合格取り消し(1)

 のっけから、

「タイトルに偽りあり」

である。

「合格取り消し」などとは、何やら不正でも発覚したようである。

それは断じてない。

このブログ「神頼み」にも書いた娘αの「大学合格」である。

「合格」が取り消されたわけではない。

間違いなく「合格」したのだが、

入学できなかった。

理由は、

入学手続きを期日までに終えなかったから。

それはなぜか?と言えば、

娘αが何も考えていなかったから。

気づいた時には、入学手続きは既に終わっていたのである。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?

詳しい成り行きは語っても無駄である。

要するに、手続きはすべてオンラインで、夫が再三、

手続きしろよ~

入学金はいつまでに振り込むんだ~

取り返しのつかないことになるぞ~

と催促するのを気にもせず、αはゴロゴロ……「合格」の余韻に浮かれていたわけである。

アホ

としか言いようがない。入学手続きの締め切りは発表から8日めだった。娘もアホなら、確認しなかった親(夫も私も)もアホである。

まさに、青天の霹靂(へきれき)。

「神頼み」ブログ

rennren.hatenablog.com

にも書いたが、まさかのまさか、

ありえない

αの合格だった。

主が働いてくださったとしか思われなかった。ならば、

なぜ???

意を決して、夫が▽大学に℡することになった。主が、何とかしてくださるのか…?

そんな思いもよぎる。ただ、夫が℡する前に、

「祈らせてください」

と私は言った。夫に信仰はないし、ケンカの種にもなっていたから、鼻で笑われるかとも思ったが、夫は何も言わなかった。

あの時、何と祈ったのかは覚えていないが、αを入学させてください、とは祈らなかった。このことを通して、主が我々に最善の道を整え、拓(ひら)いてくださることを祈った。

祈った後、「この祈りは聞かれる」という、平安があった。

そして、私の祈りの間、スマホをいじっていたαを、夫が叱ったのには驚いた。

「俺はちゃんと(祈りを)聞いてたぞ」

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?

耳を疑った。

そうして、夫が▽大学にかけた電話は、

門前払い

の扱いだったが…

私は夫の前で祈れたことと、夫がαを叱り、私の祈りを聞いていてくれたことで満たされていた。

 

 

 

 

 

 

卒業式(3)

双子の妹βの卒業式である。

体育館に間隔(ソーシャルディスタンス)をあけて椅子が配置されてあったが、

双子の長女α(私立高校)の時とは違い、検温もなく、細かい注意もなかった。

ざわざわとしながらも、緊張感みなぎる空気。

BGMが流れ、担任教諭を先頭に、

卒業生入場

βの担任、T教諭(男性・数学担当)は3年間βの担任で、綺麗な薄ピンクのネクタイが輝いていた。

入学式の時もこんな感じで、

新入生入場

だった。

入学式、卒業式……生徒以上に、

教諭は胸引き締まる思いなのだろう。

私が大学生の頃には、一応、教員資格は取得したものの、

教師になどなりたいとも思わなかった。

それが、子育てしながら、

教師……大変だけどやりがいのある、素敵な仕事だなぁ。

と思うようになった。

入場する卒業生の中には、当然、娘βもいた。

遅刻してたら、こうして入場できなかったかもしれない。(どうなってたのか( ;∀;))

とりあえず……よかった。

式の中で、3年間、「無遅刻・無欠席」で表彰される生徒もいて、

我が娘βを思うと、もうこれは、

(表彰されるお子さんは)本人の努力以上に、神がこのように、つくられたのだ。

と思う。逆に言えば、

βは「朝、起きられない(その他もろもろ)」ように、神がつくられたのだ。

と思う(あきらめる)しかない。

何にせよ、卒業できたのだから、よかった。

その後、αの時にはなかった集合写真撮影などあり、教室に移動。

色々……心温まる催しがあった。

αの学校では、担任教諭への挨拶なども禁止されたが、βの学校ではそれもなく、

βを3年間、世話してくださったT教諭に挨拶した。

遅刻を含め、大変、色々……お世話になった。

スマートなT教諭は、味わった苦労は意にも介さない様子で、

「βさん、教師の間でも好かれてましたよ」

温かい学校だったから、個性を受け入れてもらえたのだろう。

感謝しかない。

最後に、βは寝坊して朝、何も食べられなかった。

「『お腹減りました』って面と向かって言われて……」

「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」

「卒業祝いの紅白饅頭を食べたみたいです」

「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」

 

 

 

 

卒業式(2)

さて、次は双子の妹、βの卒業式である。

このβであるが、無事に高校を卒業できたものの、遅刻がひどかった。

学年トップなどという甘いものではない。

確か、高校3年の前期(前期・後期の二期生)だけで77回の遅刻があったのを記憶している。

高校生活をトータルすれば通算何回の遅刻になるのか、恐ろしくて考えない。

開校以来の歴代1位……それも、ダントツ!!!

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?

幸なことは、欠席はほとんどなく、遅刻といってもHRに遅れる程度で、授業に食い込むことはほぼなかった。(朝、起きないのだ)

高校によっては、遅刻3回を欠席1回に換算するところもあるらしい。

そういう意味では、とても懐(ふところ)の深い高校であった。

で、卒業式、当日。

「起こさないからね。自分で起きなさいよ( `ー´)ノ」

と前夜、言って、βは「はーい( ^)o(^ )」と答えたものの、

目覚ましも鳴らない。(セットしてない?)

卒業式に遅刻はありえない。

けれど、

こいつは(卒業式に遅刻するという)痛い目に遭わないと、

懲りない。

のではないか、と思う。卒業式前の「登校日」も、起きなかった。

これは、βが懲りるかもしれないという、一つのチャンスではあった。

ただ、βが卒業式に遅刻して大恥かくというのは、

私も大恥をかく。

ということで、これは、

賭け。

のようなものだった。

8時にここを出なければ間に合わない。(本人は昨夜、「6時半に起きる」と言った)

迷った挙句、7時20分にβに声をかけ、テレビのボリュームを上げた。が、

起きない。

起こすか起こさないか……究極の選択。

祈る。

主が起こしてください、と祈る。両目つぶって、おまかせするのだ。

私は私で卒業式の支度をしつつ……祈る。私は(卒業式の前に)PTAの「感謝状」をいただくため、そろそろ出なくてはならない。

βの卒業式も、参列者は1名で夫ではなく私が出ることになっていたので、仕事先の夫に℡して、事情を話した。(「起こさないで出ることにした」)夫も反対しなかった。

卒業式に遅刻……。

どれくらい遅刻???

すると……

7時40分、どういうわけか、むずむずと…βが起き出した。

8時にここを出なければ間に合わない。

 

 

 

卒業式 (1)

双子の娘達の高校卒業式が同じ週にあった。

コロナ禍でどうなることかと案じたが、どちらも、

参列は一家庭に一人の出席(母親か父親、両方はダメ)。

で、どちらも私が参列した。

双子の姉α(私立高校)、妹のβ(公立高校)で比較してみた。

まずαのY高校、事前に、

生徒ととの写真撮影NG。

卒業式後の教師との挨拶NG。

とのおふれ。

式が終わったら、とっとと帰れ、ということらしい。

卒業生413名、参列者は3チームに分けられ時間帯別に式場に着く。

当日の体調をチェックする用紙を式場受付に提出する。(受付でも検温)

体育館は当然、ソーシャルディスタンスでパイプ椅子が並び、決まった椅子に着席。

担任教諭を先頭に卒業生が入場し……

以下、特筆すべきことなく時間は過ぎ、

卒業生退場。

すると、最後の最後、学年主任教諭(60代?男性)から挨拶があった。

この方、昨年のズームでの学年集会だったか、涙ながらに語られた。

コロナのなか、唐突に学校が閉鎖され授業がなくなり、学校行事がなくなり、部活がなくなり、予定していた試合や発表の場もなくなり……

心を病む生徒が現れても当然

と……。

なるほど、確かにそうだ。私の娘達は、「学校へ行かなくていい=毎日が日曜日」というふうだったが、健全なお子様方はそうはいくまい。

ただでさえ多感な年ごろ。受験への不安、最終学年、友達にも会いたかろう。

そんな気持ちをすくいとり、涙ながらに語られた主任教諭であった。

そうして、この日も、主任教諭は泣かれた。

マスクしたまま、泣くに泣かれた。

何を言われてるのか、聞こえはしたが、記憶には残らない。

こんな先生、いるのかぁ……。(ここまで泣くのは、ギャグめいてもいた)

ただ、最後の言葉だけは、胸にしみた。

「3年前、お預かりした413名の夢と希望と期待を……今日、ここにお返しいたします」

こんな先生のおられる学校だったのだ、と思う。

 

 

 

 

 

神頼み(3)

双子の姉、αの大学合格は、

なし

だと、私は確信していた。滑り止めは受験せず、本命▲大学を含め、3大学を受験。

模試の合格判定はDかEしかなかったと思う。(積極的に見なかった)

にもかかわらず、αは焦る気配も見せず、毎日午後まで眠り、何をしているのかよくわからなかった。

「何してるの?」

と聞けば、よく

「単語」

と言った。入試間際になって「単語」とは……。

私の記憶では、そもそも単語とは、通学の電車の中とか待ち時間、隙間時間にやるもので、「単語」だけを何時間もやる、というのは?だった。

とはいえ、向こうには向こうの流儀があるらしいし、口出ししても仕方ない。

そもそも、

必死さがない。

去年の秋、「大学行きたいの?」と素朴な質問をしたら、

「行ってもいいし、行かなくてもいい…」

と答えられ、椅子から滑り落ちそうになった。

そう、それが本心なのだろう。

受験勉強にモチベーションがわかないのも無理はない。

考えると頭がおかしくなりそうなので、考えるのをやめた。

これで受かったら楽でええなぁ……

というところである。というより、

これで受かる大学て、どういう大学や???

双子の妹βの方は、αよりは少し脈があった。

模試の判定もAをもらうこともあり、

ちゃんとした仕事に就くために大学に行きたいらしい。

初発表の日、同じ大学の発表で、αは「ダメ」と確信していたが、βは「何とかなるだろう」と思っていた。

すると……

αー合格

βー追加(補欠)合格候補(合否は3月下旬までわからない)

という、まさかまさかの結果であった。

αの不合格を「確信」していた私だったが、α自身が予期せぬ合格、まして、妹は「追加合格候補」。妹βにコンプレックスをもっていたαは、

完全合格(妹βは「不完全合格」)

と得意満面。

対してβは悔しがる気配もなく、平然としている。(不合格じゃないし…)

αの合格は、

ありえない

ものだった。αが担任に合格の報告をしたら、担任は、

「えええ~~~!!!」

担任がこんなにびっくりしてええの???

という反応であった。

αのスマホに送信された「合格通知」を見るまで、信じられなかった。

「合格通知」を見ても、キツネにつままれた気分だった。

「完全合格」したαは妙に素直で、一皮むけたような、余裕があった。

私自身が、αを色眼鏡で見ていたのかもしれないと思った。

これは、

主がαを憐(あわれ)んでくださり、導いてくださったのだ、と思う。

主が生きて働いてくださったのを実感した。

 

 

 

 

神頼み(2)

双子の受験生をもつ私には、母親としてこんな夢があった。

受験勉強に励む娘達にお茶を煎れてあげる。

深夜まで勉強する娘達に夜食を作ってあげる。

……どちらも、受験生だった私が経験できなかったものだが、(私の母親はそんな母親ではなかった)だからこそ、憧れのようなものがあった。

そのうち、(試験日が近づいて)追い詰められれば……やるだろう。

と思っていたが、結局、

追い詰められなかった。

高校も(入試期間で)お休みになり、放置しておけば

午後まで寝た。

そんなわけで……

大学受験どころじゃないよね。

が本音であった。

ただ、高校はすべて大学進学に向けて動いていたし、娘達もそれに便乗するかたちで「受験」することになったので、逆らわなかった。

娘達にとって、「大学」に行くことがいいことなのか、私にはわからない。

私にはわからないけれど、主はご存知だから、主の導きに従う。

だから、「大学に合格させてください」とは祈れなかった。

専門学校でも、就職でも、もはや、どこでもいい。

娘達の次の場所。

高校を卒業して、次に置かれるステージである。

娘達を受け入れてくれる場所。

娘達が娘達らしく、居られる場所。

……を備えてくださいと祈った。

特に、双子の長女、αは高校2年から3年に進級するのもコロナのドサクサに紛れてようやく…というのがあり、これはこのブログにも書いた。

https://blog.hatena.ne.jp/rennren/rennren.hatenablog.com/edit?entry=26006613541284882

 その長女が、いの一番に合格を果たしたのである。

 

 

 

 

神頼み(1)

私の信仰を否定するわけではないが、全く認めようともしない夫は、この正月、娘達に神社のお守りを買い与えた。

気休めだけど。

と……。

広く知られていることだが、イエス・キリストは唯一絶対の神であり、他のものを信じることは偶像崇拝として、聖書では固く禁じられているのである。

それを知りながら、ぬけぬけと娘達に合格祈願に神社のお守り買い与えるとは、

私にケンカ売ってんのか~!?

と腹も立ったが、何も言わず、お守りを捨てることもしなかった。

気休めねぇ、ほんと、気休めだよ。

でも、「気」を休めることも大事だと思う。お守りごときで「気」が休まるなら、黙殺しよう。そして、「私にはどうしていいのかわかりませんから、どうすればいいのか教えてください」と祈った。

溺れる者はワラをもすがる

なのだろう。

振り返れば、何十年も前、私も大学受験にお守りを買った。

それも1個や2個ではない。じゃらじゃらとカバンにつけていたような記憶がある。

「いっぱいつけると、神様同士がケンカしてご利益なくなるねんて」

とクラスメイトに言われた記憶があり、「なるほど」と納得して減らしたかもしれない。

しみじみ……………………………………………………愚かだった。

「苦しい時の神頼み」と今でも言うし、今年も多くの受験生がお守りつけて受験に臨んだことだろう。

あれから〇十年後、娘達の大学受験に際して、私は

神である主イエス・キリストに頼んだ。おまかせした。

それは、

自分の希望(娘達を〇〇大学に合格させてください)や思い(せめて××大学には合格できますように)は捨て、イエス様が最善の道をひらいてくださる。

と信頼することである。

自分の希望や思いを捨てる、というのは容易なことではない。しようとしてできるものではない。

本音では(〇〇大学に行かせたい)と思いながら、口先で「主が娘達を最善の道に導いてくださいますから、感謝します」と祈っていても、

主はうわべでなく、本心を見抜かれるので、そんな祈りは無駄である。

今まで娘達について、本人達の了解もなく、色々書いてきた。

それは………私が娘達に対する「希望」や「思い」を捨てることになる過程でもあった。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?

(高校は休みになり)起きてる時間より寝てる時間の方が長い受験生って、何なのですか?

エス様に叫んだ。叫び続けた。

本音のところでは、

コロナ禍で大学受験どころではなくなるのでは……………………

と密かに期待していたのだが…………………

それも起こらなかった。