一山超えた――受験弁当

双子の娘達の大学受験が終わった。

全行程を終了した。

最後の試験の終わったのが16日で、その結果はまだ先のことであるが、受験の弁当作りは終わった。これが、(中学から始まる)長きにわたる娘達の「弁当作り」の最後かという、感慨はあった。

受験の弁当が、一般的に手作りかどうかはわからない。

ただ、私は関西の出身で、関西の高校から東京の大学を受験した。

当時の私は関東など行ったこともなく、大学生だった兄に同伴してもらい、新幹線に乗った。

その時に、母が弁当をもたせてくれたのだが、

「こっちがあんたのやで」

と教えられた。

その時は別段、何も考えなかったのだが、今にして思う。

受験に対する弁当。

これは、非常に負担がある。

万が一、これで食あたりを起こしたら。

とか、

万が一………………………………………………………………………………

際限なく思ってしまうのである。

今まで、娘達に作った弁当の数は知れず、一度として「食あたり」など起こしたこともなかったのが、

不安になる。

万が一………10000分の1………に当たるかも知れない。

私の母が、あの日、何を弁当にしたのかは覚えていない。

食に関して、それほどいい加減な母ではなかったから、

冷蔵庫にある残り物を使ったとか

その辺だと思うのだが、真相はわからない。

無論、母の弁当を食べた私にも兄にも何も問題はなかった。

要するに、

受験というのは、異常事態なのである。

母があの時、

「こっちがあんたのやで」

と言った記憶を、今にして思い起こすことも不思議である。

そうして、娘達の受験弁当……

2月10日、心をこめて作った弁当を……

双子のαが駅のトイレに忘れた……

ということもあった。

 

 

 

 

 

 

「大学受験」より、「ゴミはゴミ箱」やろ~(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

このことはわたしから来た

娘達の大学合格発表を前に、不思議なものを見つけた。

それは、1年以上も前に、知り合いの姉妹(=女性信者)がlineで送ってくれた詩。

仕事のトラブルで落ち込んでいた私を慰めようと送られたものだった。

当時の私がどのように感じたのか、あまり記憶にない。(記憶に残らないほどのものだったのか?)

それを今、本当にふとしたことから見つけ、再読した。(全く忘れていた)

……染みた。乾いた心に染みわたった。

「このことはわたし(=イエス様)から来た」から、「わたしが責任を取る」

と言ってくださっている。

作者不明の、クリスチャンの間では有名な詩だという。

 

このことはわたしから来た

わたしの子よ。
あなたはあなたを苦しめるものが何かを考えたことがありますか。

わたしの子。
もしあなたが周囲にたくさんの困難、試練をもっているならば、
それはわたしから来たということを知りなさい。
あなたの弱さはわたしの強さを必要としている。

わたしの子よ。
あなたはむずかしい環境と人間関係のなかで苦しんでいますか。
それはわたしから来たのです。
わたしはあなたがおかれている環境の主です。
あなたがおかれている環境や、人間関係において、
まわりの人々がやりたいようにすることはできません。
かれらは、わたしの心の、思うとおりに行わなければならないからです。

わたしの子よ。
あなたはお金のことで苦しんでいますか。
それをきりぬけるのはむずかしいですか。
それはわたしから来たということを知りなさい。
わたしはあなたのお金に責任をもっている。
ただわたしはあなたがわたしの方へ来ることをわたしを頼ることを願っています。
わたしの約束が真理であることを、あなたに証明したい。

わたしの子よ。
あなたは今、暗闇のような人生を生きていますか。
それはわたしから来たのです。
わたしは世にあったとき、苦しみの人でした。
だからあらゆる困難をよく知っている。
あなたがわたしのほうへ来るようになるために、わたしがそうしたのです。

わたしの子よ。
あなたは自分の友に失望し、幻滅しましたか。
それはわたしから来たのです。
わたしがあなたの最良の友であることをよく知るために、
あなたは友に失望したのです。

あなたの計画はくつがえりましたか。
あなたは悲観し、疲れましたか。
それもわたしから来たのです。
あなたは自分で計画し、
そのあとで「祝福してください。」と言った。
しかし、わたしは自分で計画したい。
そうすればわたしはその責任もとります。

あなたはわたしのために働きたいと願った。
しかしあなたはいま病気です。
それもわたしから来たのです。
あなたが忙しかったとき、わたしはあなたに話すことができなかった。
しかし、わたしはわたしの秘密を語りたい。
あなたは今、わたしのそばにいる。祈る人となりなさい。

あなたはむずかしい使命を負わされている。
それもわたしから来たのです。あなたはわたしに頼ってください。

わたしの子よ。わたしの声を聞きますか。わたしである。
それはわたしから来たのです。
しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。

 私の宣教師だった方は、よく言われた。

全部、イエス様のせいにすればいい。

それは、こういうことだったのだ、と思い知った。

 

イエス様、よろしく~( ^)o(^ )

さて、双子の娘達の大学受験である。

先月、大学共通テストというものがあり、今月から私大の受験が始まる。

実は、我が家は今日から始まったのである。

受験生といえば、

受験地獄

受験戦争

と昔は言った。大学の数が増えて、今では全国で700以上あるらしい。

だから、「大学に合格する」だけなら、それほど大変なこともないらしい。

普通の人なら知ってるような「有名大学」に入るのは、やはり「地獄」「戦争」モードなのだろう。

さて、有名か無名かはいざ知らず、娘達も大学受験することとなり、家庭教師もつけた。

親として、やるだけのことはやった。

いつヤル気になるか……

待っていたが、

とうとう、その日は来なかった

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?

というのが実感である。

「大学受かりたいんだよね?」

共通テスト前だったか、念のために確認した私に、娘αは、

「多分」

「…………………………………………………………………………………………………………」

絶句した。娘βに確認するのは怖かった。

まぁ…………………………………………そんなところなのだろう(p_-)

 受験一直線でピリピリになられるよりいいのかもしれない。

と思う(ようにする)。

模試の合格判定は、DやらEやら……Aの時もあった。

娘達に最善の大学……

は私にはわからない。誰にもわからない。主だけがご存じである。

果たして、娘達が大学に受かることが最善なのか?

という問題もある。

娘達の最善の道を整えてください。

と祈り続けた。心から……。

振り返れば、中学受験、高校受験……

祈った。

中学受験の時には、第一志望だったクリスチャン系の学校に見事に落ちて、

泣いた。

どうしてですか???

と祈った。しかし、フタを開ければ、

(合格した)Y校でよかった。

高校受験も、願ってもないような高校に導かれた。

そんなことを思い返した。

親としてやるだけのことはやった。だから、

後は、イエス様、よろしく~( ^)o(^ )

である。

 

100歳まで生きる!?(4)

「100歳まで大丈夫」

(おそらく)30代医師に太鼓判押された私の心情は複雑で、

100歳まで生きるの???=衝撃

一方で、現在の自分の健康管理が間違っていないことを肯定されたようで、

嬉しい。

思いはあった。

いきなりガンで、

余命〇年。

を宣告されることを思えば、感謝するしかない。

ただ、個人的には私の人生設計は、

後、数年(10年未満)だったので、大幅な意識改革が必要

な気もした。まぁ、

私が死ぬ時は、イエス様が(最善の時に)お迎えになるから

100歳も何も、関係ないとは言えるのだが……。

そうして、(血圧は高いので)いつも飲んでる血圧の薬(薬はこれだけ)をもらいに、薬局へ行った。

この日、薬を渡してくださったのが、薬局の一番偉い人、みたいな(おそらく)60代の女性薬剤師で、私は以前から、この人には一目置いていた。

いつだったか、私が薬の支払いの現金のもち合わせがなく、

「カードでいいですか?」

と聞いた時に、

「次の時でいいですよ」

この人は言った。私は借金したことになった。この人と、親しく交わったことはない。

カードを扱っていないのであれば、そう言えばいい。

私が次に来る確証もないのに、この人は、どうしてこんなことを言えるのだろう、と思った。

もちろん、私はこの借金は返した。

以来、この女性に一目置くようになった。

ショートヘアにスッキリしたスタイル、キャリア風である。

そうして、この日、私はお薬手帳を持参していなかった。この人は私に薬を渡しながら、日常的にもお薬手帳を携帯しておいた方がいいことをアドバイスされた。

私は言った。

「さっき、健康診断の結果を聞いたんですけど、文句のつけようがないとかで、『100歳まで大丈夫』と言われて…衝撃を受けました」

「…………………………………………………………」

「私、クリスチャンなので、死ねば天国なので、長生きしたくないんです」

呆気にとられた後で、彼女は言った。

「死んで天国はいいですけど、だからって早死にすることはないんじゃないですか?」

なるほど、そういう考え方もある。

確かに、クリスチャンでも「早く死にたい」と思う人はなかなかいない。

否、クリスチャン歴10年のなかで、果たしておめにかかっただろうか?

私は言った。

「生きてても楽しいこともないし、この世に未練ないんです」

「楽しいことを見つければいいじゃありませんか?」

「……………………………]

そうして、彼女の言われたのは、

山登り

であった。

山男ではなく、山女。

子育てを終わった後の喪失感を、「山」で癒されたらしい。

薬剤師しながら子育てもされてたのだろう。

それで、子育て終わって、まだ余裕で山登りとは…。

すごい人だなと思う。

聞けば、学生時代に山岳部だったとかではなく、旅行会社の山登りツアーが始まりとか。

「自然はいいですよ」

それは確かだと思う。

若い頃、誘われたこともあったが、朝は早いし、支度も大変だし、疲れるし…。

断り続けた。

今なら、山から力をもらえそうな気もする。

山か……………………………。

今、娘達の大学受験が一段落つけば、

山もいいかもしれない。

 

 

 

100歳まで生きる!?(3)

健康診断で異常がなく、院長Jrから、

「100歳まで大丈夫」

と太鼓判を押され、

「私、長生きしたくないんですけど」

「でも、この調子でいくと生きますよ」

「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」

100歳の自分など、論外であった。

今までの院長の診断では、

「異常ないね~」

のひと言で、私にとって

「異常ない=普通」

だった。それが今回、

「異常ない=文句のつけようがない=100歳まで生きる」

ということらしい。

混乱した。

確かに、中高年になれば色々と身体に不具合が生じるようで、風邪もひかない(数年に一度くらい)私は100歳まで生きるパーセンテージに匹敵するほど稀有なのだろうか?

まあよい、100歳まで生きる自分を想像したくない私は戦法を変え、

「では、ガン検診は受けなくていいんですか?」

と質問した。と、

「それは、また違います。〇〇と▽▽の診察くらいは受けてください」

ほらほら、口ほどにもない。(院長と違い、見解が甘い)

ガンになりたいわけではもとよりないが、「ガンになった時は仕方ない」とも思う。

ガンについては、院長と話したことがあった。

「俺はガンで死んでもいいと思ってるよ。俺の父親がガンで逝ったけど、進行がわかるから。脳梗塞なんかで寝たきりになるより、よっぽどいいよ」

そうして毎年、ガン検診を受けていると。毎年、受けることで早期で発見できる。この医師は信頼できると思った。

私としては、基本的にガン検診を受ける意志はない。身内にガン経験者がいないこともあるが、どの道「死ぬ」のなら、「ガン」という死に方もあるのではないかと思う。このあたり、近藤誠の信奉者である。(やっつけようとすればするほど、ガンは増殖する=何もしない)ちなみに、院長は近藤誠は大嫌いで、私が名前を出しただけで不愉快な顔をされた。

何より、ガンになった時には、イエス様に祈る。祈りながら導きに従う。

そんなわけで、複雑な心境でクリニックを出た。興奮していて、健康診断の結果がノーチェックで、「100歳まで大丈夫」と言われたことを誰かに自慢したいような気持もあった。

と、そのチャンスはすぐさま、訪れた。

 

100歳まで生きる?!(2)

確かに、周囲と比べて「健康」「丈夫」という自覚はあった。

風邪をひかない、頭痛・生理痛もない、腰痛も知らない。

妊娠した時には悪阻(つわり)も全くなく、(双子妊娠は悪阻も大変とか)

夫から、

青銅の魔人

と言われた。

そんなわけで、健康診断などでひっかかったこともほとんどない。

唯一、数年前に「血圧」でひっかかり、(上が180くらいあった)脳梗塞やら「寝たきり」やら…言われ、薬を飲むことになった。

「昔はひどい低血圧だったんですよ」

「俺だって、昔は髪があったよ」

である。つまりは、老化現象。それでも、最初、2錠処方された薬が1錠に減った。

今までは院長に診てもらっていたのが、今回、初めて院長Jrから健康診断の結果を聞き、

「100歳まで大丈夫」

と太鼓判を押され、私は衝撃を受けたのである。

院長Jrとしては、リップサービスもあってこう言ったのだろうが、私は全く、嬉しくなかった。

「あんまり長生きしたくないんですけど」

「だって、このままいくと100歳まで生きますよ」

「\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?」

人より丈夫に出来ていることはわかっていたし、「老いぼれる」のは嫌だったので老化を遅らせるための努力もしていた。

同世代よりは「若くてあたりまえ」と思ってはいたが、それが、

「100歳まで大丈夫」

と言われると……(~_~;)(-_-メ)( ;∀;)

普通の人は「100歳まで大丈夫」と言われると嬉しいのだろうか?

ただ、自分が今、健康のために心がけている努力が「間違っていなかった」と肯定された喜びはあった。

しかし、元より、クリスチャンである私は「死ねば天国」なので、この世に未練はないし、この世が「長生き」に値するほど良いところとは思えない。

最善の時にイエス様が迎えに来てくださるから、まぁ、余生は後数年(10年未満)と勝手に思い込んでいた。

なので、いきなり飛び込んだ「100歳」は衝撃であった。

 

 

 

100歳まで生きる?!(1)

年末に受けた健康診断の結果を聞きに、クリニックに行く。

20年来お世話になる(とはいっても、頻度としてはあまりお世話にはならない)

クリニックだが、その院長はちょっと面白い方で、密かに慕っている。

数年前、私が「高血圧」だと分かった時、

「私、昔はひどい低血圧だったんですよ!」

確か、上が「80」下が「40」…。

すると先生は、

「俺だって、昔は髪があったよ」

……とてもよくわかった。

それから先生と同じ血圧の薬を飲むようになった。

何かのやりとりの中で、

「私、長生きしたくないので」

と言ったら、

「え、美人薄命?」

と言われ、笑った。

「私、クリスチャンなので、死ねば天国なので」

「俺の女房もクリスチャンだよ」

「…………………………………………」

びっくりした。

ところが先生は神道、クリスマスに誘われてミサには行くが……と。

「先生には、ぜひ、クリスチャンドクターになってほしいです」

「とんでもない」

……そんな気さくに話せるステキな先生だった。

で、この日、健康診断の結果を聞くのは、副院長である先生の息子さんだった。

この方の存在は知っていたが、お目見えは初めてだった。

どんな息子だろう……と思っていたが、一目見て安心感を与える、医師らしくない医師だった。

「とってもいですねぇ~」

健康診断の結果、どうやら、

文句のつけようのない結果。

らしい。

血圧だけは「あと上下10くらい低い方がいいけど、薬飲んでるから」対策はとっている。

副院長は30代だろうか?

ぽっちゃりした癒し系で、初対面で和(なご)んでしまった。

あの院長の息子さんか…と思い、さすが、あの院長の息子さんだと思う。

「身長と体重のバランスもいいし……100歳まで大丈夫です「…………………………………………」

それは……私にとって、死の宣告にも等しかった。