ、寝坊して朝飯食べられず、
空腹のあまり、卒業式に配られた祝いの紅白饅頭をその場で食った。
というような、後に語り継がれるであろう華々しいエピソードを残したβについて、私は、
大学生になったら、私は知らん。(起こさない)
ということに決めた。宣言もした。
それで単位が取れず進級できず、留年になるのかもしれない。
留年になれば、高い授業料を親が支払うことにはなるが、そんな先々のことまで考えてはいられない。
「明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります」
(マタイの福音書 6‐34)
私が毎日食べてきた(クリスチャンは、毎日ご飯を食べるように、聖書の言葉を心の栄養・糧(かて)として「食べる」と言う)み言葉である。
朝、起きられないのは、βばかりのせいではない。
主が、βをそのように創られたのなら、責任を取ってください。
主が、βを起こしてください。
ということなのである。
親の意志ではない、β本人が「大学に行きたい」と言ったのだから、自分で起きて、大学に行ってもらうしかない。そして、今、
βは自分で起きて、大学に通っている。
のである。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
1限目に間に合うため6時に起きたβは……
まさに、ミステリーでミラクルであった。
「祈りが聞かれた」ということなのであるが、それはそれで、驚くのである。
宅浪のαは、昼夜逆転してはいるが、家事をしてくれるようになり、料理してくれるようにもなった。
いちいち、口答えすることもなくなり、面倒くさくなくなった。
合格取り消し(3)
(前回までのあらすじ)
双子の姉妹、αとβは、同じ大学・学部を受験し、αは「合格」、βは「追加合格候補」となった。ところが、入学手続きはすべてオンライン。父親の再三の催促を無視したαは、気づいた時には既に「入学手続き期限」を過ぎ、入学は不可となった。さらに、「追加合格候補」だったβの「追加合格」が決定した。
そういうわけで、合格した大学に入学できないことになった双子の姉α、一方、追加合格候補だったのが「合格」になり、大学入学することになった妹β……。
私が一番恐れていた、αの落ち込みやβへの嫉妬は、
見事なまでにない。
私が意識しすぎるのも妙なので、知らぬ顔をしてはいた。
ある時、
「(入学手続きしなかったことで、大学入学できなかったことについて)どういう気持ちよ?」
さらりとαに聞いた。すると、
「自分を見直すきっかけにしようと思う」
αらしからぬ、いかにも賢(かしこ)げなことを言う。
そして、浪人すると言うのである。
「(大学に)行ってもいいし、行かなくてもいい…」と言っていたαが、
「大学」に行きたくなったらしい。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
そこにはβが大学生になることもあるだろう。
「大学入学」が閉ざされたことで、逆に行きたくなったのだろうか?
夫との話し合いもあったようだ。
浪人なぞ……私は経験もないからわからないが、大変な精神力を要するのではないか。
αには到底、無理…と思うが、本人が「大学へ行きたい」と言うなら、反対はできない。
祈る。
主が、αに「大学合格」を与えながら(=棚ぼた)「大学入学」を閉ざされたのはなぜなのか?
まだわからない。
αが「合格」で、αより成績もよかったβが「追加合格候補」だったことも不思議だが、仮にβもαと一緒に「合格」していたら、
(入学手続きの不備で)一緒に「合格取り消し」になっていたかもしれない。
(「追加合格者発表」は大分、後だった)
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
娘達の最善の道を拓(ひら)き、導いてくださいと、祈ってきた。
αの最善の道を、祈り続ける。
4月といえば、新年度……。
βの入学準備を整えながら、αが不憫にもなった。
2人一緒に入学できていたら……
という思いがよぎったが、それは違う。
今回のαの「合格取り消し」はβにも影響して、
αの二の舞は踏みたくない。
と、「入学手続き」は迅速に行われた。少し、大人になった。
αも変えられた。
私がどんなに頑張っても、どうしようもなかったことが、このことを通して、動き出した。
合格取り消し(2)
おそらく読者諸兄が案じられるのは、
「合格」取り消しになった娘αの心情ではあるまいか?
晴れて「大学合格」したのに、「入学できない」となれば、αは頭抱えるどころではない! 精神的にどうにかなってしまうのではないか…?
だろう……。
しかし、αは少し泣いたが、動揺はしなかった。
それはおそらく、
必死に勉強して勝ち取った「合格」ではなかったから。
αの合格は奇跡ともいえない。そんな涙ぐましいものではなく、いうなれば、
棚ぼた。
大学への憧れとか、夢、希望、目的……も、なかったから。
なにせ、去年の秋、あまりにもどうしようもない(起きてる時間より寝てる時間が長い)αに、
「大学行きたいの?」
と聞いた時、
「行ってもいいし、行かなくてもいい」
と答えたのであり、それは本番の受験を経ても変わらなかった。
αの大学合格は「ありえない」と踏んだ私は、
「専門学校はどうよ?」
と聞くと、
「β(双子の妹)が大学行くのに、私は専門学校は嫌」
と答えた。βへのライバル心、大いに結構だが、
「だったら~もっと勉強しろよ~~~!!!」
で、結局、αは勉強しなかったのである。
にもかかわらず、合格した。
しかも、同じ大学、同じ学部でβは「追加合格候補」であった。
βに対するコンプレックスを持っていたαは、
完全合格(βは「不完全合格」)と勝ち誇った。
はいいが…。
「入学」は閉ざされた。
しかし、αにとって、大学生になりたかったわけではない(なりたければ、とっとと手続きもしていただろう)ので、入学できないのは、それほどダメージではなかったのである。
そうして、βの「追加合格候補」が「合格決定」となったのを、αは本当に喜んだのである。αが父親に℡で知らせようとした。
奇跡を見るようだった。